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ダイヤモンドの涙、それはこの国では特別な意味を成す。
宝石眼である証は、この宝石を生みだしたことを以て証明される。
宝石眼の人間でなくとも、美麗な瞳を持つ者は数多存在する。
しかし、宝石眼の人間はその瞳より溢れ出す雫をその瞳と同じ宝石に変化させることが可能だと云い伝えられている。
それを王宮のユヴェール神を祀る祭壇に捧げ、祝福の光を賜ることで儀式の完了と定め、以後宝石眼を名乗れるのである。
現在、国内で確認されている宝石眼は僅か三名となっている。
アメシスト、ダイヤモンド、ターコイズ。
それぞれが流した涙の宝石は、王宮深くに厳重に保管されている……はずだ。
「……ぬ、盗まれたって。そんなことできるんですか?」
サファイアは、恐る恐る訊いた。
「もちろん不可能なことです。しかし、現実に起こってしまったのです。今はまだ王宮内でも秘密裡に調査が進められております。その結果、物取り等の賊の仕業ではなく、ダイヤモンドの宝石眼になんらかの怨恨を持つ者が実行したと考えられております」
「どうして、そう断言できるんだ?」
タッキーが訝しげに訊いた。
「一点は、国の警備。特に宝石安置室は昼よりむしろ夜のほうが厳重に警備されているという点。もう一点は犯人が辿り着いた部屋からなぜかダイヤモンドのみを奪い去ったという点です。部屋には、アメシストとターコイズも横一列に安置されておりましたから」
「なるほど。国の宝を盗もうなんて大それたことを実行させた輩が賊なら、ダイヤモンド一粒なんて小心者のような行いはしないか」
タッキーは合点がいった、とでもいうように鷹揚に頷いた。
「その通りです」
「で、犯人の目星は?絞れてるんだろう?場所が場所なだけに、許可が下りる人間は限られてるはずだ」
「許可?どういうこと、タッキー」
話の流れが急すぎて、サファイアはタッキーに説明を求めた。
「簡単な話さ。賊の犯行じゃないなら、考えられるのは王宮内の人間が昼間に堂々とそれを盗んだことになる。しかも、警備が盗んだことにすぐ気づかないほどその人間は信頼を置かれる存在。さらに、そんな大事な宝石が在る安置室に警備を伴わずに入る許可は、かなりの権力者にしか与えられない」
「――!じゃあ、ダイヤモンドの涙を盗んだ犯人って今も王宮内へ普通に出入りできる身分の人ってこと?」
「……その通りです。驚きました。さすが、善呪師が選んだ助手殿ですね。人よりも遥かに優れた頭脳をお持ちのようだ」
侯爵は目を見開いて、呪師の助手を名乗る動物を見つめた。
しかし、サファイアはそれとは全く別のことを気にしていた。
「善?そういえばどうして呪師の前に善を付けて呼ぶんですか?」
思わず、タッキーにではなく侯爵に直接訊ねてしまっていた。
「え?」
「い、いやですな!善呪師さま。ご自分の敬称をお忘れとは。申し訳ない、なにしろここへ辿り着ける客人など久方ぶりで。善呪師さまも混乱されてるようだ」
(この阿呆小娘!余計なことは言うな!)
タッキーは鋭い目でこちらを睨んだ。
「そうでしたか。無理もありません。我々も王宮内の書庫中を、文官を総動員させ五日間寝食を忘れ探索した結果、やっと〝善〟の方の呪師さまの居所を掴めたくらいですし」
侯爵はうんうん、と頷いていた。
サファイアには皆目見当もつかない話だったが、今タッキーに訊ねても明確な回答は返ってこないだろう。
「はぁ。それで、宝石が盗まれた日に安置室に警備なしで出入りした人間はどの程度いらっしゃったんですか?」
「それが、普段なら宝石眼が自らの石を定期的に確認するのみで、その他の人間の入場は稀なんです。実際その日も午前中にはダイヤモンド、アメシストの宝石眼のお二方が順に宝石を確認したのみでしたから。ですが、丁度二週間後に迫った建国祭へ向けて、その日は午後から二時間毎に三大公爵家当主がお一人ずつ、お披露目する宝石を見物されていたのです。……お三方ともたった一人で」
年に一度、各々の宝石眼の涙が一般公開される日、それが建国祭だ。
民衆にとっては、一目それを拝見するだけでも、その恩恵を授けられると云われ、毎年のようにこの時期はゲルト中央市街で賑わいをみせている。
「怪しすぎるな」
「はい」
「え?でも、宝石って盗まれたんですよね?じゃあ、最後に安置室に入った人が犯人なんじゃないんですか?」
いくらなんでも、三粒が二粒に減っていれば、その場で悲鳴が上がるだろう。
なぜ、発見が遅くなったのか。
サファイアには、それが理解できなかった。
「代わりに偽物が飾られていたんです。翌日にダイヤモンドの宝石眼が再び安置室を訪れて異変に気づくまで、安置室に出入りした人間はおりません」
「警備は?怪しい奴はいなかったのか?」
「はい。ダイヤモンドの宝石眼が再び訪れるまで警備の人間に交代はありませんでした。もちろんその場で入念な身体検査を行いましたが、宝石は発見されませんでした」
侯爵が、悔しさを滲ませた声で呟く。
「じゃあ、容疑者はその三人だな」
タッキーは、断言した。
自分に呪師の振りをさせてはいるが、基本的にサファイアは話を聞いているだけ。
