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書斎までの道筋は螺旋階段となっており、まるで囚われの姫でも囲われているかのような重厚かつその佇まいは、冷淡さを醸し出しており、サファイアは身震いを覚えていた。
「すごい螺旋階段ですね」
「父が設計士に無理を言って増築させたんですよ」
人に見られぬように慎重に時間をかけながらも、一行は目的地に到達した。
「ここです」
ユーリが扉を開くと、水鏡に映し出されたそのままを記録した部屋がそこに在った。
「金庫はこちらの部屋です」
見ると、確かに書斎の奥の部屋に金庫は存在していた。
このなかに、ダイヤモンドの涙が人知れず隠されている――。
そう考えると、いけないと知りながらも宝石鑑定士として、興奮しないわけにはいかない。
「それでは、今から鍵穴を傷つけます」
「あぁ、実行するのはあくまで第三者。この場合、そこの王子に頼むこととなりますが、いいですね」
タッキーの詞に、ヴィレとユーリは神妙に一度頷いた。
彼は、ユーリが隠し持っていた金槌や鋸をその滑らかな労働を一切知らない美しい両の手で慎重に受け取り、鍵穴付近に傷をつけ始めた。
「それ位でいい」
数分後、傷は鍵穴の型をほんの少し歪めただけだったが、それでも、もう正規の鍵での挿入は不可能だろう。
「よし。お二人に先に言っておくことがある。善呪師の呪は、本来人目に触れさせることができない。だが、今回はこうしてあなた方の目の前で呪を執行する他ない。そのため、今回はこの優秀な助手である私が、代理で行う」
「え?」
「サフィー殿が行うのではないんですか?」
二人は、少し目を見開いて言った。
「この程度の呪は、助手でも使用可能だからな」
「そ、そうですか」
不審に思いながらも、鍵穴の開閉など本当に簡単なことなのだろうと二人は納得していた。
というより、二人はそんな些細な疑問を解決するよりも先に、まずこの巨大すぎる難問を解き明かさなければならない、という強迫観念に駆られて思考が働かないようであった。
(簡単なわけないでしょう!呪ができるなら、それはもう助手じゃなくて呪師そのものよ!)
サファイアは心のなかで必死に二人へ語っていた。
タッキーは、サファイアが持ち込んでいた瓶を何種類か吟味し、一番小さな瓶を選び、そこへ水筒の清水を注いだ。
そして、持っていた紙に万年筆でスラスラとまた意味不明な単語を並べていった。
「よし。いいぞ」
タッキーが両手を翳すとまた、瓶が宙に浮き清水が光り出した。
「これは!」
さすがの二人もこの常識では考えられない光景に、その力を信用するほかなかった。
光水は、今度は薄紫色に変化した。
前回よりも色が濃い。
(まあ、実際は公爵の持ち物だし、前回より幸い度は低いわよね)
サファイアは一人納得していた。
「できたぞ」
その詞に瓶はタッキーの手元へ納まった。
「よし、掛けるぞ」
タッキーは、なかの光水を半分ほど掛けた。
すると、金庫が一瞬霧のようなものに包まれ、鍵穴の奥からガチャッという効果音とともに鍵が開き金庫の扉が開いた。
「開いたぞ」
タッキーの詞に、ユーリは勢いよく金庫を開いた。
しかし……。
「な、ない。ダイヤモンドの涙がない!」
金庫のなかは、確かに国宝級の宝石や金貨が積まれていた。
しかし、目的のダイヤモンドの涙だけは影も形も存在していなかった。
ユーリは、その場に力なく座り込んだ。
「ど、どういうことですか?」
ヴィレはサファイアに訊ねた。
「えっ、えっと……」
「可能性は二つ」
タッキーが、金庫の扉を閉め再び光水を掛けると、扉は傷一つない元通りの姿となった。
「どういうことですか?」
「ここに宝石がないのは、俺たちがここへ来るまでにどこかへ移動したということだ。問題は誰が移動させたかだ」
「誰が……」
「一つは、公爵家に恨みを持ってここへ隠した犯人が、またなんらかの理由でここへ置くことができなくなり取り返したか。もう一つは……」
「……鍵を所持している人間が堂々と持ち出したか」
「ユーリ!」
ユーリの発言をヴィレが強く制した。
「そうだろう!前者は考えにくい。父上に恨みを持つ者が、宝石をわざわざ危険を冒してまで取り返すとは考えられない。移動可能なのは鍵を所持している父だけだ」
ユーリが吐き捨てるように断言した。
「ヴィレ。もう疑いようがない。他の可能性なんて考える余地はない。――父を、ウンシュルト公爵を捕えよう」
「ユーリ、待ってくれ!」
「離してくれ!俺は、尊敬していたんだ。今この瞬間でさえ。だから、俺が罪を暴く」
ユーリは、咽び泣いていた。
一度は、一縷の希望に賭けた。
しかし、結果は最悪の道筋を辿った。
ヴィレは必死にユーリを制止させようとしたが、誰が考えても状況は公爵に分が悪い。
「……力ではわからないものもある」
「え?」
全員が、その小さな身体を見下ろした。
「今、どんなに言い繕ってもウンシュルト公爵がダイヤモンドの涙を盗んだ犯人である可能性は濃厚だ」
「タッキー!」
さすがのサファイアもタッキーの容赦ない刃のような断言を制止させようとした。
しかし、タッキーはそのまま悲壮に暮れる、ヴィレとユーリに淡々と語り続けた。
「ここでもし今、宝石を持ち出した人間の姿を映しだしたら、俺も公爵が映ると思う。しかし、それを見ればそれで終わる。真実は闇のなかだ。それは、本人の口から訊きだすしかない。それが、父親なら尚更だ」
「真実……」
「人はおかしな存在だ。一人ずつ全く異なるものに価値を見出し、異なるもののために動機を生み出す。その価値、動機がわからなければ本当の意味で公爵が悪人かはわからん」
タッキーは、なぜか遠くの空を見ながら呟いた。
誰か、タッキーにそう思わせた人間がいたのだろうか。
サファイアは、そんな気がした。
「……価値と動機がわからなければ、悪人かはわからない」
ユーリは、タッキーの詞を反芻した。
「ユーリ」
ヴィレは、未だ立ち上がれない臣下に声をかけた。
「それでも……」
ユーリが拳を握りしめる。
歯を食いしばったその唇の縁から、うっすら鮮血が見えた。
「え?」
「――それでも、ダイヤモンドの涙を……王子の害になることを父が故意に行ったとしたら、私はこの憤りを消すことができるのでしょうか……」
――それほどまでに価値のある動機などあるのでしょうか、とユーリはまるで独り言かのようなか細い声で訊ねた。
サファイアは、何も答えが見つからなかった。
宝石は知識と経験から、本物か偽物かの真偽を口に出して述べられる。
そこに一切の迷いなく堂々と。
その宝石にどれほどの価値があるのかさえも。
しかし、これには正解はない。
きっと〝解〟は人によって異なるほどの数が溢れでるだろう。
ただ、それが〝正〟であるかは、当人にしか判断できない。
そこに、生身の人間の感情が入り乱れると、そこに共通の判断基準など存在しないのだから。
サファイアが顔を背けようとしたとき、その者は静かに、しかし決心を固めたように口を開いた。
「……ありますよ。宝石を盗んだ理由は、きっと私のためだったんです――」
全員が一斉に同じ人物へ視線を注いだ。
そう、ダイヤモンドの涙をこの世に生み出した張本人を……。