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ブラックサファイア  作者: 早紀
77/227

13-9


 一歩下がり、(ひざまず)いた――。




 動揺の波が広がる。


 誰も彼女の意図が解らない。


 それを厭わず、彼女は祈りの姿勢を取る。


 そして、ゆっくりと、その宝を視界から閉じた。






「いいか。舞踏会で登場したら――『運び屋の時と同じように〝祈り〟を展示された宝石に捧げろ』」


 サファイアの脳裏にタッキーの詞が蘇る。


 深くは訊かなかった。


 意味はない。


 だって、初めからそのつもりだったから。




 この世に産まれて来てくれてありがとう――。




 最近になってよく空想することがある。


 もし、この国がユヴェール神を崇めていなければ。


 宝石眼(ユヴェールアオゲ)がこの世に存在しなければ。


 私は、生まれてきただろうか、と。




 〝宝石〟という人間を惹きつけて止まない(いしずえ)があったからこそ、今、私は、私となった。




 紳士の礼服(タキシード)が、淑女の礼装(ドレス)が、擦れ合いこちらに注目が集約されるのがわかる。


 それでも、構わない。


 今、この一時だけは。


 愛するあなたたちへの祈りを捧げる時間だから。




 いつ、闇は訪れていたのだろう。


 夕焼けの朱さは、すでに鳴りを潜めている。


 代わりに訪れるは、漆黒の闇。


 何物も覆い隠す、その常闇が。


 なぜ、こんなにも光り輝く。




 あぁ、そうだ。


 どうして気づかなかったのだろう。


 これは、星空だ。


 昼間にも星は変わらず瞬いているというのに。


 人々が空を見上げ、それを最も美しいと感じる瞬間。


 それは、夜空である。


 星の輝きが一点の光となって、照らしたのだ。


 彼らの女王を。


 サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)を――。




 その瞳が開く。


 両手を広げる。


 大いなる宝石たちへ祈りを捧げる巫女。


 その慈愛に満ちた女王がそこにはいた。




 すぐに、異変に気付いた。


 人工照明など当てていないのに。


 その祈りを授与される宝石たちが一斉に煌めきだした。


 確かに見えた。


 星の瞬きが、各々の宝石に降り注いでいるのを。




 ざわめきが起こる。


 しかし、誰も声を上げない。


 本当に風光明媚(ふうこうめいび)な光景に人は、全てを停止させてしまう。


 そこに、動作など必要ないから。


 ただ、女王からの手向けの言の葉さえ聴ければいい。




「この場に集いし総ての麗しき宝石たちよ。ユヴェール神が数多(あまた)の宝石をいずれも公正に恋い慕ったように。私からも、この豪華絢爛な舞台への共演を許されたあなた方総てに対し、愛念(あいねん)を。――願わくば、あなた方の未来を尊び、共生して()ける素晴らしき伴侶を得ることを、心よりお祈り申し上げます」


 黒色(こくしょく)の瞳に含まれる蒼い波が一層力強く(ただよ)う。


 宝石に降り注ぐ星が、彼女を照らす光源となる。


 まるで舞台の主人公への間接照明のように。




 宝石眼(ユヴェールアオゲ)に選定された宝石も、そうでない宝石も、その光に差異はない。


 その迷いなく指し示す方角に、一点の曇りもない。


 宝石に価値の差などない。




 ターコイズを。ダイヤモンドを。サファイアを。




 人はその異色の宝を、どれが一番か、と比べる必要はない。


 宝石眼(ユヴェールアオゲ)に選ばれぬ宝石を美しくないと否定する者も、また必要はない。




 価値に拘るは、人間のみ。


 宝石たちは、皆競い合って並んでなどいない。


 ただ、待っている。


 己を愛でてくれる存在を。


 己の力で輝いてほしいと思慕する存在を。


 そのために、わざわざこの身を端麗(たんれい)したのだ。


 彼らに相応しい形に加工してまで。




 気のせいではない。


 宝石は、運び込まれた時となに一つ変化していないはずなのに。


 確かに、圧倒的な輝きを持ち始めた。




 『宝石が歓喜している』




 馬鹿馬鹿しい。


 一度だって、そんな無機質なモノへの感情を思い描いたことなどなかったのに。


 公爵は自虐した。


 今回の競売(オークション)のために買い付けした宝石たち。


 確かに、どこかでサファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)が釣れるのでは、と邪な想いがあったことは否めない。


