Black bird
「お嬢様」
「何よ」
「弱すぎませんか?」
―――カチン。
「あんたが強すぎるのよ!!少しは手加減しなさいよ!!」
耳を押さえて、露骨に嫌そうな顔をする執事。本当に、性格が悪い。
「世間一般で言う『手加減』はしているおつもりですが…」
わざわざ強調して言ってくる。コイツ、本当に呪ってやるんだから。
「もういい!アンタは部屋で休んでなさい!!」
「ラッキー。サボれる」
小声で、それでも私には聞こえるように。私は悔しさのあまり目頭が熱くなってきた。
「もうアンタなんかクビになっちゃえ!!!」
枕を投げつけるが、この執事は憎くも軽々と片手で受け止めた。かなり至近距離で投げてるのに受け取れるなんて。
「いやそりゃ受け止められますよ。だって遅いもん」
「帰れー!!!!!」
私に怒鳴られ、肩をすくめつつ部屋から出て行く。私は枕も拾わないまま、ベッドにうつ伏せで寝転がった。
私は氷室春日。今や巨大財閥である氷室家の一人娘で、両親に非常に甘やかされて育った。料理はいつも高級、与えられるものは最新かつ高額。周りは羨ましがるかもしれないけれど、私はそんな毎日に飽き飽きしていた。
そんな私を外へ連れ出してくれたのが、あのクソ執事。数十人の執事付きでの外出さえ許してくれない過保護のパラメータをとうに振り切っているお父様でさえも、あのクソ執事一人の付き添いがあるなら門限さえ守れば外出していいと許可する程のスーパー執事らしい。性格は超サドで、超意地悪。
あまりの完璧さに私の身の回りをほぼ全て任された程優秀なのだが、本人はそれを快く思っていない様子。さっきみたいに私に対して明らかな敵意を向けるのだ。私は何度もお父様に訴えるのだが、それでもヤツの能力は凄まじいらしくクビにならない。お父様まで買収されてるのか疑う程だ。
「お嬢様」
コンコンというノックの音と、紳士的なイメージの浮かぶ整いすぎている声。
「…」
「おじょーさまぁー?」
無視すると、わざとバカにしたような口調で言ってきた。
「何よ!」
「食事はお部屋で食べられますか?」
うって変わって、真面目で綺麗な声。
「…部屋で」
「かしこまりました。四分と二十秒程お待ちください」
私は体を起こし、枕を拾ってベッドの上に置く。仏頂面のまま、椅子に移動した。
「お待たせしました」
微笑を浮かべながら、クソ執事が部屋に入ってくる。コイツの事だから、たぶん狂いなく四分と二十秒だ。
クソ執事は音を立てることなくガラスのテーブルに皿を置いていくと、綺麗すぎるお辞儀をして部屋を出て行く。
「…待ちなさいよ」
「何か問題がございましたか?」
「…一緒に食べなさい」
今度は、一度もバカにするような素振りは見せなかった。
「お嬢様と食事の時間を共有することは禁じられております」
「…側に居てって言ってるの。命令よ」
「…」
黙って立ち上がると、部屋の周りを見渡す。
「向井。お嬢様が体調不良のご様子だ。様子見も兼ねて食事の面倒を見るから、悪いがメイド長に伝言を頼んでもらってもいいか?」
「はっ、はい!」
声をかけられた若手のメイドは整った顔と声、それに話しかけられたという事実からかなり慌てた様子でパタパタと急ぎ足で廊下を去っていった。もう、周りに人の気配は無い。
「急ぐほどの事ではないのに…」
アンタに声かけられたら、誰だってああなるわよ。
漆黒の髪、ダークブラウンの瞳。整いすぎた顔立ち、優しい声。百八十センチ前後の高身長に、余裕のある微笑。
それをカッコいいと思ってしまう私も、似たようなものか。
「とても体調不良には見えませんね」
そう言いながら、乱れた私の髪を櫛で優しくとかしていく。時折服装の乱れも直しながら。
「私が言ったらそうなるのよ」
私は膨れっ面のまま、そう告げた。
「…お父様はもう少しで帰還します。それまでの辛抱です」
私のお父様は、出張中。お母様はそれについていってるから、この屋敷に氷室家は私しかいない。私が部屋で食事を取るのも、二人がいないからだ。
いや、もう一つある。
「…それまで、彪牙が側に居てくれるんでしょ?」
彪牙は私に微笑んだ。
「ええ。私はいつでもお嬢様の側におります」
私は表情を変えないまま口を開けた。私の食べやすい位置にスプーンが差し出され、私に合う絶妙なタイミングで離れていく。
私は膨れっ面のまま。けれど、心に不快な気持ちは残ってなかった。