5-6
「ハハ……。何を言い出すんです、王子」
ユーリが、呆れたような乾いた嗤いで言った。
ヴィレは気に留めず話し続けた。
一瞬、タッキーを一瞥してから。
「ある方に、はっきり見抜かれたんです。……自分の自分ですら自覚していなかった望みを……」
ヴィレはその国宝といえる瞳を閉じ回想していた。
「お前、本当はダイヤモンドの涙が見つからなければいいと思ってるんじゃないか?」
その瞬間、本当に何を言われているか理解できなかった。
同じ言語を呟いているのだから、詞としては受け止められる。
しかし、自分にそれの是非を問う者などいないだろう。
この異様な生き物以外――。
ヴィレは、時間にすればほんの一瞬で反応を返した。
しかし、その間確かに己が呼吸をするのを忘れていたのを自覚していた。
「君は……、失礼だが自分が何を言ってるのかわかってるのか?この場で切り捨てられてもおかしくないことを発言していることに」
「あぁ」
タッキーは、間髪入れずに返答した。
ヴィレは自分が初めて歯ぎしりをしていることに気づいた。
「……どうして、そんな馬鹿げた絵空事を思いつく?」
タッキーは一度息をついてから己の推測をヴィレに語った。
あまりにも残酷な可能性を――。
「俺は、最初お前たちからダイヤモンドの涙を捜索して欲しいという依頼をされた時から疑問だった。確かに、色々可能性はあった。お前や大司教がユヴェール神に犯人への怒りを、罰を与えないよう模索していることを。だが……」
タッキーは一度豪華な設えの窓の外に広がる雲一つない空を見上げた。
まるで、ヴィレではなくその遥か先におわすかの存在に訊ねるように。
「それでもありえない。神が天候一つ変えずに過ごしている今の状況が」
――少しは己の怒りを民へ示してもいいはずだ。
その声は、静かにヴィレに降り注いだ。
まるで、大雨が降り出す直前のように。
「……では、なぜ神は何もしない」
ヴィレは問うた。
きっとこの後彼が言うであろう詞を予想しながら。
しかし、タッキーは微笑した。
「俺は、お前が盗んだとは思ってねーよ」
「えっ?」
思わず視線を合わせた。
動物は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「確かにその可能性が大きい。だが、お前はそんなことしない」
「……どうしてそう断言できる?」
ヴィレは、もはや訊ねることしかできなかった。
「お前は侯爵と一緒に宝石を探しに来た。今の今まで、その目的が変わったようには見えない。だから、お前には自覚がないのさ」
――もし、宝石が発見されず建国祭に偽物を民衆にお披露目した後に起こるであろう事態を〝期待する〟自分をな、と告げた。
ヴィレは震えた。
期待?どうして自分が?そんなことを……。
本当にわからないなら、震えるはずなどないのに。
「お前、本当はダイヤモンドの宝石眼として生きることに、未来の王として国の頂点に立ち皆から崇められ続けることを本心では望んでいないんじゃないのか?」
――神にその真意を悟られてるんじゃないのか、と本人に訊ねるには、あまりに残酷な裏の真実を一度も躊躇せずに言い切った。
愕然とした。
たとえ、頭の片隅にそんな可能性がよぎったとしても、誰がそんな己の身が危うくなる発言を口にするだろう。
ましてや、当人には尚更だ。
ゆっくりと己の心臓に手を当てた。
心臓は一度大きくドクンと鳴ってから急速に鼓動を打っている。
典型的な嘘を見破られた時の状態だ。
無自覚は、その真意を知らされた瞬間から自覚へと変貌する。
もう無知ではいられない。
そして時を刻む針のように逆戻りもしない。
そう、二度と――。
「くっ……」
ヴィレは苦悩の表情となった。
「……お前は、どうして犯人はダイヤモンドの涙を盗んだと思う?」
突然タッキーが訊ねた。
盗んだ理由?
