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それは、唐突な変化だった――。
「失礼。ここは善呪師殿の住む館で相違ないでしょうか?私どもは……ってあれ?」
侵入者は二人だった。
どちらも、サファイアよりかなり身長は高く、体格も外套から覗く筋肉質な腕の感じでは男だろう。
声を発したのは手前にいる方のみだが、声質からも間違いないだろう。
「え、誰?」
サファイアの呟きに手前の男はハッとしながらも外套を取り、優雅に自己紹介を始めた。
限りなく金髪に近い茶髪に黄緑色に輝く瞳の、素晴らしく見目麗しい美青年だった。
着用している服装も上着は下の胴着と同じ深い灰色で合わせており絹織物で刺繍も施されている一級品であり、彼の身分の高さが覗える。
「お初にお目にかかります、お嬢様。私は――」
「シリンフォード侯爵」
「――!」
男が名乗る前にタッキーが名指しした。
男二人は突然目の前の動物が人語を話したことに驚愕してたじろいでいる様子だったが、動揺しているのはサファイアも同様だった。
(ちょ、ちょっと待ってよ。今タッキー、侯爵って言わなかった?しかもシリンフォードってまさか――)
「ウンシュルト公爵の……?」
知らず頭のなかの声が漏れていた。
「……息子です。しかし、今回この件に一切父は関与しておりませんので。あの、失礼ですが、あなたが善呪師殿ですか?」
ツァール国三大公爵家の一つ、ウンシュルト公爵家。
公爵。
貴族の爵位のなかで最高位に位置付けられ、元は王族の私生児にのみに与えられた称号。
ウンシュルト公爵は存命のため、目の前の人物が儀礼称号の侯爵であるのなら、長男となる。
つまり、次期ウンシュルト公爵。
サファイアは、完全に思考が停止した。
世が世なら、こんな風に正面から見つめることすら許されぬ存在。
「あの……?」
侯爵は心配したようにこちらを窺った。
「はっ!いえ、呪師は私では――」
「その通りです!」
「え!?」
サファイアは、誤解を解こうとしたはずなのに、なぜかタッキーに遮られた上、とんでもない嘘を吐かれた。
それを気にせず、タッキーは詞を続ける。
「彼女こそが呪師さまです。私は、呪師さまの助手を務めております……タ、タッキーでございます。以後お見知りおきを、侯爵」
タッキーは、動物の姿のまま完璧な紹介を行った。
「……たぬきが二本足で立って挨拶をしています……」
ボソッと、後ろに控えていた男が禁句を口にした。
タッキーは、寸でのところで怒りを鎮めていた。
「ハハハ。失礼ながら、私はたぬきではなくレッサーパンダですので。そこは、お間違えなきよう」
サファイアは、見えないタッキーの冷気を敏感に感じ取って慄いた。
それは、侯爵も同じだったようだ。
「も、申し訳ない。こちらは私の従者として付き添ってもらった人間に過ぎない。できれば紹介は控えさせてくれ。ところでタッキー殿、と言ったかな?貴殿はどうして人語を話せるのだろうか?」
無理矢理、話題を変えてきた。
侯爵に気を使わせるレッサーパンダ。
なんと、滑稽な光景か。
サファイアは、ますます状況が飲み下せなくなっていた。
「無論私は、レッサーパンダですが、こちらにいる呪師さまが私の聡明さ、高貴な姿に惚れ込み、ご自分の力で私に人間に備わる能力を授けてくれたのです。もちろん、あくまで最低限の。他の立ち居振る舞い等はすべて私が自分で身に着けたものでございます」
「なんと、そうでしたか」
(なんなの、この自慢話。自分で賢いって宣言してるし……侯爵もなんか私を尊敬の眼差しで見つめてる。というか、なんで私が呪師なのよ!)
「待ってくだ――」
侯爵に嘘を吐き通すなど、一般市民のサファイアには到底無謀だった。
正直に、事の真相を話そうと口を開いた。
しかし――。
(小娘!いいから俺に話を合わせろ!)
「え!」
「え?どうされましたか、呪師殿?」
「あっ、いえ。どうかお気になさらず」
突然頭のなかに直接に声が流れ込んできた。
(小娘、よく聴け!俺は今お前にだけ脳を通して直接詞を送ってる。このまま、俺の言うとおりに演技しろ!)
(どうして、こんなことできるの?)
サファイアは、初めての体験に驚愕しながら興奮気味に問いかけた。
(……これは呪師の力ではなく、俺個人の特殊能力だ。気にするな)
(気にするなって……。そういえば、なんでこの人たちに嘘吐く必要があるの?)
(さっき話しただろう?呪師ってのは、その正体どころか正式名すら持てない存在だ。いくら俺が高貴でも、なかにはこの愛くるしい姿に騙されて、俺を狙おうと企む奴も現れるだろう)
先ほどから、愛くるしい等聞き捨てならない詞が聞こえてくるが、タッキーは彼なりに切羽詰まった状況にあるらしい。
サファイアとしても、困った人を見捨てる気にはなれない。
彼は〝人〟ではないが……。
(なるほど。確かにその見た目じゃタッキー強そうに見えないもんね。――そっか。だから最初私が部屋に入った時人型の外套被って、低い声で威嚇したんだ)
(そういうことだ。俺も他の呪師がどんな容姿かは全く知らないからな)
(ふーん。あれ、じゃあ秘密がバレたらどうするの?)
まさに、自分には正体がすでに知られている。
自分の立場はどうなのか、サファイアは知りたかったのだ。
(――その時は、他の呪師に情報を売られる前に始末をつける)
(ふーん、始末を……)
「え!?」
思わぬ告白に、サファイアは思わず声を上げていた。
男二人は、先ほどから奇声を上げるサファイアを怪訝そうに見ている。
タッキーに至っては顔に手を当てて溜息をついていた。
「どう……しましたか?もしやご気分でも悪くされて?」
侯爵が、それでもサファイアを気遣い声を掛けてくれる。
申し訳なさすぎる。
嘘を吐く相手に心配されるほど、罪悪感が増す行為はない。
サファイアの良心が痛くなった。
「あ……いえ。大丈夫です。……えっと、それで本日はどういったご用件でこちらへ?」
とりあえずこの場は話題を逸らしておいた方がいい。
(……私自身のためにも)
侯爵は、少し言い淀んでから口を開いた。
「善呪師殿、どうか、我らの望みをお聴き届けください。――我が国から盗まれたダイヤモンドの涙の在りかを捜していただきたいのです!」
「「――!」」
その場の空気が一気に凍りついた。
偽の呪師と助手が息をするのを忘却してしまうほどに――。