安楽椅子に座って事件を聴く探偵のようだ。
しかし、サファイア以上に聴き手に回っていた男が、急に話に加わった。
「……ウンシュルト公爵のことは信頼しています。あれは犯人ではありません……」
後ろに控えていたはずの従者が口を割って入った。
それにも、驚いたが、それ以上に容疑者を深くまで追求していなかったサファイアは二重にハッとした。
(そうだわ。もし、容疑者がその三人しかいないなら、侯爵のお父上様であるウンシュルト公爵もその容疑者のお一人。だから侯爵はこの件に父親は一切関与してないって言ったんだわ。あくまで、侯爵も父親を一人の容疑者として扱うために)
サファイアは、侯爵を尊敬の眼差しで見つめた。
自分の父親を容疑者として扱う。
残酷な仕打ち。
それを厭わない、その精神の強さ。
少しも揺るがない、その王への忠誠心。
臣下としてこれほど望ましい逸材はいないはずだ。
「お前は誰だ?」
タッキーは、サファイアの感動すらも無視して従者に向かって訊いた。
「失礼。この者は本当に私の一従者でして。しかし、私を警護する役職上、あまり人前で素顔を晒さぬようにしているのです。出過ぎた発言には、私から後で厳しく躾ますので」
侯爵が些か、慌ててタッキーと従者の間に割って入って執成す。
それに、彼は眉を顰める。
(小娘。今から、私の言うとおりに演技するんだ。呪師じゃないと悟られるなよ)
え、と思う間もなくタッキーはスラスラと台本を読み上げていく。
「え、え、えっと。――侯爵、そろそろ下手なお芝居はお止めになったらいかが?」
(うわーん。私の方がよっぽど演技下手なのに)
サファイアは、もはやここまで来たらなんでもやろう、と無我夢中で目の前の相手を演技で出し抜こうと試みた。
それは、愚かな行為のはずだった。
百戦錬磨の貴族社会を生き抜く侯爵に対峙するには無謀すぎる、と誰かに言われるだろう。
しかし、もし。
それを指示する相手が、さらにその上を行く強者だった時。
それは、成功することもある――。
「……どういう意味ですか?」
侯爵が慎重に詞を紡いだ。
これ以上ないほど、警戒されている。
それを、サファイアは好機と捉え、今なら行ける、と自信を持って挑んだ。
「簡単なことです。貴族たる者、従者がいるのにその者を介して紹介をさせず、御自ら名乗るなど礼儀作法に反するのでは?それも次期ウンシュルト公爵ともあろう者が」
「――それは!」
「さらに、その方の先ほどの発言は決定的ですわ」
サファイアは、流し目で従者の方を向く。
侯爵は、未だその場を動かない。
まるで、己の従者を必死に守り抜こうとしているようなその姿。
そこが、敗因の一つだったのかもしれない。
長年に渡って培ってきた使命は、そう簡単に拭えないから――。
「は、発言?彼は、ほとんど会話に参加してなかったのですよ……」
「ご冗談を。自らご自分の地位を名乗っていらっしゃったではありませんか?」
「身分?」
侯爵は、必死に従者の発言を想起していた。
自分の十分の一も語らなかった。
なにを告げた。
なにを悟られた――。
「えぇ。彼は、ウンシュルト公爵を〝あれ〟呼ばわりなさっておいででしたのよ。本物の従者であれば、あそこは敬意を評して公爵か閣下と呼ぶべき場面。――いいえ、呼ばねばならぬ場面」
「――!」
侯爵がはっきりと目を見開いた。
視線が彷徨う。
どこを見れば、誤魔化せるのか模索しているように。
「それはつまり、かの方がウンシュルト公爵よりも身分が上位であることの証です」
「……」
(なにそれ……なにそれタッキー!一体どういう意味?ウンシュルト公爵より身分が上って、もう国中探しても何十人もいないじゃない)
サファイアは、冷静な顔を必死で保ちながらも、内心は冷や汗で卒倒しそうだった。
すると、シリンフォード侯爵が肩を震わせ始めた。
(もしかして、動揺のあまり震えを起こしてしまったんじゃ……)
サファイアは、一瞬相手の心配をした。
しかし、それがすぐに杞憂だと知った。
「アハハハ!もうダメだ。やっぱり俺に深刻な演技は無理だ!さすがです、善呪師。先ほどまで見せていた無垢な少女は偽りの姿だったのですね。お互いが演技をしていたのに、こちらだけが騙されていたようだ。感服いたしました」
侯爵は、一頻り笑い声をあげた後、再びサファイアに敬礼をした。
その変わりように、サファイアはポカンと呆けた。
(騙せた……のかしら?そっか。タッキーは私があまりに呪師っぽくないから、途中から自分で訊かないで私に言わせたんだ。……でも待って。じゃあ、後ろの従者の正体は?)
「そこまで、理解っておいでになるということは、その正体も当然……ですね」
侯爵は後ろを振り返ると、その者に対して膝をついた。
それは、最大級の敬意の姿勢。
男は、ゆっくりと外套を外し、こちらを正面からその瞳で見据えた。
見当がついていたタッキーですら、その瞳に息を殺した。
無色を通し、周りの景色の色相のすべてを取り込み光輝く、そのダイヤモンド特有の性質をその瞳に宿すことが赦されるこの世で唯一の存在。
「改めて、私から紹介させていただきます。こちらはツァール国第一王子ヴィレ・シュタルカー・ツァール様です」
サファイアは衝撃のあまり手を口元にあてたまま動けなかった。