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師弟

(むら)を出て、数日。母にしばしの別れを告げて、ファイは街道沿いの大きな町に辿りついた。邑から一番近い町とはいえ、邑以外の町は初めてだ。今まで見たこともない大勢の人が当たり前のように通りを歩き、いくつもの店がそれを呼び入れるために活気づいている。(やしろ)の場所を聞くと、その人は町の真ん中にひと際目立つ建物を指した。あそこの社司さまは素晴らしい方だぞ、と得意げに言って。

白い石で出来た大きな社。ファイは入り口の前で深呼吸をし、扉を叩いた。

「紹介状? 少々お待ち下さい」

 出てきた青年が訝しげに、書状を眺める。

「南の邑の……あの、確かに書いていただいたのです、お見せするようにと」

 つき返された書状を手に、ファイはさらに前につめた。疑われているのだろうか。町の人の身なりに比べれば、自分は困窮して社に訪れたように見えるに違いない。

「嘘じゃありません、僕は……」

「ですから、少しお待ちください。私では判断がつきませんので、社司さまに」

「あなたは社司さまでは、無いのですか?」

 青年は首を振り、とりあえず中に、と踵を返した。

「私はただの手伝いにすぎません。社司さまは今お話し中ですから、しばらくお待ちいただかなければ。何ならお聞きになってはどうです」

 彼の案内はそこまでで、ファイはおそるおそる次の部屋への扉を空けた。

 そこは広い部屋になっていた。たくさん並べられた椅子と座る人々、そして、祭壇の前には老齢の男性がそこで話をしていた。石で造られた社の薄暗く開けた部屋の中に、社司らしきその人の声が厳かに響く。少し聞いて、それが建国神話の一節だと気付いた。立ち尽くしていると、その人とふと目が合う。

「そこの方、お掛けになられてはいかがかな」

 声を掛けられて、聞いていた人々の視線が一斉にこちらを向く。顔が赤くなるのを感じながら、すみません、とファイは端の椅子を選んで座った。話はいつか邑の社司さまに聞いたものと同じもの。戦いの後に、天が国を分けて、それぞれの王に平和な世を約束する(くだり)だ。

――天。そういえば、自分が生まれた時、その天の(ましま)すところから鳥が来たのだったか。ファイを獏の獣人だと、その力を負って生まれた者だと告げるために。

 話が終わり、人々がそれぞれに帰り始めた頃、ファイは立ち上がった。前で話をしていた老爺(ろうや)の前に膝を折り、深く礼をする。

「そう、かしこまらなくても良い。同じ目線で話をしておくれ。急ぎではなさそうだが……何用で参られたかな」

 皺に囲まれた小さな目が優しげにたわむ。ファイは懐から一枚の書状を取りだし、差し上げた。

「ほう、南の邑の、ショウ殿の御紹介? ……ほう!」

 紙を広げて、老爺は驚嘆の声を上げる。

「懐かしい者から手紙が来たと思えば、そうかそうか」

 手紙を丁寧にたたみ直し、彼はこちらに向かって深く礼をした。

「こんな所に膝をつかせるわけにはいきませんな。場所を変えましょうぞ、私の部屋へどうぞ」

 祭壇の横にある小さな扉を開け、老爺は中の椅子をすすめた。

「今、茶を持って来させましょう。歩いて来られたとは、お疲れでしょうな」

「僕は……。そこまでしていただくわけには」

 いやいや、と笑い、老爺は向かいの椅子に腰かけた。

「化生の方と伺いました。いやはや、生きているうちに拝謁できるとは思いませんでした。長生きするものですな」

 恭しい態度に、ファイはうろたえる。自分は、この人に弟子入りするために来たというのに。

「まぁ、長生きと言っても徒人(ただびと)の寿命のうちですが」

 先ほどの人とは違う人が持ってきた茶を、老爺はこちらへ寄こしてにこやかに笑む。勧められてもファイはそれに手を出せなかった。ただ下履きの布を握りしめて、俯けたまま、口を開く。

「あの、社司さま。僕はこうまでしていただける人間じゃありません。邑の社司さま、ショウ様に書いていただいた通りに、あなたにただお願いしに来たのです」

 少し驚いた様な顔をしながらも、彼は優しく、うんうん、と頷いた。

「神官になる勉強がしたい、と書いてありましたな。……失礼ですが、おいくつで?」

「少し前に、十五になりました」

「ああ、なるほど。まだお若くいらっしゃったか。では、そうですな。なら、私から教えられることならば、喜んで」

「では、弟子入りを許してくださるのですね」

 老爺が大きく頷いて、ようやくファイはほっと息をついた。多少向きは違うとして、ここでも特別扱いのままになるのかと思った。

「とはいえ、私に教えられるのは、あくまで方法論、理屈になるでしょうな」

「それは、どういう……」

 机越しに詰めたファイに、老社司はにこりと笑う。

「どうぞ、お茶を。まだ、お名前も伺っていませんでした。……私はこの町の天社分祀を預かります、ハオズと申します」

 ファイはまた顔が赤くなるのを感じた。確かに、落ち着かなければ。すみません、とお茶を一含みして、きちんと座り直す。

「南の邑からきました、ファイと言います。邑の社司さまに、あなたを御紹介いただきました」

「ショウ殿ですな。彼は獣人になった後、弟子としてここにしばらくいたのですよ。本当はここにいて欲しかったのですが、何やら急いでおられた。邑に戻ると言ってね」

 ファイの脳裏をかつて見た記憶がよぎる。友を傷つけたことを少しでも贖おうと、急ぎ帰った友はもう、友ではいてくれなかった。自分のものではない記憶なのに、胸がちくりと傷む。同じことが自分にも起こったら。飲み込むようにまた一口、ファイはお茶を飲んだ。

