1
数時間に及ぶ説教を受け、俺は前から嫌いだった学年主任がますます嫌いになった。
説教の内容は「なんでテストに火なんかつけた!」「いや、俺は火をつけていないです。」「じゃあなんでテストが燃えた!」「わかりません。」「わからないわけないだろ!」といった感じの無限ループ。
いや、ホントにわからないんですって。
本当に、本当にわからない。
突然紙が燃え始めた理由なんて皆目見当もつかない。
まったく心当たりも無い。
━━━と、それはさすがに嘘になるか。
最後の問題を解いた後、文字が赤く光った気がする。あくまで気がするだけなのだが、それがこの不幸に何か関係があるんじゃないかと、普通思わない方がおかしい。
あくまで、見間違いでない場合だけれど。
しかし、こんなこと説教を受けている最中に話しても笑われるか怒られるかのどちらかで、恐らく後者だろう。
絶対信じてもらえないだろうし、正直それを主張する側の俺もほとんど信じてはいない。
説教のループが体感で3桁に達した頃、救世主は現れた。
「まあ、先生、本人も反省していますし、後は私から言っておきますから」
四条雅之は、自身を50代と言っていたが、見かけはそれよりも若く見え、体は筋肉質ではないが、全体的に引き締まった印象を感じさせる、言わばナイスミドルだ。
そんな彼が無限地獄に落ちていた俺に蜘蛛の糸を垂らしてくれたのだった。
あれだけ説教してもまだ足りなかったらしい学年主任(こっちはナイスミドルとは言えないな)は、自らが説教をしているうちに勝手に興奮していた勢いそのままに、俺に反省文の提出を言い渡して去った。
いや、反省文ってどう書けばいいんだ?
自分の反省を相手に伝わるように言葉を尽くせばいいのはわかるのだが、今回の場合
「ライターとか何も持ってなかったけど火をつけちゃいましたゴメンナサイ。」
とか書けばいいのか?
「勝手に火が出ちゃってゴメンナサイ。」
とかか?
割とマジメにそんなことを考えていると、四条が話しかけてきた。
「数学のテスト中だったんだよね?」
見かけに相反して、声は年相応というか、よく言えば落ち着いた、悪くいえば若さのない声だ。
「はい」
「問題を解いていたわけだよね?」
「そうです」
「そして解き終わったら突然火がでたと。」
「……そうです。」
自分で考えてみて、おかしい話をしていると改めて感じる。
しかし、一切嘘はない。
「まあ、ライターもマッチも持ってなかったわけだし、君が火のつけるのはほぼ不可能なはずなんだよねぇ。」
まるで他人事だという感じで、四条は分析している。実際他人事なわけだが。
「シャーペンで原始人みたいに火をつけたとか?」
ああ、あの木の棒とかをドリルみたいにクルクルするやつですね。
俺の沈黙により四条は薄く苦笑いを浮かべた。
「まあいい。じゃあ、今日はもう遅いから帰りなさい。」
説教は一切せず、解放を告げられた。
どっかの学年主任とはえらい違いだ。
拍子抜けした俺がぼうっとしていると
「どうした?まだ説教され足りないのかい?」
と言って俺に帰宅の準備を促した。
「いや、さすがにもう勘弁です。」
「だろうねぇ。なにしろ3時間近く拘束されてたわけだしねぇ。」
体感だとあと1、2時間は長いと思っていたので、俺はあまり驚かなかった。
それでもまあ、3時間説教を受け続けるというのも相当な長さだ。
「靴はまだ下駄箱にあるよねぇ?」
「ああ、そういえば。」
この一宮高校は6時を過ぎると職員玄関以外の玄関に施錠が行われる。
腕時計をちらっと見ると現在は6時半を過ぎている。施錠済みだな。
(めんどくせえな…。)
こうなると自分の靴を持って職員玄関から外にでなければならないのだが、なんと不運なことか、俺の普段使っている玄関と職員玄関はかなり遠い。
校舎内の移動距離などたかが知れているが、面倒なことに変わりはない。
そもそも、俺が事件を起こしたのが6時間目、本日最後の授業だったのも不運だ。
必死の消火活動の後、なぜか俺は授業を最後まで受けさせられた。そして、授業が終わったと同時に「生徒指導室」へ直行させられた。それから斯く斯く然々、3時間後が今だ。
「じゃあ、靴取ってきます。」
「気をつけてねぇ。」
俺はドアを開け、久々に部屋の外の空気を吸った。
昼間あれだけ生徒の密集している廊下ががらんとして、いつもより広いように感じた。
窓の外は暗いが、説教を受ける前も曇っていたので、そこについての驚きは覚えない。ただ、雲はどこかへ流れたようで、紺色の空が姿を見せ、西の地平線に朱が差していた。
固まった体をほぐしながら進むと俺1人の足音が反響し、吸い込まれる。
