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帰還

 (むら)へ帰ることだけでも、一悶着した。師は逝く前に都の分祀(ぶんし)へと手紙を送ったと言っていたが、その手紙が届いていないことがわかった。新たな社司様が来るのを待って発とうと思っていたのだが、それが幾日経っても一向に返事が来なかったのだ。

「すみませんが」

 社の細かいことを頼んでいた男を呼びとめ、ファイは自分でも新たに書いた手紙を渡した。これまでも手紙や役人への書状、その他の伝達を頼んできた。

「これをもう一度、都の方へ届けてもらえるようお願いできますか?」

 社司を紹介してもらえるようにと、急ぎの旨を伝えた文だ。受け取った男は怪訝(けげん)そうにそれを眺め、わかりました、と懐に収めた。

「は。でも、ファイ様。返事も来ないということは、それが応えなのではないでしょうか」

「どういうことです?」

「都から社司様は送られないのではと……」

 声は尻すぼみになって、男は目を逸らした。行きたくない、というのがありありと見てとれる。ファイはため息をついた。

「このように大きな町で、社司様がいないのは困るでしょう。遠い道で足代がかかるのは知っていますが、そういってもいられません。少しなら、僕が出しますから」

 ファイはこの数年の間、貰ったお金を少しずつ貯めていた。帰りの旅費と、何か土産になるものを買うためだ。殆ど使うことがなかったから、それなりの金額にはなっている。

 だが、銀をつけてやっても、男はそれをにぎったまま動こうとしなかった。

「……何か、まだ足りませんか?」

 問い返すと、男は言いにくそうにこちらをちらちらと見ながら文を懐から引き出す。

「そんなお金をかけて、面倒をなさらなくたって、ねぇ」

そして、ファイの方をじっと見ていう。

「ファイ様がこのまま社司様になってくださればいいではありませんか」

「それはできません。もとより、僕は邑へと戻るつもりでここに来ているのですから。以前、お話ししたと思いますよ」

 あっという間とはいえ、数年経ってしまった。母もリュウも心配しているだろうし、ファイ自身も向こうが心配なのだ。この節目に、邑へと帰らなければ。

「一通り習ったとはいえ、僕はまだ社司を務めるには若すぎます。そうでしょう?」

「でも、幻獣付きで化生(けしょう)の人だっておっしゃったじゃないですか。ファイ様が残ってくださるとなれば、皆喜びますよ。どうか、ここへ」

 男はにこやかに笑みを浮かべながらも、隙あらば文をつき返さん勢いだ。

「そう言っていただけるのは嬉しいのですが」

 ファイは答えるように笑み、ゆるりと首を振った。

「僕は邑に帰りたいのです。こればかりは」

 調子を強めながらはっきりそう言って返す。帰ることにこそ、この修行の意味があったのだから。

「約束しているものがいるんです」

 にこやかにそう言って返した途端、男の表情は一変した。

「今更になって帰るような奴にか。未だに待ってる奴がいるって? え?」

「……今、何と?」

「追い出されるように出たあんたに、居場所があるかって聞いてるんだよ」

 男は手紙を握りしめる。

「社司になる勉強をしていながらここの社司にはならない。人より恵まれた力があるのに、それを生かすのを嫌がる。あんたは一体何がしたいんだよ。いやがらせか? 俺みたいに、何にもなれない奴へのよぉ」

