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一人じゃないから

 化生の子の誕生が凶事か吉事かは、生まれてしばらく(むら)の中でも激しく噂された。もとより、邑人たちはヨウの腹が目立つ頃からその父親について色々推し当てしていたが、今はもうそれが誰か、から何、だったかに話が飛んでいた。邑長(むらおさ)が言ったように獣だと言う者や天が見染めたのだと言う者、皆は好き好きに話をしては、やはりヨウと赤子を遠巻きにしていたのだった。

 赤子の為の支度はあの社司が充分に用立ててくれた。ヨウは親を早くに亡くし、身寄りがなかったため、面倒を見るものがいなかったのだ。それでも、邑の女たちは子が生まれた数日後から少しずつ、自分達の興味もあったのだろうが、時々様子を見にきてくれた。

「ヨウ。大丈夫かい、入っても」

 幾人かで邑の端のヨウの小屋にきた女達は、お互いを掴み合って恐る恐る中を覗き込んだ。小屋の中は殆ど土間で、元より裕福でない村でも特に貧しい様子でいた。声をかけた年長の女にヨウは寝ていた体を起こし、応える。

「大丈夫よ。何もないから。ファイも、今さっきお乳を飲んで寝たところなの」

 疲れはあるが、凛とした声に女達はそっと中へ入ってくる。

「ちゃんと乳を飲むのかい。歯があったろう。鼻も邪魔になるだろうに」

「歯はあるだけなのよ、乳しか欲しがらないわ。……それに」

 後ろでびくびくしていた他の女も手招きし、ヨウは籠の中で眠る赤ん坊を示した。

 あれ、と皆が揃って声をあげる。中で眠っていたのは普通の赤子の見た目となんら変わらない、黒髪の赤ん坊だった。尾も牙も、大きな鼻もない。

「産湯につけて、乳をやって。で、寝かしているうちにこうなったの。時々はあの格好に戻るけど、きっとこれが本当なのよ」

「本当だ……じゃあ、何かあんたに変なことがあったりしないんだね?」

 ヨウは頷く。

「悪いことなんて一つもない。私にもまた家族ができたんだもの」

 ほう、と女達は息をついて、ヨウと籠の赤ん坊を見て微笑んだ。

「そうだね……この子はあんた似だ、綺麗な子になるよ」

 そういえば、と他の女が声をあげる。

「女の子だっけ? 」

 ヨウが首を振る。

「ううん、男の子。尻尾の他にもついてるもの」

 どっと笑い声があがり、ヨウも応えて笑った。

「器量の良い男が増えるなら、何も困らないわよ!」

小さな小屋の中に、笑い声が満ちる。赤ん坊は口をむぐむぐと動かしながら、女達の声の中でも静かに眠っていた。

「ヨウはいるか」

 男の声に、皆は体を強張らせた。特にヨウが籠の前にさっと立ちふさがったのは、その声の主を察してのことだった。権力の証である刀を帯びた、若き邑長。じろり、と屋の内を見渡して、ヨウと籠を見つけて目を止めた。

「話がある」

 そういって、邑長は口を引き結んだ。

「じゃ、じゃあ、私達は帰るよ。あんまり乳をやりすぎてもよくないよ、いいね」

 気まずそうに女達は小屋を出て行き、そこにはヨウと邑長だけが残る。女達の姿が見えなくなってから、邑長は籠を覗き込んで口を開いた。

「……息災のようだな」

「おかげさまで。もう何にも殺される心配がありませんから」

 淡々とした口調で答えたヨウに、邑長は面白くない顔をしつつも、皮肉を咎めなかった。

「牙や尾がないようだが、あの天恵とやらも、一時か」

「社司さまに聞きました。普通の獣人の方も、普段は人の姿をしているのだと。この子も同じです」

「では今も、獣の子だということだな」

 その言葉に、ヨウは邑長をねめつける。お互いににらみ合ったまま、暫時沈黙が漂う。ヨウはいつでも邑長に飛びかかれるように、と身構えていた。もし、またあの刀が抜かれることでもあれば。

「まぁ、いい。その子供が何者であれ、害にならねば良いことだ。話は別にある」

 邑長の視線がヨウの体に移り、また顔に戻る。ヨウはとっさに体を強張らせた。

「その子が乳を吸うということは、お前はちゃんと乳が出るのだな?」

 どうやら子供に危害は及ばないらしい。それがわかっても、ヨウは緊張を解けなかった。ただ、黙ったまま小さく頷く。

「何か患ってはいないか」

 今度は対して首を横に振る。何を言おうと言うのだろう。怪訝そうに眉根を寄せたヨウに構わず、そうか、と小さく呟いて邑長はさらに問う。

「砂鉄さらいの仕事はつらくないか」

 この邑の女にとって、砂鉄さらいは子育ての次に大事な仕事だ。この邑を支えるのは、遠く都や近くの町へと運ばれる鉄の地金づくり。邑の側を流れる川からは豊富に砂鉄が取れたし、炭にする木も山に入れば充分にとれた。火を扱う仕事も、山の木を切る仕事も、どちらも神に触れることで男たちだけの仕事だった。その代わり、砂鉄さらいは女の仕事だった。冬は凍るほどに冷たい水の底から、黒々とした砂鉄を竹かごにとって集めるのだ。厳しい仕事だが、ヨウは腹が大きくなってからもしばらく、それをやっていた。つらくないといえば嘘になるが、邑の女ならほぼ皆が行う当たり前のことだ。答える前に、邑長は首をゆるりと横に振った。もとより答えを求めていなかったのだろう。

