13-4
時は急速に過去へと遡る――。
サファイアは、清水の準備に入るタッキーへ訊ねた。
「タッキー、今回は一体どこに清水を使うの?」
「清水というか光水だ」
タッキーは正確に訂正した。
彼は拘りのあるものに対し、半端なく完璧主義なのだ。
「それで?」
「今回は、光水を直接使用しない」
「えっ!?」
サファイアは思わず後ずさってしまった。
(タッキーから清水を取っちゃったら、後は何が――)
「お前、今失礼なことを考えなかったか?」
ビクッ――!
タッキーの鋭い指摘にたじろいだ。
自分は、どうやら思ったことがどうしても表情に出てしまうらしい。
人と接する機会が極端に乏しく、そういった技術を磨く機会も、必要性もなかったからかもしれない。
(危ない。気を付けよう)
サファイアは密かに決断した。
「じゃあ、タッキーは別の呪いもできるの?」
「そうじゃない。俺は、直接使わないと言っただけで、全く使わないとは言っていない」
「?」
(謎掛けか何かかしら?)
「また、妙なところに思考が飛んでるだろう?」
「うっ!」
もう、教訓を忘れてしまった。
「今回は、光水を掛ける物がない。だから、変化させて使用する必要がある」
「変化?」
タッキーはサファイアを連れ立って仕事部屋へ入った。
そこで、懐から一本の万年筆を取り出した。
年代物で、これまた高級品の香りが漂う。
「それ、どうするの?」
「今回はこれを使って望みを叶える」
「万年筆で?」
サファイアはますます意味不明な状況に混乱していた。
彼女の訝しげな表情は、やはり他者から一目瞭然だった。
「……お前は、その莫迦正直さを少しは改めろ。心配しなくても、これから懇切丁寧に説明してやる」
そう言って、彼はまずその万年筆でまたさらさらとサファイアには解読不能な文字を紙に書き出した。
そして、手を翳した。
黄金に輝きを放つ水。
何度見ても、その幻想的な奇跡に感嘆の溜息が漏れる。
瓶が、選定されていく。
そして、今回選ばれた瓶は?
「えっ?」
サファイアは意外過ぎる、その結果に声を上げた。
それは、この部屋に果たして本当に存在していたのだろうか、と思わせるほどに小振りな瓶だった。
中身は確かに青白色で、望み通り澄んだ配色なのだが。
「タッキー、どうしてこんなに清水の量が少ないの?」
そこが、気になって仕方がなかった。
「今回は、この後が重要だからだ」
タッキーはその小振りな瓶を大事に抱えながら言った。
そして、持っていた万年筆の本体と筆先を離し、中の液を、清水の瓶へ一気に注ぎ込んだ。
「あっ!」
一瞬狼狽したサファイアだったが、次の瞬間、液が注がれた青白色の光水が、眩いほど発光した。
その光の強さに、サファイアは両手で瞳を保護した。
しかし、すぐに光が収まるのを感じ、恐る恐る瞳を開けたサファイアの先には、新しい黒の液が完成していた。
漆黒なのになぜか、透明感がある。
「すごい……」
「成功だな」
タッキーが満足気に呟いた。
まるで化学実験でも行われたかのようだった。
しかし、これはあくまで彼の呪い。
この意味を問わねば始まらない。
タッキーは、液となった光水を万年筆に流し込み、再び本体と筆先を繋げた。
「これで、完了だ」
「どういうこと?」
「今回のあいつの望みは、あくまでも正々堂々と競売に参加することだけだ。つまり、あいつの提示額を主催者側に焼き付ける必要がある」
「焼き付ける?覚えていてもらうってことよね?」
タッキーは、そういうことだ、と笑って戦略を語り始めた。
「いいか。お前はただ普通に競売へ参加しろ。ただし、提示額はこの万年筆のみで紙に記入をするんだ」
「その、万年筆で……ですか?」
クルスは、その大いなる武器とやらを凝視した。
どれだけ見つめても、万年筆以外に変化する様子は見られない。
「詳しくは、呪師の事情で話してやれんが、これで書いた文字は破れない」
「破れない……?」
まだ、意味が通じかねている。
タッキーは、もっとわかりやすく簡潔に述べた。
「これで書かれた文字が、真実であるなら誰にもそれは破れない。文字が法律となるんだ」
〝文字が法律となる〟
彼が、本当に差し出せる、真。
それを正直に『紙』へ記す。
それ即ち、『神』の啓示となる。
もし、彼がこの万年筆で書かれた額以上で取引が成立してしまった場合。
卑怯な手を弄して金銭を雲隠れさせようとも、それは決して通らない。
欺けない。
先に法律が、掟が執行されているから。
「――お前を、誰にも邪魔させない」
「っ!」
窓の外で、一面に覆い茂っていた雑木林を抜けたのが捉えられた。
あんなに視界が塞がっていたのに、今は周りがよく見渡せる。
先が、急に開けた。
初めて相対した時から、彼は自分の味方にはならないだろう、と客観的に察していた。
彼は、清廉潔白という詞がよく似合う。
誰にも己の道を穢させない。
誰にもその道を共には歩かせない。
一緒に過ごす彼女にでさえ、見せてはいない顔を持つ。
だから、素直に驚いた。
今まで、こんなに欲しいと思っていた台詞。
でも、決して誰にも言えないだろうと思っていた台詞。
それを、彼が自分に言った。
迷いのないその宣言に。
どう感謝すれば良いのかさえ、わからない。
なんと、ままならないことか。
「あ、ありがとうございます」
そんな、子供にも言える安い礼しか述べられない。
喉が焼ける。
水が足りない。
彼への賛辞を湯水のように溢れさせることも、豪雨のように滴らせることもできない。
しかし、彼がそんな詞を一切必要としていないことも、またわかっていた。
「ふん。礼を言われるほどのことでもない。いいか。もし、相手が卑怯な手を使わずにお前に勝てば、ムーンストーンはどこの誰ともわからん奴の手に堕ちる。そこは、一切助けてやらんからな」
――後は、自分でなんとかしろ。まぁ、精々身銭を死ぬほど切れ。
タッキーはそう捨て台詞を吐き、窓の外へ視線をやった。
サファイアとクルスが知らず笑みを溢し、見つめ合う。
これだから、どんなに尊大でも彼の傍を離れたくないと思ってしまう。
サファイアのその気持ちが、痛いほど、今のクルスには理解できた。
クルスはゆっくり、こちらを見ない善呪師に頭を垂れた。
気のせいかもしれない。
でもほんの少しだけ。
彼の尻尾が喜びで揺れたように見えた――。




