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シャ・ノワール  作者:
1/12

1.




 火曜日の朝の八時半。ゴミ出しに行って戻ってくると、玄関の扉を開けた途端に、たっぷりの風が部屋のなかを駆け抜け、わたしの全身を撫で、出ていった。またヒロトが勝手にベランダの窓を開けたんだろう。

「ママ!」と、リビングのほうから幼い声がする。わたしが文句のことばを口にするまえに。

 ヒロトは、全開になった窓の鍵部分にちいさな両手でつかまり、そのままからだを傾けるという大胆な姿勢で、隣の家のほうを覗いていた。わたしがそのちいさな肩をすこしつつきでもすれば、簡単に落っこちてしまいそうだ。

「ねこちゃん!」と、彼は熱っぽく叫んだ。「ふたりもいる!」

 危ないってば。まあ一階なんだけど。でも足を滑らせれば、怪我くらいはする。わたしは肩をすくめて窓に寄り、ヒロトが落っこちないように片手で軽く支えるようにしながらそっと隣の庭を覗いた。


 六月も半ば。雨はまだ降らない。なのに気温は日ごとにどんどん上昇をつづける。今朝はまだ早いので気温はあまり高くはないけれど、それでも日差しはさんさんで、外はまったくの夏日和だった。風がわたしたちの顔に親しげにからみ、引いていく。控えめにからだを傾けていたわたしは、もうすこしからだを倒し、隣の家のちいさなテラスを覗こうとした。なんにも見えない。隣の家も窓と玄関の扉を開放しているらしく、白いレースのカーテンがたくさんの風をはらませてふくらみ、板張りの狭いテラスを隠していた。まるで太ったおばさんが白いワンピースを着て庭に立っているみたいにも見える。


 猫のすがたはみえない。

「もう逃げちゃったかも」とわたしはヒロトの頭を撫でながら言った。「ヒロがさわがしいよ、って」

 けれど、彼にあきらめた様子はなかった。やっぱり窓の鍵部分につかまり、全体重をそこに預け、真剣な面持ちで隣の庭を覗きこんでいる。わたしは苦笑いし、彼のからだを部屋に戻そうとする。


「もういないでしょ、猫ちゃん」

「いる」


 きっぱり。わたしはふたたび苦笑する。そろそろ家を出なくては。九時には幼稚園バスが家の前の橋のたもとへ迎えやってにくる。

「もういないよ」、もう一度窓から顔だけ覗かせ、隣を見やりながらわたしは言った。やっぱりテラスはみえない。邪魔なカーテンね、と内心つぶやき、眉をひそめる。

 と、そのとき。わたしの心のつぶやきが聞こえたのか、とつぜんすっと風が止んだ。太ったおばさんもとい、レースのカーテンが部屋のなかに戻っていく。あ、とわたしは思った。


 ――あ、猫ちゃん。


 ヒロトの言っていたとおり、猫はまだいた。ツヤのよさそうな小柄の黒猫が、そしてその下にもう一匹、茶色いシマトラが……。


「あっ」


 ぎょっとする。わたしはヒロトの服を引っ張り無理やり部屋のなかに連れ戻した。彼が「ああーっ!」と不平の声をあげているあいだに、ぴしゃりと窓を閉めてしまう。ヒロトはふくれっ面でわたしを見上げていた。

 バツが悪くなって、口ごもり気味に言い訳をする。「猫ちゃんたちねえ、仲良ししてたから、邪魔しちゃいけないんだ」と。


「それより、幼稚園バスきちゃうよ。はやくしなきゃ」


 さ、トイレに行ってきて。ヒロトはしぶしぶといったふうに、乱暴に足音を立てながら洗面所へと向かった。その背中をながめながら、さっき見てしまったトンデモ現場を思い出す。もう。朝っぱらからちまたのカップルたちはなにをやっているんだか。


「ふふふ」


 しらず笑みがこぼれる。いいじゃない、とわたしは思った。不思議とまったく悪い気分ではない。

 みんな必死なのだ。必死に生きているのだ。だれもが必死に生きて、新しい種をのこそうとしているのだ。みんなおなじ。植物も、猫も、人間だって。

「がんばれ、がんばれ」とうたうように口ずさみながら、わたしは外出の用意をする。

 がんばれ、がんばれ。生きることは尊いことだ。命を育む行為は、愛をたしかめ合う行為なのだ。ちっともはずかしいことではない。


 そうだ。ちっとも。




 *




 九時をちょっと過ぎて、幼稚園の黄色いバスがいつもの停留所である橋のたもと――家の目の前には川が流れている――に停まると、ヒロトと数人のこどもたちをかき集めるようにしてつぎつぎと詰め込み、あっというまに出発した。そのまま歩いて散歩がてらに買い出しにいく。散歩のお供はiPod。

 わたしには特に贔屓にしている音楽のジャンルがない。ジャズも好きだし、インストゥルメンタルなクラッシックも、ヘヴィ・メタルやむかしに流行ったテクノ・ポップだって大好きだ。パンクも聴くしグランジ(ということばは最近になって知ったのだけど)などだって、なんだって聴く。

 そんなわたしのプレイリストには、チャーリー・パーカーや坂本龍一からエーシー・ディーシー、ニルヴァーナまで幅広く入っている。友人にはよく「チエにはほんとうに節操ってものがないのね」と咎められるけれど、どうして音楽にあんなに細かでわかりにくいジャンル分けが必要なのか、わたしは逆に聞きたいくらいだ。例えばオルタナティブとか。メロコアとかハードコアとか。




 チャーリー・パーカーの『バルバドス』が終わると、大幅に曲調が変わり、ニルヴァーナの『ハート・シェイプド・ボックス』がながれだした。

 脳内に見慣れた顔がよぎる。ニルヴァーナを聴きはじめたのは(そして彼らの存在を知ることになったのは)、ほんの最近のことだった。久賀くんが「いい」と薦めてくれたのだ。


「下手くそね、このひと」


 彼が持ってきてくれたCDをはじめて聴いたときの、率直な感想だった。久賀くんのお気に入りというから期待していたのに、カートの適当に過ぎるあの独特な歌声を聴いたときは正直がっかりしたのだった。久賀くんは笑って「わかってないな、チエさんは」と言った。


「この自由な感じがたまらないのに」


 自由。胸のなかでしずかに反芻する。そうか。彼らの世界では、これを自由と呼ぶのか。わたしにはただでたらめな風にしか聴こえないのだけどと、わたしは感心したものだった。わざと下手くそに弾くギターが自由? 少しはジョン・フルシアンテを見習ったらどうだろうか、とも。あのすばらしいギターのリフが不自由であるとは、わたしには到底そんなふうには思えないのだけれど。

 けれどいつだって、久賀くんのことばたちには、説得力があった。十も歳下の彼がなにかを話すたび、わたしはまるで幼稚園児のように、まるでバカのひとつ覚えのように、首を縦に振り、感心し、納得した。


 歌詞が飛び抜けて素晴らしいのかもしれない。社会を批判していたりピースをさけんでいるのかもしれない。その日彼が帰ってしまったあと、わたしはどきどきしながら歌詞カードの日本語訳を開いた。そして、そこにひたすら汚いことばの羅列が延々とつづくのを見つけて、がっかりを通り越してはんぶん放心してしまったのだった。


 そうは言え、わたしはそのCDに入っていた全曲を、iPodに移している。だって、久賀くんのいちばんのお気に入りなのだ。久賀くんの言うことには、わたしはいつも正直につき従うことにしている。



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