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その白亜の佇まいは、女性なら誰でも一度は憧れ夢見る己が主役として最も美しくあれる場所。
サファイアの宝石眼の姉でもある彼女の結婚式は、それはそれは盛大に、国一番の要人しか使用しない歴史高い大聖堂とも呼べる教会で執り行われた。
「準備はできたかい?」
男爵が美しく着飾った妻の控室へ入ってきた。
「――はい」
そう言って振り返った彼女の顔は幸福に満ち溢れ普段の何倍も麗しかった。
「美しい……」
「ふふ。ありがとう」
サファイアの一大ニュースは当然男爵の家族にも届いた。
男爵の両親は、自分たちが宝石眼の身内になれる千載一遇の好機を潰そうとしていたことを知り、大慌てでハルトへ謝罪に向かった。
男爵はそんな両親の姿を少し浅ましく感じていた。
「怒っているかい?私の両親を」
「あら、どうして?家族になるのよ。そんなこと考えもしなかったわ」
妻はやわらかく微笑んだ。
「……あなたこそ。よく私と結婚する気がまだあったわね」
「……」
スズランが少し声を潜めた。
「私、あの日すぐにあなたに別れと真実を打ち明けたのに……」
そう――。
スズランは妹が家を出ていった直後、男爵に婚約を白紙にするよう頼みに出向いていた。
「君は、私より妹さんが大事だときっぱり宣言したね」
「そうよ。あなたとの結婚は妹のためよ」
スズランは自分の声が震えていないか、内心では怯えていた。
「……嬉しかったんだよ」
「え……?」
「知ってたんだよ、私は君の気持ちが自分に向いていないことを……」
スズランは口元に手を添え驚きの声を抑えた。
「だから嬉しかった。私を利用していることを隠し続けるのに罪悪感を抱くくらい、私に好意を寄せてくれ始めたことを実感できたから」
スズランは両手で顔を覆った。
昔、自分の妹が瞳の色で周りから白い眼で見られていることはすぐに気が付いた。
しかし、自分はそれをどうすることもできなかった。
ただ、慰めの詞を掛けるしかなかった。
そんなある日、サファイアが数人の子供に苛められている現場に遭遇した。
サファイアは黒目をどんなに蔑まれても声一つ上げなかった。
しかし……。
「お前の姉さんも実はどっかおかしいんじゃないのか?」
子供の戯言。
今は姉妹にだってそれが理解できる。
だが、当時のサファイアにはこの台詞は赦せなかったらしい。
自分より力の強い男に立ち向かって取っ組み合いの喧嘩になってしまった。
当然相手側の親から苦情が届いたが、この日だけはサファイアは喧嘩の理由を訊かれても口を割らなかった。
私だけのために――。
「勝手なことを思ってしまったのよ」
「えっ?」
「妹が黒目で生まれたのは、私だけに愛されるためなんだって」
男爵が目を見開いた。
「だから、ずっと籠の鳥にして私の手のなかだけで啼いてくれればいいと本気で考えていたの」
「スズラン……」
「妹が家を出ていったあの日も引き留める自信はあった!でも、気が付いたら送り出してたの……」
スズランが声を張り上げた。
自分が本気で縋り付けば引き留められる。
それなのに、足が突然動かなくなる感覚を覚えた。
あれこそ、神がサファイアを宝石眼として自覚させるために障害を潰そうとしたからかもしれない。
スズランには、それだけの罪があったから――。
「……多くの幸せを望んだから罰が当たったのよ」
サファイアがスズランを想うように、自分もサファイアだけでいいと思っていた。
しかし、自分に好意を抱いてきた男性のなかで、黒目の忌まわしき娘を妹に持つ姉だと知っても変わらず愛を紡いでくれた男を彼女はいつしか特別に想っていた。
妹だけを一番に見れなくなっていた。
だから、神が鳥籠の鍵を壊してしまった。
幾重にも掛けたはずの鍵を一瞬で――。
「でも、どうしてかしらね。今あの子が国中に愛される存在になったことを嬉しく思う自分がいるの」
スズランは自分の両手を見つめた。
確かに、自分はこの手から宝物を滑り落してしまったというのに。
「当然だろ。――君は彼女の姉さんなんだから」
震える妻を腕に抱きながら、夫はその身体をしっかりと受け止めていた。
スズラン。その可憐な華の全身に毒があることを知る者は少ない。
まさしく美しい華には毒がある――。
「姉さま、おめでとう!本当に綺麗よ」
サファイアの祝いの詞にスズランは微笑んだ。
「ありがとう。……もういいのよ、サフィー」
「え?」
「行きたい場所があるんでしょう?」
「姉さま」
サファイアが苦しげに呟く。
帰ってくると約束したくせに。
また、出て行こうとする自分。
その苦しさをスズランは、よく、わかっていた――。
本当に自分にはもったいない良い妹だから。
自分の口からそれを言わない、いや、言えないだろうから。
こちらから助け舟を出してあげないと。
だって、それが、姉の役目でしょう――。
「どちらにせよ、サファイアの宝石眼のあなたをハルトに留めて置くことはできないわ」
――お店がお客様で溢れちゃうもの、とスズランは笑った。
「……」
「――だから、行きなさい。あなたの新しい居場所へ。……でも、必ず手紙を頂戴。時々顔も見せてくれなくては厭よ」
スズランは、夫の手を握りしめながらサファイアの背中を押した。
サファイアは、その姉と義兄の顔をちらっと横目で見ながら一度深々と礼をし、走り出していた。
気持ちは一つだった。
逢いたい――!
私に〝生きる道〟を与えてくれたかの者が居る場所へ。