 しかし、きっと彼女は現れない。


 それでいい。


 恋路に溺れた愚直な王などいらない。


 ますます、彼の評判が地に堕ちればそれで満足、腹一杯だ。




 しかし、結果は――。




 やはり、人の恋路は邪魔するものではない。


 まさに、馬に蹴られて死ぬほどの衝撃を味あわされた、という訳か。




 なぜか、笑いが起きた。




 公爵のその朗らかな笑いに皆、吸うべき酸素が戻ったかのように大きく呼吸を整えた。


 公爵の笑いは止まらない。


 ついに、良心の糸が切れてしまったのだろうか。


 まさか、宝石眼(ユヴェールアオゲ)に対してなにかするはずないだろう。


 そう、思うのに。


 クルスとヴィレは身構えた。


 いざ、という時のために。




 動いた――。


 その人物はツカツカと真っ直ぐサファイアを目指す。


 でも、向かったのは公爵ではない。


 その愛妻だった。


 サファイアは祈りの姿勢を解いたが、未だ跪いたまま。


 夫人よりも目線は下。


 鋭い眼差しで、彼女を見下ろす悪女。


 なにをする。止めねば。


 しかし、相手は残虐非道と呼ばれようが女性。


 迂闊に手出しはできない。


 それでも、彼女を守るためなら。


 二人の宝石眼(ユヴェールアオゲ)は動こうとして、止めた。




 夫人が、サファイアの頬に口づけを施したからだ。


 しっかりと音が立つほど熱く。


 その行為に、周囲の貴族が大きく反応する。




 〝クヴェレ公爵夫人の口づけ〟


 それは、貴族間では重要な意味を成す。




 夫人は、未婚の頃から極度の人間嫌いだった。


 当時、侯爵令嬢として、圧倒的な地位に身を置く羨まれる存在とは裏腹に、悉く、己に舞い込んだ縁談を断り、修道院で生涯を終えることが望みだ、と周囲に言いふらすような奇異な女性だった。


 それが、ある日一転して、結婚を果たす。


 その相手こそ、現在のクヴェレ公爵である。


 その経緯は未だ謎に包まれており、様々な憶測が飛び交う。


 そのなかで、特に奇怪な噂として信じられているのが、夫人の口づけには魔力がある、というものだった。


 人間嫌いだった彼女は、他人に触れることを極端に嫌った。




 しかし、偶に。


 本当にごく稀に。


 彼女が嫌悪感を抱かず触れられる存在が幾人かいる。


 彼女の血を分けた両親、子供、そして、孫。


 夫である、クヴェレ公爵。


 さらに、時折彼女個人の主催の茶会に御呼ばれされる友人たち。


 なにが基準かはわからないが、一つ共通点がある。




 それは、彼女に口づけをされるということ。


 絶対的な信用の証。


 その者の用件は優先され、公爵家に寵愛を受ける立場となるのだ。


 誰だって、喉から手を伸ばしても欲しくなる称号だ。 




 つまり、この瞬間、サファイアは望む望まざるを関係なく、夫人のお気に入りの一員に仲間入りを果たしたということだ。


 もちろん、ヴィレもクルスもその一員に含まれてはいない。


(宝石眼(ユヴェールアオゲ)のことが嫌いなんだと思っていた……)


 ヴィレは、唖然としながら思った。


 口づけを受けたサファイアも呆けている。


 それに微笑んで、頬を軽く撫ぜてから、夫人はヴィレに向き直った。




「――ダイヤモンドの宝石眼(ユヴェールアオゲ)


