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ブラックサファイア  作者: 早紀
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5 二度消えたダイヤモンドの涙(トレーネ)


 館を出ると、外にはすでに馬車が待機していた。




「ちょうどお迎えに上がろうと思っていたところです」


 ユーリが小走りで近づきながら言った。


「それにしても……。善呪師(グーテツァオベラー)殿はいつもそうやって助手殿を抱っこされて仕事をしてるんですか?」


「え!」


 確かに、サファイアは今タッキーを腕に抱いていた。


 どう見ても、おかしな光景である。




 しかし、これには理由があった。


 つい先刻、タッキーとサファイアは食肉の館を後にするため、階段を下っていたのだが。


 その際、あまりに古びた館の埃まみれの階段の上を、四足歩行でタッキーに歩かせるのは、彼女にはどうしても忍びなかったのだ。


 タッキーは、もちろん断ったが己の足裏をよく見た彼は、悲壮な顔をしてサファイアに素直に従ったのだ。


 どうやら、あの侍女のリスたちは、本当にタッキーが館から離れる時しか変化させないようだ。




 だが、確かに世の中に部下を腕に抱いて歩く上司はいないだろう……。




「わ、私はタッキーを助手として以上に愛しておりますから」


 サファイアは、上手い言い訳が思いつかずにそう言い募っていた。


「……」


(沈黙が居た堪れない……)


 タッキーに至っては、首を振っている。


 完全に呆れられている。




「そ、そうでしたか。これは失礼。それではどうぞ馬車へ」


 ユーリは、恭しくレディーファーストでサファイアを馬車へ乗せ、自分たちも乗り込み馬車を出発させた。


 すると、なぜかヴィレがユーリを睨んでいた。


「どうしましたか、王子?」


「……狡いです」


「は?」


「……私が、お手を引いて馬車へお連れしようと思っていたのに、横取りです」


「……」


 ユーリの沈黙にサファイアは不安を覚えた。




(どうかしたか?)


 タッキーが察して訊いてきた。


 もちろん詞にはせず。


(うん……。これは一体どういう状況かしら?また沈黙に包まれちゃったわ。今度は私のせいではないわよね?)


(放っておけ、小娘)


 サファイアの問い掛けにタッキーは知らん顔をして呟いた。




 その変な間を感じ取ったのか、ユーリが慌てて取り繕う。


「え、えっとですね。実は、お二人を我が屋敷へ迎え入れるための策を講じてまいりましたのでその提案をお聴きください」


「は、はい」


 サファイアは、真剣に計画を聴こうと前を向き直った。


「私には、今年十歳になる妹がおります。その妹の家庭教師が最近結婚退職をいたしまして、その後任候補として屋敷を訪問していただいた、という設定はいかがでしょうか?」


 すかさずタッキーが指示を送ってきた。


「そ、それは良い(アイディア)ですわね。ですがタッキーはどうしましょう?」


 すると、ユーリは急に表情を曇らせ、心なしか下を向き語り出した。


 なにか、切り出すのを躊躇っているような間だった。




「……実は、私の妹は少々変わった趣味を持っておりまして……。家庭教師にたぬき……ではなくレッサーパンダのようなイカレた……でもなく、高貴な生き物を愛玩動物(ペット)にしているような独特な個性を持つ人間を好むんですよ」


「……」


 ヴィレは視線を逸らし、タッキーは苦い表情をした。


 反応に遅れたサファイアは、ただ声に出さないように努めた。




(どんなご趣味よ、それ!なんだか公爵家へ行くのが恐ろしくなってきたわ)


 心の中では、もちろん大絶叫だったが……。




「そ、それは……素敵なご趣味ですわね。私も実際お逢いしたくなりましたわ」


 サファイアは必死にお世辞を告げた。


 そんな上面な台詞、今まで耳にタコができるほど言われ続けたのだろう。


 ユーリは、ただ力なく微笑んだ。


「……ありがとうございます。ですから、一応あなたを末端の貴族という扱いにしたいんです」


「わかりましたわ、侯爵」


苗字(ファミリーネーム)は、こちらで怪しまれない名を拝借しますが、お名前はどうしましょうか?」


 ユーリは、そう呟きながら左手を顎に当てながら思案していた。


 そこで、ずっと気になっていた疑問を訊ねた。


「そういえば、お名前をお訊きしておりませんでしたね。確か、呪師(ツァオベラー)様は名を持たれないと聞いておりますが、普段からそう呼ばれてるんですか?」


 ヴィレもこちらを窺う。


 どうやら、気になっているようだ。


「あっ、そうですね。……では、サフィーとお呼びください。え、えっと、前にも偽名を使用しなければならない仕事の折にその名を使っていて、呼ばれ慣れておりますので……」

 

