4-2
二人の男が密談する。
ただ、なぜか双方の身分に合わない話し方に戸惑うかもしれないが……。
「いいですか、王子。昨夜は突然の訪問だったからあなたの本当の正体がバレずに済んだんです。ですが、今日はそうはいきません。善呪師とその助手があんな少女とぬいぐるみみたいな生き物だったから油断しましたが、それは偽り。あれは少女の皮を被った魔女です。ああもあっさり、王子の正体に気付いたんですから!」
早朝、王子と侯爵は身分を偽り宿泊した宿を後にし、馬車で食肉の館へ移動中だった。
昨夜は金貨のみを持参したように見せかけたが奥の手はきちんと用意していた侯爵があっさり引き下がったのには理由があった。
そのわけとは、なにを隠そうこの王子である。
「ですが、仕方ありません。なぜか彼女の前ではこちらの自分になっていたんですから」
「それ!その敬語使いの口調。本当になんとかならないんですか?王宮の社交界ではあんなに色男でいられるのに!」
ツァール国第一王子、ヴィレ・シュタルカー・ツァール。
彼を形容するとき、人々は口ぐちにその気品溢れた仕草、堂々とした立ち居振る舞い、女性への接し方、他人を寄せ付けない高貴な気配、全てにおいて他の追随を許さない、真のダイヤモンドの宝石眼と呼称する。
しかし、その王子が目の前の人間と同一人物だとは、その瞳を凝視しなければ誰もわかるまい。
「私も自分で驚いているんです、ユーリ。いつも自分ではどちらの自分になっているか人に指摘されるまで気づかないくらい無意識に変わっているのに、ここではこちらの自分しか出ません」
ヴィレは、侯爵ではなく一緒に育ってきた幼馴染としての彼の正式名を口にしていた。
それに、ユーリも口調を崩す。
元より、こんな二人きりの場で敬語を話した記憶はほぼない。
「王子、いえヴィレ。こうなったら仕方ないな。変えられないなら、せめて彼女たちの前では極力口を開かないように。どうしても話を振られた際は無口を装って口数を少なく。王宮のあなたとはまた少し違う姿を見せてしまうが、こんな敬語で無表情無感動の生気の薄い男よりはマシだからな!」
ユーリの臣下とは思えない言動の数々に、さすがのヴィレも渋い顔をした。
「酷いですよ、ユーリ。その言い方は」
「なら社交界用の顔を出せ!」
「道具みたいに言わないでくださいよ!そんなぽんぽん変われるなら苦労してませんよ」
ヴィレは、ダイヤモンドの宝石眼とはとても呼称できない情けない顔をした。
「ハア。本当にお前十八歳になった今でも治らないんだな。その激しい二面性」
――しかも、どちらも表の顔ってのが厄介だ。
ユーリは頭を抱えていた。
そう、もともとの彼はこのどちらの性格でもなく、いうなればこの中間程度の王子としても宝石眼としても最低限の威厳を兼ね揃えた人物だった。
しかし、ダイヤモンドの宝石眼として記念すべき十歳の誕生日を迎えた夜。
王は、それを祝福して大規模な舞踏会を開催した。
それも、王子と年齢の近い貴族の娘を殊更たくさん招待して……。
つまり、誕生日に託けた王子のお見合い舞踏会を開いたのだ。
当然、娘の親たちはハイエナの如く如何に娘を王子に紹介し舞踏に誘わせるかを競い合い、娘は娘で、次期国王で宝石眼の妻になることを強く望み、積極的に声を掛けてもらおうと無駄に着飾っていた。
しかし、そんなこととは露程にも考えていなかった王子は、その渦を真正面から一身に受け精神に異常をきたしてしまったのである。
彼は、文字通り壊れかけてしまった。
それを寸でのところで制御された。
自分を愛し子だと謳う天上の神に。
彼の代わりに次期王に相応しい人格を――。
創りだしてしまったのだ。
その日まで、女性への礼儀作法や接し方を苦手として家庭教師を困らせていたとは思えないほど、ヴィレは気障な台詞を言い続け、多くの娘と舞踏を踊ったのだ。
初めは、王子としていざ表舞台に立てばその責務を自覚し全うしたのでは、という都合の良い夢物語に浸っていた母親である王妃も、舞踏会が終了して帰途へ着いた息子を視て、それが間違いだったと気づいた。
ヴィレは、今まで見せたことのないような覇気のない顔で虚ろな表情になり、王妃だけでなく彼女付の顔なじみの侍女にすら敬語で声を掛けだしたのだ。
その時の王妃の乱心は凄まじかった。
もし、その瞬間に国でも人気の有名画家が居合わせていたなら。
それは、絵画として遺されていただろう、と噂されるほどに。