 僅かに目が伏せられる。何を思うのか、口の中で言葉を噛んでいるように見えた。とても苦い、噛みにくいものを。小さなため息をつき、邑長は言う。

「……もうひと月もすると、俺の妻が子を生む。だが、もとよりあれは丈夫じゃない。知っているだろう」

 そこまで聞いて、ヨウも合点がいった。邑長の婚礼はちょうど一年ほど前。豪奢に着飾られた娘は、この国を巡る大街道沿いの大きな町からここへと嫁いできた。有力者の家だと聞いたから、きっとこの邑の力を強めるための結婚なのだろうと思った。来た娘はヨウより少し上くらいで、色白で華奢で、花のように儚げだった。そして、思った通り、厳しい砂鉄浚いなどとてもできそうになかった。子が出来てからは、外にも出さない、下にも置かない暮らしと聞く。

「乳母を頼めないか。その代わり、俺の子が一人前になるまではお前の暮らしを保障する。うちに部屋を与えよう」

 ヨウは腹の中で何かが煮えるのを感じた。

「私、の?」

 一人称を強調しながら、ヨウは繰り返した。今、自分の乳が出るのは、他の娘の子を養うためではない。邑長の目に僅かに気まずさが泳ぐ。ほんの数日前のことだ、忘れたはずはないだろう。邑長は太息(たいそく)した。

「子を殺そうとしたことは詫びる。……天恵の子なのだろう。害を成さぬというのなら邑の内だ。俺の守らねばならぬ者だ、約束する」

 ヨウはぎゅっと拳を握りしめ、じっと邑長の目を見た。本当は、断ってしまおうかと思った。あの白い刃を自分は一生忘れないだろう。だが、前にいるのはこの邑を治める者で、自分は乳飲み子以外の身内のない孤独の身の上だ。たとえ邑の女達が(ゆる)してくれても、長の頼みを断ってここで生きていけるはずもなかった。断れるはずもない。何より悔しいのは、それに邑長が気付いていないことだった。自分の地位を忘れて、断られるかもしれないと危惧する不安げな瞳が、ヨウをさらに苛立たせた。

背も高く、しっかりとした体つきの――自分と大して年の違わない青年。どんなに髭を伸ばしてみせても、刀を帯びても、まだその精悍な顔には時折少年のような表情が浮かぶ。それを見つけてしまうと、自分がそんな者に腹を立てていることさえ、腹立たしく思えてくるのだ。ヨウは拳を緩めた。

「……わかりました。その子が産まれたら、そちらへ行きます」

 邑長が驚きをその顔にうつす。やはり、そうだ。

 ヨウは籠の中の我が子を見やる。自分に似ている、と言われた小さな子。自分ではまだ、誰に似ているかわからないほどにまっさらな命。これを守れるかすらわからないのに。

「私はまだ一人の子も育て上げたことのない娘です。だから、その仕事にはただただ精一杯に努めましょう」

 きっと、乳が出るだけで自分を乳母にしようというのではないのだ、ヨウは目の前の男の顔を見あげて、そう思った。籠の赤ん坊に指を差し出すと、小さな手は無意識にそれを握り返す。自分と繋がるただ一つの、愛おしい命。

「ただし、私の子はこの子一人だということを忘れないでください」

「……わかっている。もちろんだ」

 邑長が踵を返す。戸に合わせた屈めた背中が、とても重そうに見えた。

「頼んだぞ、ヨウ」

 入口からこちらを見て、邑長は念押しした。逆光でその表情まではわからなかった。

やがてその姿が、足音が遠ざかると、ヨウは寝台に腰を下ろした。体の力が一気に抜けて、張っていた気まで緩んでしまった。薄暗い小屋の中に残されて、孤独感が押し寄せる。目が熱い。じわり、目の前が滲む。

 悔しくて、悲しくて、腹立たしくて。そして、何よりも不安で。

溢れた涙が顎を伝って、ぱた、と膝へ落ちる。ひとつ、ふたつ。続けて落ちる。麻布を通して、(もも)がぬれる。

「ふぇ……」

 突然、籠の中の子が泣き始めた。まるで火のついたようだ。ヨウは袖でぐい、と涙を拭う。

「どうしたの」

 子は答える代わりに泣き続ける。慌てて抱き上げて、慣れない手で必死にあやした。泣いている暇などない。自分の子すら泣きやませられなかったら、他人の子の世話なんてとてもできない。それに。

「一人じゃなくなったんだもんね、私は」

 腕にかかる確かな重みが、つらいことを何もかも押しのけてくれるようで。泣き声すら喜ばしく思えた。

「大丈夫、あなたはきっと私が守るから」

 呟いた言葉はまるで自分の為のように、暖かに心を満たしていった。


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