「そんなつもりは……」

「なら、何なんだよ! ……悪いがあんたが書いた手紙は一通だって、届いちゃいねぇぜ」

 唐突なその言葉に、ファイは声を出す事すらできなかった。困惑と怒りとが喉につっかえて、息もしづらい。

「最初はな、気の毒に思って届けてやったんだぜ? でも、邑に入ったところで、二度と持ってくるなって言われてよ。受け取ったことにして、そのまま帰れってさ」

 男は歪に笑みを浮かべる。

「ご丁寧に帰りのお足までくれてなぁ。二回目からは、行っても文は出さなかったぜ」

「誰が、そんなことを」

 呟いてみたが、大体のことは想像できていた。もとより、あの村で金を出せる人間など限られている。

「さぁな。でも、あんたをここに引きとめりゃ、また金が貰えたんだけどよ」

 懐から小銭の袋を出して、男は目の前で振って見せる。銅貨が不快な音を立ててすれる。ファイは不規則になっていく呼吸を無理やり深呼吸に変え、男を睨む。ここしばらく沸いていなかった釜の蓋がかたかたと音を立てて。結っていたはずの髪がばらりと解けて顔にかかる。黒だったそれが赤みを帯びていって。

「お、なんだ、やるか? 優男さんよ」

 侮りと怯えとをないまぜにして、男もこちらに詰める。尊敬も嫉心も、つまるところ同じものだ。それは距離を取るだけで近付けやしないのだから。ファイは深く息をつき、呟くように言う。

「――歓迎されなくたって、元々だよ。こんな獣の(なり)なら」

「あ?」

 金に光る目を男へ向け、文を握りしめる腕を掴んだ。

「な、何をしやがる」

 男が振りほどこうともがき、爪に触れたところから血が垂れた。しわくちゃになった文が床に落ちる。耳はもう獣のものなのに、自分の鼓動と血の音以外には何も聞こえなかった。

 胸の中に閃光が走って、ファイはふう、と息をついた。

「……僕のことは忘れてください。あとは、どうぞお好きに」

 遠慮なしに力を使ったせいだろうか、男は気を失い、その場に倒れ込んだ。掴んでいた手を引いて壁にもたれさせると、ファイは姿を元に戻した。気がついたときには、男はこちらを忘れているだろう。顔を見せたところでわからないはずだ、獏の化生がここにいたことなど。手紙を渡さなかったことも、その記憶が消されたことも何も。

 ファイは落ちていた手紙を拾いあげ、丁寧に伸ばした。師の机の上に置いておこう。社司がいないことに困れば、誰かしらがそれを見つけるはずだ。大事な師に申し訳ない気持ちはあっても、今自分がしたことに後悔はしていない。男以外にファイという者を覚えている人がいようと、その時にはここにいないし、戻るつもりもなかった。

 男への怒りはまだ冷めていなかったけれども、それでも微かな希望を手に入れていた。最近に邑を訊ねたときの男の記憶。そこには、こちらからの報せがないかと待ってくれていた友や母の姿が確かにあったのだ。

 ただの一度も連絡しなかったのに、こちらのことを待ってくれていた。

「まだ、僕の居場所はそこにあるんだね」

 泣きたいような気持ちで、ファイは呟く。早く、早く帰ろう。

 もとより荷物などそうない。殆ど身一つで、逃げるようにファイは社を、町を出た。


 邑を流れる川に辿りついた時、少しも変わっていない様子にファイは安堵した。邑を出て五年以上経っていた。帰ってきてみれば、もっと早く帰って来れたのではと思ったが、今となってはどうにもならないことだ。

五年前と変わらず、森の方から木を切る音が、邑の中心からは鉄を打つ音と、炉の火のにおいが邑の端まで届いていた。

 川に入って砂鉄(さてつ)(さら)いをしていた女の人達の中、誰かがこちらに気付いたらしく声を上げた。皆が顔をあげ、ある人はかごを取り落とした。細かい言葉は聞き取れなくても、名前を口にしているのはわかる。

「ファイ! ファイなの?」

 ひと際大きく声を上げたその人は、かごを放りだし、川の水を蹴散らしながらこちらへ駆けてきた。(もも)までたくしあげた服をさらにつまみ上げて、必死になって。

「母さん!」

 近寄って、自分がもう母の背を追い越したことに気付く。こんなに儚げな人だったろうか。それでも、疲れやつれた表情はよろこびに満ちていて。すまなさと嬉しさとがファイの胸でいっぱいになる。