色々考えた。
しかし、ヴィレは一つに絞りきるまで思考を続けなかった。
どの理由でも犯人を見つけるつもりはなかったから。
ヴィレは力なく首を横に振った。
「俺は、もし三大公爵家当主の誰かが犯人なら、その理由はお前の臣下だからかもしれない」
「えっ……?」
「神がたとえお前の真意に気づいていたとしても、それが犯人へ罰を与えないかどうかはまた別問題だ。だが、盗んだ理由が己の欲望のためじゃなければ話は別だ」
「……」
嫌な呼吸音と汗が伝う。
汗をかくこと。
それすら、あまり経験のない自分に。
また、嫌気がさした。
「――そいつはお前が王に就きたくないという思いを知っていた。だから、お前の望みを臣下として叶えてやろうとしたんだ。国を揺るがす大悪人に自分がなったとしてもな」
「!!」
ヴィレは、目を見開いた。
「俺のため……?」
信じられない。
そんなこと。
ありえない。
「甘えるな!」
ビクっとした。
タッキーの怒鳴り声がヴィレの脳髄にまで届いた。
「俺は、お前の望みを叶えたと言っただけだ。お前のためだとは言ってない」
「しかし……」
「臣下として為すべきことは、王の望みを叶えることではない。国にとって相応しい王を選定し導き仕えることだ」
国にとって相応しい王。
そんな存在に果たして成りたいと願った日が己にただの一瞬でもあっただろうか。
ヴィレは反芻し動揺した。
「臣下として、お前は王たる素質がないとふるい落とされた。だから、国宝を盗むことで臣下としてそれを示したのかもしれない。望みなら叶えてやる。だから、とっとと土俵から降りろ。それが、国のためなんだってな」
ヴィレは、その詞の終了と共に崩れ落ちた。
やっと理解した。
なぜ神が犯人へ罰を与えないか。
自分がひた隠し、自分すら気づかないように押し込めていた欲望は、とうの昔に気づかれていた。
だから、一方には愛し子として望みを叶えられ、他方には情けで己の弱さを露呈させずに罪を代わりに被ってくれたのだ。
目の前の断罪者は、俺のためではないと言い切ったが、やはりどちらも自分のための行為だったのだ。
犯人を見つけない。
自分がそう宣言したのは、犯人が誰であろうと許す気でいたから。
それがそもそもの間違い。
単なる驕り。
激しい羞恥心に駆られた。
己こそが、本当の咎人だったのだ――。
ヴィレの長い告白に誰も口を挟めなかった。
彼が途中からその頬を濡らしていたことに気づいてもだ。
なのに、彼は自分でも気づいていないだろう。
己が笑みを浮かべていることに……。
ユーリは、目の前の主を見つめるしかなかった。
こんなことを言わせたかったんじゃない。
こんな目に遭わせたかったんじゃない。
ただ、欲望渦巻く上流階級の世界のなかで初めて美しいと、崇めたいと願った瞳を持つ者を己の生涯の主にしたいと願った。
それすら、重荷だったのかもしれない。
自分ではない誰かは気づいていたというのに。
「……侯爵。ウンシュルト公爵は今大司教様のところにいらっしゃるのでしょう?向かいましょう。――真実を知るために」
意外にも、冷静に詞を紡いだのはサファイアだった。
男たちは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
犯人に会いに行く。
そして、聴くんだ。
その者の動機を。
大罪を犯してまで成し遂げたい、その者にとっての価値を。
ヴィレは目元を拭ったとき、それの一滴がダイヤモンドの結晶になっていることに気づいた。
それは、とても小さかったが強く光り輝いていた。
サファイアは知っていた。
きっとこんな忠告が王子にできるのは彼だけだと。
そして、その詞は確かに厳しいけれど、それとは裏腹に自分の糧となり成長させてくれるためのものだと。
もう、王子は大丈夫。
自らの弱さを知ることは決して悪いことではない。
認めることは怖いけど、前よりほんの少しでも自分を好きになれるから。
最初は、自分の姉をなんの障害もなく幸せに結婚させようと試み、勇気を振り絞って一歩踏み出した。
その結果、知ったのは己の弱さ、醜さ、驕り。
どれも、汚い人間の欲望だった。
それでも、それを教えてくれる存在に出逢えた。
己の身を顧みらず、嵐の前に投げ出せる人に出逢えた。
主のために、己の尊敬する父にすら立ち向かおうとする人に出逢えた。
(姉さま。私は、あなたとの約束一つ守るつもりはなかった……)
こんな私は、きっと今この人たちと一緒に居ることすら許されないでしょう。
だから……。
私は、必ずあなたの元へ帰ります。
妹として――。