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やがて、呪文が効力を発揮し落ち着きを取り戻せた頃にサファイアは取り繕って話し始めた。
「いっ、いえ。そんな恐れ多い。……それにまだ、自己紹介をしておりませんでしたね。無礼をお許しください。私の名前はサファイア・ローと申します。どうぞ、お好きにお呼びください」
いくら彼女とて、サファイアの宝石眼として正式に就任したからといって内側まですぐに大人へ切り替われるものではない。
そこは、感情を消し去れなかった。
暗に、あなたの名前なんか知りませんよ、という皮肉を込めてサファイアは自己紹介をしたのだった。
もちろん、これだけは優雅と呼べる礼をして。
その辺りの礼儀は家族とタッキーにしっかり教育されている。
ターコイズの宝石眼は、サファイアの返しに瞬きを数回すると、その場に軽やかな動作で立ち上がった。
まるで、舞台の役者のような絵になる振る舞いだった。
「これは、こちらこそ失礼な態度を取ってしまったね。そこの、た……レッサーパンダの彼の言う通り、少し長生きしすぎてるもので。自分の名前を告げる機会も最近ではめっきり失っていたからな」
彼は、自分に語りかけているように謝罪の詞を口にした。
(なんだか、外見と全く口調が合わない人)
サファイアは密かに思っていた。
もっとも、世界一その不釣り合いさが大きい存在にはすでに出会い済みだが。
サファイアは静かにタッキーを見ていた。
「いえ、こちらこそターコイズの宝石眼の名も知らず無知で申し訳ないです」
「いえ、淑女に対して失礼を。私の名は、クルス・シュッツハイリンガーと申します」
彼の出番が終了すると、タッキーがやっと気力を取り戻しつつあるようで口を開き、舞台に上がってきた。
「……食い終わったのなら、さっさと用件を話せ。わざわざ就任式まですっぽかしといて、今更のこのことここまで出向かなきゃならなかった本当の依頼を」
「「!」」
サファイアとクルスは同時に驚きを露わにした。
〝依頼〟ということは、つまり――。
「驚いたな……。やはり君が本物の呪師で間違いないようだね」
「――!」
「……」
彼の確認にサファイアは驚いたが、タッキーは動じていなかった。
「タ、タッキー……」
「ふん。心配無用だ。どうせ、初めから知っててここを訪れたんだろう?」
「えっ?」
サファイアが声を上げた。
「その通りだよ。俺は一か所には決して留まらない。だからサファイアの宝石眼就任の情報を手に入れた折に、いつのまにやら色々と風の噂が俺の元に舞い込んでくるんだよね」
――心配しなくても他言はしないよ。
クルスは笑みを浮かべた。
(つまり、ターコイズの宝石眼だからこそ知りえた情報ってことよね。よかった。タッキーの正体がどこからか漏れたのかと思った)
サファイアは張りつめていた糸を緩めた。
それとは、逆にクルスは表情を引き締め密談をするように小声で語りだした。
「――でも依頼をする前に、一ついいかな?実は、宝石鑑定士である彼女に真偽を判断してほしい代物があるんだ。……ここからたった一粒しかない本物の宝石を真贋していただきたい」
「えっ……?」
サファイアはいきなり話の矛先が己に向いたことに面食らった。
クルスはサファイアの返答を待たず、懐から古惚けた中央にくすんだ濁りが目立つ深緑の鉱物がはめ込まれた粗末な宝石箱を取り出した。
そのまま鍵も掛けられていないそれを開いた。
なかには二粒の宝石が各々輝きを魅せ、姿を現した。
どちらも、ターコイズに〝見える〟宝石だった――。
「お願いできるかな?――あなたに当ててほしいんだ」
クルスの笑みは一度として歪むことはなかった。




