4 化かし合いの初仕事
チュンチュン――。
「う……」
サファイアは木漏れ日のなかで目覚めた。
「あれ、私……」
「遅い」
目覚めた瞬間、顔の上を獣が覗き込んでいた。
「うぎゃあーーーー!!」
--それから、一刻の後。
「全く、朝から女とは思えん、悲鳴とも呼べん奇声だ」
「ご、ごめんなさい」
サファイアは、先ほどから食堂室で皿に盛りつけられた果実を頬張りながら小言を続けるタッキーにひたすら謝っていた。
あの後、急いで着替えを済ませ一階へ連れてこられたサファイアが目にしたのは、広々とした食堂室だった。
これもタッキーの力の賜物だろう。
それでも宿泊のみならず朝食までありつけるとは正直予想していなかった。
「さっさと席に着け」
「は、はい」
サファイアは、一人分としては豪華な朝食を目の当たりにしながら、気が引けていた。
タッキーの皿の上には果実や炙った茸がのっていたが、サファイアの皿には、カリカリのベーコンにスクランブルエッグと焼きたてのソーセージ、右側にはミルクパン、左側には柑橘系の飲物が置かれていた。
タッキーは、果実酒のようだ。
しかも、隣に置かれた瓶の銘柄は、朝食で手軽に口にする額の酒ではなかった。
(豪勢だわ……。呪師ってこんな優雅な生活を送ってるの?羨ましい……)
「これ、本当に食べていいの?」
「俺は朝からそんなに食わん」
サファイアは、それを聴き、意を決してベーコンを切り分け口にした。
それはもちろん美味だった。
「美味しい……」
「おい。美味いならなんでそんな渋い顔をする?」
タッキーは、心底情けなそうな顔つきをするサファイアを諌めた。
「だって……。タッキーは本当になんでもできるのね。普通の人が時間をかけてすることを一瞬で……」
これは、単なる僻みだが、つい頭をよぎった詞が口から漏れだしていた。
「阿呆小娘。呪師は強大な力を持つ代わりに、それを使用するには大きな制約が付き纏うんだ」
「制約?」
サファイアは、首を傾げた。
「こんなこと、お前に話す義理は本当はないのだが……」
そう、前置きしてからタッキーは語り出した。
「例えば俺の場合、清水と文字を使用する。つまり清水が湧き出るこの館内でしか力を使えない。あの瓶が、一瓶ずつ形態が異なってるのは、清水の分量が最も適量の瓶を探すためさ。一滴も無駄にはできないからな。つまり、俺の力は無限ではなく有限なんだ」
「でも色々な場所に清水を湧き出せば……」
サファイアは口を挟んだが、彼はそれを真っ向から否定した。
「それは不可能だ。清水を俺のためだけに何カ所も設置すれば、そこに住む人間の住処を奪う危険性がある。地下水を汲み上げて清水にするには、意外と場所を食うんだ。周りに穢れができないように人の民家等は建てられなくなる。そうすると、その人間たちを別の場所へ追いやることになる。そういった災いになる呪を俺は使えない。第一、そんな大規模に色々やると、他の呪師に尻尾を掴まれかねない」
「……」
「俺は、お前のように決心がついたから行動しよう、ってな風に外へ飛び出すことはできないんだよ」
タッキーは、そう言って自傷気味に嗤った。
嫌な間が訪れた。
その詞が意味すること。
それを聴いても良いのか、一瞬迷うほどに。
「……じゃあ、この館が〝食肉〟なんて一見恐ろしい名前で、しかもこんなに寂れてるのは」
「こんな館の近くに家を建てようなんて物好きいないだろう?この清水が湧き出ないほどこの周辺が開拓でもされて汚染されれば、俺はなんの力も使えなくなる。だから、このままでいいのさ」
タッキーは、今度は朗らかに笑って果実酒に手を付けた。
瞬間、目の前からガタッ、と椅子を引く音がした。
「ごめんなさい!私の部屋や朝食は、本当なら清水を使うべきものじゃなかったのに。私のせいで大事なものを……」
立ち上がってサファイアは頭を勢い良く下げた。
自分は寝ようと思えば床でだって平気だった。
朝食だって、今日一日食べなければ死んでしまうような虚弱体質でもなかった。
「煩い。いいからさっさと食べろ。お前には、今日もまたあいつらの前で演技させなければならん。それはその代償だ」
「タッキー……」
サファイアは、着席し改めて感謝を述べてから朝食を食べ進めた。
その代償は、本当に大きな代償を伴うものだった――。
「いいか。お前はとにかく少しでも呪師として気品があるように堂々と振る舞え。私に多少なりとも近づけるように」
朝食が終わるとすぐに、タッキーは偽りの善呪師の芝居の特訓を開始した。
「はい、先生。でも自信ないです」
サファイアは、従順だが反対に声は小さかった。
「なんでだ?」
「だって、相手は一国の王子と侯爵なんですよ。どちらも本来町娘が目を合わせることも適わない存在なんです。タッキーは本物の呪師で高貴な存在だから気後れもしないでしょうけど……」
「そこをなんとかしろ!」
「どうやって?」
「実は俺は、密やかにこんな場面に人間は内なる力を発揮できると確信している。お前にも、その力がある!それは……」
「そ、それは?」
サファイアが固唾を呑んでその先の詞を待つ。
まさか、そんな力が自分にも備わっているなんて。
期待して見守るサファイアを横目に、タッキーは肉球のある可愛らしい右手を拳にして天高く突き上げーー。
「根性だ!」
と、高らかに宣言した。
「……」
「……」
「……えっ、それだけ?」
「その通りだ」
――なにを当たり前なことを、とタッキーは真面目に答えた。
「そんな無茶な……」
サファイアはガクッと頭を下げた。
脱力感がなにもしていないのに増してしまった。
もっとも、話す詞はタッキーがサファイアの頭へ直接に伝えられるので、特訓の主は立ち居振る舞いとなった。
昨夜汲んだ清水の瓶を持ち運ぶ際の歩き方から仕草までも習得させられ、まるで貴族の淑女の躾のようだ。
普段から、人前に出ることさえ数少ないサファイアにとってはまさしく地獄の特訓となり、結果すっかり自信を失くしてしまっていたのだ。
「どうしよう。バレたらタッキーに迷惑が……」
「阿呆小娘。今はそんなことを考えるな。心配するな。お前の姉を無事結婚させてやると言っただろう。俺は一旦口に出したことは意地でも実現させるレッサーパンダだ」
タッキーが胸を張った。
「頼もしい。……でもタッキー。王子と侯爵に嘘を吐いたってバレた時点で私たち死罪じゃないかしら?」
サファイアが尤もなことを訊ねた。
「その時はその時だ」
(頼りになるんだかならないんだか……)
本当に不思議な存在だ。
でも、不思議と一緒にいたいと願わせる魅力がある。
「よし、そこで微笑め!いかにもこれくらい余裕って感じでだ!」
(でも、微笑む瞬間まで計算する必要があるのかしら……)
サファイアは、その疑問だけは拭えなかった。