 サファイアは、とりあえず嘘が見破られぬように言い繕った。


「サフィー殿ですね。承知しました」


 ユーリは、万人が蕩けるような笑みを浮かべて了承する。




「あの!」


「っ!?」


 突然ヴィレが話に割り込んできたので、サファイアは驚いた。


「な、なんでしょう?」


「私もサフィー殿とお呼びしてよろしいですか?」


 ヴィレは、身を乗り出しそう問うた。


 サファイアは、首を傾げながら、それに頷く。


「え、えぇ、もちろんですわ」


「ありがとうございます。私のことはヴィレとお呼びください」


「……えっ!」


 一瞬、相手の王子が口にした詞を飲み下して理解するまで時間を要した。




(一国の王子を正式名で呼ぶのって末端の貴族でも許されないわよね)


 当然の常識を、今更になってサファイアは想起する。


「王子。無茶を言わないでください」


 ユーリの窘めにも、ヴィレは不満そうな顔を止めなかった。


 サファイアは、それを観察しながら、己もこの機会にずっと疑問だった問いを訊

ねてみたくなった。




 なにか、そこには意味や意図があるのか、と――。




「……あの。前からお訊きしようと思っていたんですが、王子は普段から目下の者に対しても敬語で会話されるんですか?」


「「――!」」


 空気が一気に冷めた。


 ヴィレとユーリは同時に息を呑んだ。




 そして、一瞬で探す。


 王子の身分を即座に見破った、この恐ろしい観察眼を持つ女性に見破られぬ透明の壁を――。




「……えぇ。実は、その、こうしてお忍びで王宮から外出される際には身分を偽るため敬語を必須にされているんですよ」


「あぁ。それで」


 ユーリの説明に、目の前の女性は案外容易くそれを信じた。




 それに、安堵したからか。


 それとも、少しの仕返しなのか。




 ユーリは質問返しをした。


「そうなんですよ。……そういえば、善呪師(グーテツァオベラー)……ではなくサフィー殿も色々な顔をお持ちですよね」


「えっ!」


 サファイアは、思わず声を引っくり返してしまった。


「最初に館を訪れた際は、こう無垢でなにも知らない少女のようだったり、王子の正体を鮮やかに見破る女傑(じょけつ)のような観察眼を持った女性だったりとまるで別人の方とお話しているような気さえいたします」


 何気ないユーリの質問返しにサファイアは焦った。


 横目でタッキーに助力を求めようとした。




 しかし……。




(――寝てる!すっごくスヤスヤと。そんな姿もかわいらしいけど!)




 馬車の心地いい揺れはタッキーには上質のゆりかごとなっていたのだろう。


 いつの間にか、頭をカクンッと前方へ屈みこんでうたた寝をしていた。


(うぇーん。そんなのアリなの!)


 絶体絶命の事態に、サファイアは顔を青白くさせてしまった。




「サフィー殿?」


「どうされましたか?馬車に酔われてしまわれましたか?」


「――!……えぇ、そうみたいですわ。あまり長時間館を離れる機会がなかったもので……」


 ヴィレの詞にサファイアは乗っかった。




 まさに、渡りに船。




「それはいけません!どうぞこちらへ」


「……え?」


 サファイアは、なにか恐ろしい発言をした男を凝視した。


 それを、彼は全く気にせず先を続ける。


「私の肩へ寄り掛かってください。さあ、どうぞ」


 そう言ってヴィレは、サファイアの手を引っ張り強引に横へ座らせた。


 一切、悪気のないその親切が、これ以上ない不親切だとは知らず。


 


(えーーーー!?どうすればいいのよ、この状況!私、王子を……しかも宝石眼(ユヴェールアオゲ)を枕代わりにしてる。しかも嘘の馬車酔いのために!)


 サファイアはもう失神寸前だった。


 いや、この際気絶した方が幾分いい。


 ユヴェール神から、今雷で罰が当たってもおかしくはない。


 そんな、恐怖の体験。




「……お前が、女性を肩に寄り掛からせるなんて」


 その横では、ユーリが目の前の光景に驚愕しつつ、全く的外れなことを呟いていた。


 ヴィレは、そのままサファイアの様子を心配する。


「サフィー殿。どうでしょう、少しはご気分は良くなりましたか?」


「……えぇ、ありがとうございます。もう大丈夫ですので――」


「いえ!道中(どうちゅう)はまだ長いです。どうかこのままで」


(なんて人の好い王子なの。こんなことしなくてもタッキーは代償分の仕事は絶対完璧にしてくれるのに)


 サファイアは、もはや馬車酔いなど関係なしに吐き気を催していた。




 結局その後、地獄の寄り掛かりは延々と続き、サファイアは公爵家への到着だけをひたすら待ち望み続けた。


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