「手紙には、(ばく)化生(けしょう)とありましたが……見せていただいてもよろしいかな?」

 小さく頷き、ファイは半獣の姿を取る。力を発現するときは、鍋の中の水が沸くのに似ていると思う。

「おお……! ほうほう」

邑の誰もがしなかった反応で、彼は手を叩き、驚きを見せた。そして、もう充分、というように頷いた。

「やはり、というか、いやはや素晴らしいものですな。……ファイ殿は獏という獣について、どうお聞きになりましたかな」

「夢を食べる獣だと。だから、他人の夢を我がもののように見られるのだと」

 そう、と頷いて、彼は付けたすように口を開く。

「そして、その獣はもう、この世にはおらんのですよ」

「この世に、いない?」

「ええ。獣人の身に宿る獣は、大きく分けて二つです。犬や馬のように、今も姿を見られるもの。そして、ファイ殿の獏のように、人の世から姿を消したもの。故に、獏は幻獣と呼ばれるのですよ。そういうものは得てして、大変に強い力を持っております」

 強い力。ファイが繰り返すように呟くと、ハオズも応えて繰り返す。

「強い力です。それに、ファイ殿は化生の者。普通の獣人は、素養を見立て、四方の王に昇化(しょうか)を願って初めて力を得られるのです。それに対して、化生は生まれてより、天と土地の護虫(ごちゅう)から力を受けられます。獣人は善なる魂の具現、ならば、その最たる者である化生は、何より尊いといえましょう」

「尊い……?」

 その言葉に首を傾げながらも、それならば彼のこの丁寧な応対にも納得がいった。初めて聞くことばかりだ、幻獣の意味も、獣人が善き者と()われることも。それに。小さく笑い、ファイは呟く。

「化物では、ないのですね」

 ハオズが驚いたように目をむく。

「なんと。化生は化物などではありませんぞ。誰がそんなことを」

 いえ、とファイは首を振る。

「僕がそう思ってきたのです。罪を負うが故の獣の子だと」

 なんと、とまた繰り返し、老社司の顔は難しく曇った。

「……先ほど言いましたな。幻獣の化生は普通の獣人よりよほど強い力を持ちます。ゆえに、本当は私からファイ殿に教えられることなどないのでは、と思っていたのです」

 ですが、と言葉を切り、彼は一口茶をすする。

「この老いぼれにもまだ、教えられることがありそうですな。……部屋を用意させます、ここにお泊りください。私に出来る限り、あなたに獣人とは何か伝えましょう」

「よろしく、お願いいたします、社司様。――弟子入りできたならあなたは私の師です、どうか殿をつけるのをやめていただけませんか」

 そうですな、と彼は笑う。

「では、私も師らしく振る舞うようにしよう。さて。私はさっそくわかったことがあるぞ」

「何でしょうか」

「詳しい事情はわからんが、まぁ、ショウ殿がお前さんをここに寄こした目的といったところかの」

 何ですか、と問うと、彼は悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「それに気付くことがまず、一段上に進むということだ」

ファイにはまだわからず、ただ怪訝そうに首を傾げるしかなかった。


夜、社の端にある部屋に案内される途中、廊下の途中で、ファイは足を止めた。前を老社司が小さな灯りを持って歩いている。

「社司様、聞いてもよろしいですか」

 壁を照らしている灯りが、ゆらりと揺れて止まる。

「どうしたかな」

「先ほど僕を見て、社司様はまだ若くいたのか、とおっしゃいました。ということは」

 彼がゆるりと振り返り、皺が深く刻まれた顔が火に照らされる。

「僕は、見た目通りの歳を取らなくなるのでしょうか」

 徒人(ただびと)の寿命、と彼が自嘲気味に言ったのが頭をよぎる。

「本当に、(さと)い子よのう」

 そうだ、とも、違うとも言わず、老社司は再び前へ向き直る。

「今日はよく休みなさい。学ぶことは多い、必要なことは急がなくても向こうから来て、身につくものだ」

「……はい」

 ファイは小さく応え、俯いた。石の床をうつ、木靴の音が高く響く。

 学べば、今持っている不安は消えるのだろうか。消えなくてもそれを受け入れられるのだろうか。必要な知識だけじゃなく、必要な強さも、身についてくれるだろうか。

社司様に挨拶をし、ファイはやわらかい寝台に身を横たえた。

「早く、戻らないと」

 姿が変わらなくなったらきっと、時間の感覚がなくなるだろう。早く戻るから、と言った約束が守れなくなってしまう。そして、大事なものとの距離はもっと遠くなるだろう。

「急がなきゃ……」

 ファイは眠気に霞む意識の中、そう呟いた。だから、今はよく休んで。明日からはもっともっと、学ぶのだ。知らない世界は急ぎ足にやってくる。

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