8 選択と仮説
寂れた誰一人好んで近寄らない食肉の館。
そこに似合わない豪華な洋茶器を優雅に使用し紅茶を飲む主。
お気に入りのアッサムは牛乳と相性が良く、その癖がない芳醇な香りが特徴である。
タッキーが帰途した時、館内になに一つ変化はなかった。
家の管理を任せていた召使たちも今は普通のリスに戻っている。
なにもかもが元通り。
……そうなればいいと思っていたのに。
「広いな……」
タッキーは誰も返事をしない空間に呟いた。
嵐のような人間だった。
いきなり飛び込んできたかと思えば阿呆な望みを吹っかけてきた。
しかも自分から寿命を差し出すなどと。
追い返そうとしたら、正体を知られた上変な男どもの来襲に善呪師の振りをさせる羽目になった。
演技もろくに上達しなかった。
そのくせ俺の心配ばかりしていた。
最後は、そんな小娘のために命を投げ出していた。
そして……その命を救われた。
善呪師がなんてお笑い草だ。
タッキーは少し乱暴にカップをソーサーに置いた。
これで良かったのだ――。
よくよく考えれば、あいつは俺をとんでもなく失礼な名で呼んだ阿呆小娘。
もう、呼ばれなくなってむしろ晴れやかな心地だ。
そう。
もう呼ばれない。
「タッキー!」
(そう、こんな風には……)
「――ってえ!」
タッキーは仰け反った。
目の前には肩で息をする漆黒に蒼い波を漂わせる瞳を持った女が手に大荷物を抱えて立っていた。
「小娘……」
タッキーは目の前の光景が俄かに信じられなかった。
自分は夢を見ているのかもしれない。
そんな考えに浸ってしまった。
そんなことはお構いなしにサファイアは荷物をすべて床に置きタッキーに頭を深く下げた。
「善呪師さま、私の望みを叶えて下さい!」
「ハァ?」
タッキーは素っ頓狂な声を上げた。
「私を……善呪師の助手としてここに置いてください!」
「――!」
「私はサファイアの宝石眼で地上の者を摩に囚われないようにする役目がございます。しかし、まだ自覚したばかりの半人前です。だから、呪師さまの下で修業したいのです」
そして、サファイアは懐から小さな箱を取り出した。
「代償は、このサファイアの涙の粒でお聞き届けください!」
そうして、また深く頭を下げた。
「……」
なんの返答もないことに緊張しちらっと正面を見るとタッキーは上を向いていた。
「……足らん」
やがて、長い沈黙から彼は口を開いた。
なぜか、少しその声に震えを持ちながら。
「え?」
「俺の下で働くなど、相当な名誉だ。お前の半人前の宝石だけでは足らん」
「あっ……」
サファイアは落ち込んだ。
「だから……」
「?」
「暫くはタダ働きだ!……まあ飯くらいは食わせてやる」
「――!」
サファイアはそのままタッキーに抱きついた。
「こらっ、小娘!苦しい!」
「ありがとう、タッキー!」
サファイアの遠慮のない抱きしめに、善呪師として師匠になったこの館の主は苦笑しながら、その行為を許していた。