 抱き合って、その身が確かなことを確かめあう。

「連絡もしないで。もう、帰ってこないかと思ったのよ」

 母は目に涙を浮かべて言う

「ごめんなさい、遅くなってしまって。ただいま、母さん。今戻りましたから」

 なおぎゅっと互いを抱きしめて、再会を喜ぶ。

「立派になったわ、さすが私の子ね」

 痩せた体で、母は何度もこちらの体を確かめた。あっという間だったかもしれない五年は、確かに過ぎていった五年なのだと思った。時間は留まることなく流れていく。

「……約束しましたから」

 必ず戻ると、そして、一人前以上になって帰ってくると。誰に、何をも言わせないような。

邑長(むらおさ)さまに挨拶してきます」

 そう言うと母は驚き、不安そうな顔をした。旅立つ前、自己の修練の為、と言ったときも母は、何らかを察してささやかながらにもそれに反対した。確かに、外からの要因もあったが、修行をしたいと思ったのはファイ自身だ。だから、説得するとすぐ母は折れてくれたのだ。大丈夫なのか、と言いたげなのを微笑んで制し、ファイは応える。

「リュウにも会いにいきたいんです。遅くなって、怒っているかもしれないし」

 気をつけてね、と旅に出たときと同じ調子で言って、母はまた砂鉄浚いに戻っていった。

 川沿いを遡って、邑の中心へ向かう。製鉄場も長の家もそこにあるから、近くまで行けば、誰かには会えるはずだ。邑のあちこちから驚きの声が追いかけてくる。母以上に戻ってこないものだと思っていた者は多いはずだ。

 長の家から、小さな子が歩いて出てきて、ファイは足を止めた。自分がいない間に生まれた子だ。よちよちとたどたどしい歩みに、思わず笑みがこぼれる。

「待ちなさい、ユン、ひとりで外に――」

 出てきた若い男がこちらを見て、息をのむのがわかった。驚きに満ちたその顔が、だんだんと笑みに変わり、少しばかり怒った表情になって。

「ファイ! 帰ってきたのか!」

 ひげの生えた口元を、変わらない少年っぽい笑みでたわめて、彼は言った。

「おれだよ、リュウだ」

「わかるよ、立派になってもリュウはリュウだ。……ただいま」

 そっちこそ、とリュウはこちらの肩を叩き、おかえり、と笑んでくれた。

「心配したんだぞ、もう帰ってこないんじゃないかってさ。一度や二度じゃないぞ」

「思ったより大変だったんだよ。でも、帰り路は急いできたから、足がくたくただ」

 大人の話し声に驚いたのか、小さい子がリュウの足にしがみつく。

「そうだった、そうだった」

「結婚したんだね」

 ああ、と応え、リュウは家の奥の方に声をかける。出てきたのは、二人より少し若い、健康そうな女の子だった。重そうにお腹を抱えていたが、びっくりしこそすれにこやかにこちらに会釈してくれた。よく見て、そういえば、邑にいた子だと思い出す。

「二人目も出来たんだ。なぁ、ファイ、あとで時間はあるか? 紹介するよ」

「夜なら、大丈夫だと思う。――邑長さまは? 挨拶しないと」

 一瞬の沈黙の後リュウは短く、炉のほうだと答えた。

「親父は――」

「わかってる。そのために修行してきたんだから、大丈夫だよ」

 あとで絶対だぞ、と言い、リュウは見送ってくれた。少しすすんで、ひと際刺すような視線に気付く。一度は逸れたその視線は、また戻ってきてこちらを見ている。無視できないとわかったのだろう。今思えば、先に母やリュウにあえてよかった。少なくとも、誰にも気付かれないまま追い返されるということはなくなった。

 彼はなんというだろうか。ファイは深呼吸し、しっかりと地を踏みしめてそちらへ歩いて行った。

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