13-2
ツァール国。
その王族で現在、最も民衆より支持されている人間は、第一王子であるヴィレ・シュタルカー・ツァール、その人である。
数ある宝石眼のなかでも、その価値はまさに〝王〟として君臨するべき称号であるダイヤモンドの宝石眼。
彼は、この世に生を賜ったその日に、かの地位を得た。
国を挙げての祝いの儀が幾夜にも渡って開かれた。
誰からも祝福を一心に受けた。
しかし、周りとは正反対に彼は滅多に表舞台に立つことはなかった。
それは、今思えば、子供の抵抗だったのだろう。
なぜ、人は勝手な幻想を抱くだろう。
幼少期、ヴィレはよく人間の思考回路についてそんな疑問を抱いていた。
己は、そんな素晴らしい人間でも、ましてや神でもない。
同じ人間から崇められる。
それは、彼にとってとても息苦しい日々だった。
しかし、そんな悲壮な想いを吐露することも彼はしなかった。
〝自分は特別な存在ではない〟
そう宣言したところで、誰がそれを肯定してくれる?
答は『否』。
わからないなら、気づかせればいい。
なんと愚かだったのだろう。
自分はその役目があったからこそ、贅沢な暮らしを続け、精神的以外、何不自由なく育ってきたというのに。
それを放棄したいと心の奥底で闇を燻らせていた。
その毒花の種に水を与え続け、いつの間にかその実を咲かせようとしていた。
身体が毒され堕ちていく。
その手を掴んで引き止めてくれた。
だから、俺はあなたのために――。
最近、王宮内で秘めやかに囁かれし噂。
『ダイヤモンドの宝石眼が、変わられた。積極的に公務を行っている――』
その姿を見た誰かが呟く。
まだ、足りていないと神はおっしゃているのだろうか。
あんなに輝きを放っているのに、それ以上に眩く直視できない神々しさ。
あれほど、嫌った場所。
そこに立っているときの姿。
それがやはり彼にとって最も相応しい。
なんと、皮肉なことだろう。
そこに、就きたい者など掃いて捨てるほどいるのに。
最もそこから逃れたい人間ほど、そこに立たされる。
人生とは、なんと歯痒いことか。
そして、面白いことか。
それでこそ、生きる価値がある。
ガチャ――。
ヴィレの自室に入室の許可を得て、ユーリが訪室した。
彼もまた、見た目には見えぬ成長を遂げていた。
人を信じることは素晴らしい。
しかし、大切なモノは生きるなかで増えていく一方なのに。
生きていくなかで、それを減らす選択をしていかなければならない。
自分の小ささを知ってしまった。
器には決まった量しか水は入らない。
たった一滴でも、過ぎれば零れて二度と戻ってこない。
増えていくからこそ、減らさなければならない。
いざという時に、迷わないように。
優しさと冷酷さ。
どちらも併せ持つことこそ、この世で最も難しい。
相反しているから。
でも、それがユーリの選択した道。
〝道〟とはとても呼べない。
そこは一切舗装されてないから。
だから、自分で切り開く。
己の器は他者よりとても小さいことを知っているから。
だからこそ、その僅かな隙間を埋めた唯一人の人くらい、命に代えても守護しなければ、己の生きる意味がない――。
「ヴィ……王子。お仕事は御進みですか?」
「はい。――いや、そう……だな」
今では、ユーリは滅多に彼を名で呼ばなくなっていた。
今では、ヴィレは必ず敬語を言い直そうと努力していた。
お互いに甘えていた。
それこそ、二人が犯した共通の罪であったと理解し合っているから。
ユーリが視線をずらせば、ヴィレの机には山を連想されるほどの書類が積まれている。
これが、今まで彼が蔑ろにしてきた民衆の望み。
彼なら、叶えることもできた案件が、見返せばいくつもあった。
それを読み返し、自分に吐き気がするほど涙を流した記憶は未だに新しく、鮮明に脳裏に焼き付いている。
自分は、気づかれないように望みを遂げようとしたくせに。
