15-4
再訪室する――。
サファイアとフランソワーズが、部屋へと戻ってくる。
クルスは、振り向いた瞬間息を止めた。
まさか――。
「ど、どうですか?」
泣き顔を悟られないように、敢えて明るく彼女はおどけて訊ねた。
見事な空色の夜間礼装を纏った夜空の精が、そこにはいた。
〝ターコイズ色〟の礼装だった。
クルスの沈黙は解けなかった。
やはり、彼の瞳の色に同調させたのはあまり歓迎されなかったのだろうか。
サファイアは、不安に駆られその場で歩みを止めた。
「馬子にも衣装だな」
珍しく、タッキーが先に発言した。
一応は紳士として声を掛けてくれたらしい。
それに、クルスもハッとした。
「あっ、すごく綺麗だよ。――驚いた」
それだけ告げて、また黙る。
視線を自分から外さずに。
サファイアは、居た堪れなかったが、大勢の人間がいる会場で着るよりいい、と今これを選択したのだ。
ゆっくり、またクルスの横に腰かける。
並ぶと、余計にクルスの同伴者として完璧だった。
彼のためだけに設え、存在している。
そんな思い上がりを起こしそうなほどに。
空と空が重なる。
どこまで進もうと続くその届かぬ禽が、今、眼の前まで降りてきたようだ。
コンコンッ。
また扉を叩く音がする。
もう、誰が来たか不安がる必要はない。
迎えが来ただけだから。
訪室を許可された、シュタオエン侯爵が告げる。
「準備が整いました。――会場へどうぞ」
その報告に胸が高鳴る。
やっと、お眼に掛かれる。
ターコイズの宝石眼を惹きつけて止まない魅惑の宝石に――。
三人が連れ立って再び訪れた会場は、先ほど舞踏会が開催されたときと打って変わって静寂に包まれていた。
同じ空間でも、人や照明、豪華な音楽がないだけで、こうも表情を変えてくるのか。
それは、とても恐ろしく感じられた。
そのなかで、二人の宝石眼を歓迎するように、人工の光を必要とせず、自ら輝く者たちがいる。
サファイアの宝石眼の加護を得た宝石たちだった。
アルマンディ、ローズクォーツ、キャッツアイと続き、奥の方へ進んだ先にそれは突如出現した。
宵闇な空間だったからこそ、それはまるで宙に浮かび上がっているように、サファイアたちを迎え入れた。
『宵闇の導』
なんと相応しい名もあったことか。
正しく、今サファイアの道を照らすのはあなた。
〝ムーンストーン〟
圧倒的な白。
それは、月光を表現する。
「素晴らしい……」
サファイアは感嘆の溜息を吐いた。
その詞に侯爵は、彼女が逢引したかった相手がどの宝石であるかを悟った。
静かな足音で近づく。
音を立てすぎれば、水面に映る満月がその姿を歪めてしまうことを知っているから。
その白き秘宝は、見事なカボション・カットが施されており、半球形のその美は、まさに月そのものだった。
やはり、宝石に優劣など付けるものではない。
宝石眼に選出された宝石ほど美しいものは他にはないなど。
そんなことはありえない。
ここまで、人を虜にさせる。
宝石とは、いくら研究してもしきれない。
一生追い求めなければならない生涯における難題なのだ。
それを、改めて実感した。
その刹那――。
背後で厭な音がする。
振り向くと、クルスが片膝をついて、胸を押さえながら過呼吸に陥っていた。
それに気づいた侯爵がすぐさま駆け寄る。
「大丈夫ですか?ターコイズの宝石眼!?」
その叫びにも、彼は答えない。
ただ、もがき苦しんでいた。
「すぐに、ここに常駐している医師を呼んで参ります!」
そう言い、踵を返そうとした瞬間。
固まっていた存在が動いた。
既視感――。
眼の前でまた、人が倒れた。
あの時は、ただ支えることしか出来なかった。
彼の命が消え逝く様を、ただ茫然と眺めることしか――。
また、宝石眼を自分の前で死なせるつもり?
アメシストの宝石眼――。
あれ、一度きりで懲りたの。
もう、やめて――!
駆け寄ったサファイアの宝石眼がクルスの身体に触れる。
瞳が光り輝く。
その光が彼女の両手にも宿る。
光の渦が彼を取り囲む。
なにかが彼のなかへ流れ込んでいく。
それと同時に、彼の呼吸も安定していく。
侯爵は、ただ驚嘆し、奇跡を目の当たりにするしかなった。
これが、宝石眼の力。
違い過ぎる。
それが、寵愛の証なのか。
やがて、光が収まる。
サファイアが、ゆっくり確認する。
「もう、大丈夫ですか?」
「……あぁ」
クルスが息切れながら答える。
サファイアは持っていた手巾で額に見える玉の汗を拭う。
二人が疲労感を醸し出しながら笑い合う姿を見た侯爵は、ハッとする。
「……一応、医師を連れて参ります。お待ちください」
本来、客といえど、他人を大事な公爵家の宝石と共に置き去りにして会場を去るなど、危機感がなさすぎる。
しかし、それを気にしない。
信用か信頼か?
いや、もっと別のなにか。
なんでも良かった。
彼らを信じたいと願う己の心を表現するには――。
サファイアは、彼の頭を少し持ち上げてもらい、自分の膝に乗せた。
昔、自分も急な高熱に見舞われて倒れたことがあった。
その時、すぐには動かさないよう医者に言われた姉は、ずっと私にこうして膝枕をしてくれた。
異性に施すには恥ずかしい行為だと知ってはいるが、少しでも彼に早く回復してもらいたいと願う想いが勝った。
「本当に、大丈夫ですか?」
「うん……。ありがとう、助かったよ」
彼は、一度瞳を閉じ思考を働かした。
昼間、一人でお前を見たとき。
自分は一人で最後まで立っていられた。
しかし、駄目だった。
今、お前に近づく彼女を見たとき。
心臓が止まりかけた。
それは、己のなかで流れ続ける〝血〟が、それを拒んだからだろうか。
クルスは、名残惜しげに彼女の膝から離れ、起き上がる。
慌てる彼女を彼は制止させ、その手を強く掴んだ。
外見に似合わぬ、その〝男〟を意識させる強制力ある力強さにサファイアは息を呑んだ。
もう無理だ。
彼女には、知ってもらおう。
己の過去を。
己の罪を。
「サフィー、聴いて欲しいことがあるんだ」
これで、なにもかもが破談となっても構わない。
すでに彼女の光によって浄化されてしまった身。
彼女の嘘を吐けない、その正直さという毒が、自分にもすでに回っているのだから――。