「!」


 いきなりの声掛けに気を抜いていた。


 まさか、矛先がこちらに向くとは思っていなかったからだ。


「……これは、あなたの計画?」


「えっ?」


「これがあなたの仕業なら、こんなにコケにされたのは久方ぶりよ!」


 夫人は、凍てつく響きでヴィレに告げた。


 ユーリが今度こそ一歩前へ出る。


 夫人がそれを気にせず歩み寄る。


 その視線は下から見上げるものなのに。


 どうして、そんなに横柄に思えるのだろうか。


 それは、無意識に彼女を畏怖しているからかもしれない。


 


 夫人がヴィレの眼の前に立つ。


 ヴィレはユーリを静かに押し退けた。


 大事な人に手を出されるよりずっといい。


 このまま、勘違いさせればいい。




「そうだと言ったら?」


 夫人は微かに目を丸くした。


 正面から受けて立たれた。




「アハハハ!」




 夫人が突如嗤い出した。


 狂気を孕んだ嗤い。


 確かに悪寒が走った。




 そして、その恐怖を携えたまま夫人が言った。


「――今回は、私の負けを認めますわ」


「……え……?」


 ヴィレが、ユーリが、そしてクルスが、驚愕した。




 敗北宣言――。




 それを、彼女がしたのを初めて聴いたからだ。


 周囲の雑音も一際高くなる。


 皆、初の体験らしい。




 それを、一切気にせず夫人は軽やかに夫の下へ駆け寄る。


「あぁーー、悔しい!あなた、私、負けてしまいましたわ!」


 傍目から見れば、とても負けた人間の呟きには受け取れないような楽しげな声で、彼女は宣言した。


「あぁ、そうだね。私たちは、負けてしまったようだ。――敗者は、勝者に道を譲らねばならない」


 公爵は、そう妻に同意し、ヴィレと視線を通わせた。




「王子」


「……」


「これが、あなた様の望んだことであるかないかは、もはや、勝敗の基準ではありません。――結果、あなた様は最高の時機(タイミング)で我々を出し抜きました」


「……」


 何も言えぬ彼に、公爵は姿勢を正した。


 そして、静寂の中で詞を紡いだ。




「それは……、次期国王に相応しい行動でしたよ」




「「!!」」


 ヴィレとユーリは、公爵から視線を逸らせなくなってしまった。




 今、彼はなんと言った。


 まさか――。


 認めてくれた?


 いや、それはない。


 しかし、用無しの烙印は押されなかった。


 己には、まだ挽回の機会(チャンス)があると受け取っていいのだろうか。


 これこそ、虫が良すぎる考えだ、とわかっていながら――。




 そして、公爵夫婦は示し合わせたかのように、道を左右に開けた。


 もはや、サファイアとヴィレの間を遮る障害は一切なかった。




 サファイアは、あの薔薇園以来の邂逅を果たした、彼らを懐かしんだ。


 それが、表情に自然と出た。


 破顔(はがん)する。


 その表情を目の当たりにして、やっと気づいた。


 二人の男が、同時に。


 


 己の〝誤解〟に――。




 一人目の男は、初めての舞踏会に緊張する女を守ろうとした。


 この仮面だらけの世界では、女は無力に等しいのだから。




 二人目の男は、初めての責務を背負った女を守ろうとした。


 この仮面だらけの世界を、女に見せないために。




 そう。


 『自分が、女を守らないと』




 なに、言ってる?


 今、この瞬間。


 女はどうしていた。


 誰に守られていた?


 なにから守られていた?




 答は簡単。


 女は一人で立っていた。


 己の足で、仮面の世界の中心に。


 誰にも、なにからも守られず。


 男たちを守った――。





 だから、前にも言ったでしょう?


 女は、女であっても騎士なんだって。


 騎士は、守られては存在できないの。


 守りたいから、騎士になったんだよ。



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