この異世界的な学校を歩いて、恐怖か興奮を覚えない人はいないはずだ。
そして俺は興奮を覚えた。
普段なら目も向けない場所まで観察しながら歩く。
暗いだけでこんなにも変わるのか。
この角を曲がると玄関に到着する。
(やっとついたか…)
ガンッ
「いってええええ!!!」
風景に気を取られていた俺は足元がお留守なことこの上なかった。
放置されていたバケツにつまづいて、俺は前のめりになる。
目の前には床が迫っていた。
「やっべ!」
このままでは廊下に顔面を強打してしまう。
本能的に右手を前にだし、床に着こうと試みる。
手が床についた瞬間、鈍い音が骨を伝って頭の中に響いた。
「痛っ!」
そして痛みがはしる。
しかし、俺が思わず叫んだ痛み、それを覚えているのは腕で庇ったはずの顔だった。
腕が顔を庇いきれなかったというわけではなく、外野から投げ込まれた新たな痛み。
打ちつけた時の鈍痛ではなく、針で刺したような鋭利な痛み。顔の中の、正確には頬。
「うっ!」
手をやると再び鋭く痛む。そして指先には血。
「なんで……」
転んで、どこにも擦れていないのに切れるのは不可解以外の何物でもない。
先ほどまで俺の進行方向であった玄関の方を見ると、
「はぁ……」
ため息をついているのは、職員玄関で待っているはずの
「四条先生……?」
「うーん、物事とはうまく運ばないのが常だねぇ。」
「どうして、先生がここに……?」
「ちょっと君に用事を思い出してねぇ。」
四条はこちらを振り返る。
「ちょっと来て欲しいところがあったんだけれど。」
と、彼は右手を少し上げた。
日の落ちた暗い廊下に、彼の手の中のナイフだけがわずかな光を反射し、その存在を表していた。
「ちょっと、先生?何を……」
思わず声が上ずる。
「本当はねぇ、君をこのナイフで脅して連れていくだけのはずだったんだけど、まさか失敗するとは思ってもみなかったよ。」
俺が転んだあの瞬間、俺の頬を裂いたのはあのナイフだったらしい。俺は、そんな場違いなほど冷静な思考を巡らせる。
そんな俺に構わず、四条は続けた。
「ホントに、君は運が良いんだか悪いんだか。」
カランと、四条は自らの手からナイフを落とす。
助かったのか?と甘い考えを持った。
それをすぐに四条は砕いてくる。
「おかげで少し手荒く行かなければならなくなったよ。」
ナイフを捨てた方とは逆の左手で、彼は腰から何かを抜いた。
新しいナイフかとも思ったが、それにしては長い。
「抵抗しなければ一瞬だよ。」
バチバチと彼の持っている新しい武器から音がして、電光が見える。スタンガンだと理解するのに1秒もいらなかった。
走り寄ってくる四条。もともと俺と彼の間には大した距離がなかった。
「うわあああ!」
情けない声をだしながら、俺は彼の振り下ろしたスタンガンを必死に避ける。ガツンとスタンガンの先が床に当たる音がした。感覚でわずか5センチ。
「だから、抵抗しないほうがいいと忠告しているんだけどなぁ。」
対する四条はいつも通りの、いやむしろいつもより落ち着いた声と動作で俺にスタンガンを振り下ろし続けた。
少しでも触れたら即アウト。
何をされるかは知らないが良いことではない、それだけは確信が持てる。
ひたすら俺に襲いかかるスタンガン。ここまで全て避けきれているのは、四条がむやみに振り回したりしてこないからだろう。
━━━そう、むやみに振り回していない。
ヒヤッと固い感触を、俺の背中全体で捉えた時に気づいた。あまりにも遅い気づき。
むやみに攻撃しないということは、狙いがあった上で攻撃しているということだ。
俺はまさにその狙い通りに動いてしまったらしい、見事に廊下の隅に追い込まれながら俺はそれに気づいた。
「万事休す、だねぇ。」
まるで世間話でもしているかのように話し、微笑む四条の目は、どこまでも深い黒。光の入る余地のない漆黒だった。
「いや、あの、先生?冗談ですよね?」
ここまでくれば自分でも冗談ではないことがわかっていた。今俺の心を半分埋めている、追い込まれた事への後悔が何よりの証拠だ。
四条は答えなかった。
相変わらずの微笑みを称えて、まるで「冗談か否かなんてわかってるんだろ?」とでも言いたげに。
そして静かにスタンガンを振り上げる。
「ハハ、ハハハハハ……」
その、ネジの外れたような笑いが自分から出ていることにしばらく気づかなかった。
「冗談ですよね?」
俺はなぜか、またこの質問をしていた。
四条はもちろん答えないし、自分で答えを探すまでもないことは先程確認したのだ。
だから代わりに
バリイイイイン!!!
と、窓ガラスが答えた。




