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ブラックサファイア  作者: 早紀
21/227

5-3


 途端、応接間という空間に、王子とレッサーパンダのみという奇妙な構図が意図せず完成していた。


 その、重たい空気を一切感じていない目の前の動物は流し目で己を見ながら呟いた。




「……お前、本当に王子だろうな?」


「当然だ。なにを言っている?」


「じゃあ、その変わりようは演技か?」


「人聞きの悪いことを言うな。私は、普段通りだ」


 ヴィレは、心底嫌そうな低い声を出す。




(どこがだよ)


 タッキーは心の中でヴィレの主張を否定していた。




「君こそ、彼女の前では助手として納まってるようだが、(あるじ)に対する扱いが些か不自然じゃないか?」

 ――どう見ても彼女の方が助手のような扱いを受けている、とヴィレはタッキーを睨みつけ批判した。


「俺とあいつのことはお前には関係ない」


 その正論にヴィレは喉の奥に熱いドロリとした、得体の知れないものが流れ込んでくる感覚に支配された。


 こんなこと再確認したくない。

 

 それでも、口を突いて出てくる。


「君と彼女はなにか善呪師(グーテツァオベラー)と助手以上の深い関係でもあるのか?」


「さあね」


 タッキーは、しれっと、その問いをかわした。




 むかつく動物だ。


 ヴィレは、自分が本気でそう思っていることに驚いた。


 この動物の前でこちらの顔が出るのに、彼女と(セット)で対応すると敬語口調の自分しか出ない。


 しかし彼女は、このへんてこりんな助手を心から大事にしている。


 それを黙想すると、行き場のない怒りが込み上げてくるのを抑えられない。




 そうして暫くの間、ヴィレとタッキーは沈黙のなかで火花をちらつかせることとなったのだが、今度は無関心を装っていたタッキーの方から喧嘩を吹っかけてきた。


「俺は、ずっと考えていた」


「何をだ?」


「お前、本当は--」




 その先の詞をヴィレは、たった一人で聴いた。


 この助手がわざわざ自分と二人きりになった瞬間を狙ったのは、果たして誹謗だったのだろうか。


 それとも……。




 ヴィレはこの時の出来事を、この先何年時が移ろい変わろうとも、忘却することなく何度も想起するだろう、と確信していた。


 やはり、目の前にいるのは愛玩動物(ペット)などではない。


 己を遥か高見より見下ろす存在なのだ、と。


 ヴィレは、唇を噛みしめることしかできなかった。 




 

 

「道に迷ったわ……」


 サファイアはその頃、大きな屋敷内で幼女のように隅っこでしゃがみ込んで途方に暮れていた。


 これだけ広大な屋敷とはいえ、家のなかで迷子になるとは、黙って見送ったタッキーですら思いつかなかっただろう。


 羞恥でそのまま立てなくなっていた。




「私は、厨房に行きたいだけなのに……」


 サファイアは、ヴィレのために何か爽やかな果実の飲み物でももらってこようと考えていた。


 ただ、それだけだったのに……。


 一つ溜息を吐く。


 そして、また立ち上がる。




 困っていれば。


 立ち止まっていれば。


 誰かが勝手に救いの手を差し伸べてくれる。




 そんなのは幻想であることを、彼女はよく知っているから。




 そうしてまた歩き出し、角を二回曲がると、近くの階段横に食堂室(ダイニングルーム)が見えた。


(やった!)


 サファイアは、歓喜した。


 食堂室(ダイニングルーム)付近には必ず厨房がある。


 そう考えていたサファイアは淑女の礼儀作法(マナー)を守りつつ小走りで近づいた。




 すると、その付近を侍女(メイド)が数名通りかかった。


 寝具(シーツ)を大量に抱えていることから洗濯侍女(ランドリーメイド)だろう。


 立ち聞きするつもりはなかったが、サファイアはふっ、と足を止めてしまった。




「本当に王子様だったのよ!しかも、あのヴィレ王子よ!本当にダイヤモンドがはめ込まれたような瞳だったんだから」


 一人の若い侍女(メイド)が興奮しながら仲間に話していた。


 どうやら、幸運にも王子の姿を垣間見たことを自慢しているらしい。


「いいわねー。私ら洗濯侍女(ランドリーメイド)は、お客様どころか屋敷の住人の方にさえお目にかかれる機会なんて滅多にないものね」


「シリンフォード侯爵様と並ぶお姿は圧巻だったわ。あれは、絶対に絵画として後世に残すべき光景だったもの」


 そう言いながら、表情はどこか別世界へ行っていた。


 まだ、脳裏に奇跡の残像が浮かび上がっているようだ。




「あら?でも女性もいらっしゃってたんでしょう?」


 他の侍女(メイド)が、窘めるように訊いた。


「えぇ。でも、どういう方かは誰も教えてくれなかったわ。箝口令(かんこうれい)が敷かれてるみたい。でも、姿は一瞬拝見したわ」


 サファイアは、ドキッとした。




 間違えなく、その女性とは自分のことだろう。


 自分の噂を立ち聞きすることほど、居た堪れない思いをすることもないだろう。




「やっぱり貴族の方?」


「それはそうでしょう。侯爵や王子と同じ馬車でいらしたらしいから」


(ごめんなさい。本当はただの宝石鑑定士の平民なんです……)


 サファイアは、影から侍女(メイド)たちに謝罪していた。


「でもね、変な愛玩動物(ペット)も連れて来てるらしいの。私驚いたわ、たぬきなんだもの!」


 侍女(メイド)が、些か声を大きく伝えた。


 それほど、奇妙な未知との遭遇だったのだろう。


(ち、違うわ!タッキーは似てるだけで本当はレッサーパンダよ!)


 サファイアは思い切って訂正するために彼女たちの方へ一歩踏み出しかけた。


 しかし……。




「それは変な方ね」


「しかも、その女性瞳が真っ黒なのよ!言ったら失礼だけど、ちょっと気味が悪かったわ」




 コツッ、と足を進めたところでサファイアは立ち止まった。


 侍女(メイド)たちは、それには気づかず、噂話に花を咲かせながら去って行った。


 サファイアは、やっと厨房付近に辿り着いたにもかかわらず、気づくと踵を返していた。




 早く、早く戻らなきゃ。


 そう、急いで。


 戻る?


 一体どこへ?


 わからない。


 でも、まだ、踏み出すにはもう一歩勇気が持てないでいる。


 それだけは、わかる。


 それでも――。




(大丈夫、大丈夫。私は、大丈夫。)


 サファイアはまるで呪文のように廊下を歩きながらそう唱えていた。



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