素直に詞に出せる望みを、自分は見捨ててきた。
ツケが何十倍もの重しとなって、今彼を縛り付ける。
それを、もう怖がらない。
瞳を逸らすという選択肢は、自分にはもうないから。
「次は、クヴェレ公爵家ですか」
ユーリは、ヴィレの次の予定を確認した。
最近、寝食を二の次にして、ヴィレは様々な地へ視察に出向いたり、貴族の集会に出席している。
それは、こちらも驚かされるほどに。
「あぁ。かなり大々的に開催されるらしい。出席しないわけにはいかない」
「……大丈夫ですか?」
「……あぁ。彼らにも理解してもらいたい」
今まで出し抜かれるなら、それでいいと悠長に待っていた。
それこそ、彼が望む目的地だったから。
クヴェレ公爵家。
王位継承権第二位の王子。
その母親の実家である。
つまるところ、ヴィレの義弟の家――。
もし、ヴィレが存在しなければ、ダイヤモンドの宝石眼という称号も、王位継承権第一位という地位も、彼の物だったかもしれない。
目の上のたんこぶ。
誰だって、良い感情を持たれているとは楽観視しない。
当然、クヴェレ公爵家の行事にヴィレが積極的に参加することも少なかった。
しかし、彼がこれから目指すのは国に認められた王。
彼の守るべき民に彼らも含まれている。
今更、虫の良いことを言うな、と門前払いを食う羽目になるだろう。
それすら、乗り越えていかなければならない。
王になる。
あなたに、恥ずかしくない生き方をしたい。
ヴィレはかの人を想い、心が熱くなる。
サファイアの宝石眼――。
会いたい、遇いたい、逢いたい。
でも、今はその時じゃない。
彼は、軽く頭を左右に振り、公務に戻った。
それを、ユーリは少し不安げに見つめた。
「また、サフィー殿には招待状を送らないんですか?」
「……彼女には、好きに生きてもらいたい。これは、単なる柵にしかならない。彼女には味あわせたくないんだ」
なぜ、サファイアの宝石眼となったサファイアが、なんの音沙汰もなく平和に以前と変わらない生活ができているのか。
それは、総てヴィレが王宮にてその依頼を引き留めているからだ。
彼女に自由を与えたのは自分。
なら、それを維持しなければ。
ユーリは静かに下を向いた。
この考え方は間違っている――。
そう、思った。
しかし、彼はそれを忠告しなかった。
彼の奥底にある、父親に言われた詞が蘇る。
「ユーリ。もし、お前の選んだ主の選択が間違っているのでは、と判断したとき、お前はどうする?」
「えっ?もちろんそれを正します。それが臣下の役割でしょう?」
「それも、正解だ」
「それも?」
ユーリは自分と血の繋がった父親の真意を図り切れなった。
だって、それ以外の正解が彼には見当たらなかったから。
「私は違った。試した。どこで、王が己の過ちに気づくのかを」
「!」
身体に震えが走った。
父親の、臣下として赦されない行為を犯したことに対してではない。
恐怖ではない。
興奮する、己に――。
「結果的に、私が仕えた王は間違わなかった。すぐに改めた。――私は最初の一度だけ試した。そして、それで最後にした」
「……」
「――まぁ、好きにしろ」
それだけで会話は終了した。
だが、その詞は強く彼に残存した。
主を試すなど以ての外。
しかし――。
試したい、と思ってしまった。
そんな機会がもう訪れた。
そして、実際ユーリは進言しなかった。
ヴィレの明らかな思い違いについて。
(恋は盲目と言うが……。こんな詞が残るんだ。余程、古より色恋は人を鈍らせるということか)
ユーリはただ、そこで最敬礼をした。
「あなたの望むままに、付いていきます」
もし。
己の選んだ王が、最後まで間違いを正せなかったら?
父親は嗤った。
『そしたら、運が無かったと思って、一緒に地獄へ堕ちるだけだろ』
そう言って、忠臣はまた嗤った。