すぐに高名な医者を内密に国中から集めて診察を実施したが体調には一切影響はなく、ただ公の場と気の置けない間柄の者たちのみの場で、全く異なる性格で対応するようになってしまったのだ。
それも、二重人格ではなくどちらもヴィレ自身だというのが問題だった。
本人はどちらでいる時の記憶も所持しており、自分では意識して態度を変えている自覚もなかった。
周りに対して被害もないため、とりあえず現状維持をさせ成長すれば自然と納まるのでは、との医者の診断結果に従ってはみたが、結局今日まで、変化は訪れなかった。
だが、あくまで他人の前では堂々とした王子顔で振る舞っていたため、ユーリも善呪師の元へ向かおうとした際、ヴィレに同行したいと請われても、王宮を抜けさせることへの心配はあったが、正体がバレることへの危惧はしていなかった。
それなのに……。
「本当にわかりません。初めて出逢った人たちにこちらの顔を見せてしまうなんて」
「一体、なにが悪かったんだろうな。いくら俺がいたとしても一人でも他人がいる場ではこっちの顔になったことはなかったのに」
「はい。ただ……」
「ただ?」
ヴィレは、逡巡してから口を開いた。
「部屋へ入った時、彼女の瞳に強く惹かれてしまって……。そしたら、こうなってしまったんです」
「あのな、国の宝であるダイヤモンドの宝石眼がいくら善呪師だからって女一人に瞳で気圧されるなよ」
ユーリは呆れたように言った。
「わかってます。でも、自分じゃどうにもならないんです。黒目を見たのは初めてだったからでしょうか?」
「そういえば、珍しい色の瞳だったな。だが相手は善呪師だ。瞳がちょっと人と違ってても不思議はないだろう?」
ユーリは、昨日見た少女の顔を思い出しながら回答した。
彼にしてみれば、少し珍しい瞳の人間より、人語を操る珍妙な動物の方が余程気が動転してもおかしくないと思うけどな……と、密かにタッキーが聞いたら怒り狂うだろう失礼なことを考えていた。
「そうなん……ですけど」
ヴィレは言い淀んだ。
そういう次元の話ではない。
なにかを射抜かれた。
そんな音が聞こえたのだ。
それを知らぬ臣下は、構わず話を続ける。
「いいか。とにかくお前はあいつらに絶対二面性があることを悟られるな。噂を流されるだけでも他の継承権を持つ王子たちにとっては好機と捉えられるからな。しかも相手は善とはいえ呪師だ。どこまで力を使えるのか図り切れない。ここは慎重に行くべきだ。わかったな」
「はい。やはりユーリがいると心強いです」
二歳年上のこの兄のような臣下が、ヴィレには心の支えだった。
どう足掻いても自分は宝石眼。
幸いにもヴィレより上の姉弟は女しか生まれなかったが、それでも弟たちは存在する。
彼らにとっては、いくら先に生まれた男子とはいえ、生まれた瞬間から宝石眼というだけでその地位を安泰されているのは、不平等だと感じるだろう。
そのせいか、ヴィレは腹違いの弟たちと距離を置き育ってきた。
そんななか、幼いヴィレの遊び相手を一任されていたのがこのユーリだった。
性格が変わってしまった今も自分の傍にいてくれるかけがえのない存在。
だからこそ、自分のために宝石捜しに奮闘する彼を、王宮でただ待っていることはできなかった。
善呪師だってどんな危険人物か素性は知れない。
そこへ宝石眼である自分が付いていけば牽制になると思った。
しかし、こんなことで足を引っ張る羽目になろうとは、正直考えてもいなかった。
自分が人から見ればおかしなことになっているのは気づいていた。
だが、社交界での自分への評価は決して悪くない。
だからこそ、どこか放置してきた。
そのままでも構わないと甘い見解をしていた。
その結果がこれだ――。
(なんて不甲斐ない。)
彼女の瞳を見た瞬間、自分すら知らない深淵を覗かれたような感覚だった。
恐ろしいほどの常闇の世界に、自分という存在が吸い込まれていく錯覚すら覚えた。
そこからは、もう社交界用の顔など一切その片鱗を見せなかった。
かと言って、もう一方の顔を失ったわけではなかった。
昨夜宿泊した宿の店主や従業員に対しては身分こそ伏せたが、態度は社交界のそれと相違なかった。
彼女に対してのみ――。
それは、ヴィレにとって初めての経験だった。
これが、善呪師としての気配なのかは判断できない。
しかし、彼女に畏怖の念を抱きながらも同時に今すぐあの瞳を間近で観察したいという相容れない感情をも抱いている。
(確かめたい。彼女へのこの感情の正体を――)
かくしてこの瞬間、双方が己の秘密を賭けた化かし合いの大一番が幕を開いたのだった――。