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化生の子

 火山に近い、西国の山奥で産声がひとつ上がった。と、同時に産婆の悲鳴が(むら)の反対端にまで聞こえてきた。そしてすぐ、立ち会いの娘のものであろうものもそれに続く。声色はただ、変事ありとの色を強くのせていた。

本来ならば、いざ子が生まれるとなれば産屋の中はおろか、近くにすら男は近づかず、近付けない。だが、今回は邑長(むらおさ)をはじめ、邑中の大人たちがそれぞれ思い思いのものを持って、そちらへと駆けだした。

 産屋は天を祭る(やしろ)と同じように、集落から少し離れたところへこしらえてあった。それゆえ、血の臭いをかぎつけた野の獣に生まれる子や母親が襲われたことが幾度かある。通例ならば、男親が外敵から子らを守るために、火を焚き武装して産屋の外で待つのだが、今回はそこに上がる煙も無ければ、待つ者もいない。生まれるのが、父親の知れぬ子であったからだ。

「何ごとだ!」

 長が腰の刀に手をかけ、赤子の声で満ちた薄暗い屋の内へと駆けこんだ。黒く血の飛び散った土間に腰を抜かした老いた産婆が一人、部屋の隅に手を握り合って震える、手伝いの若い娘が二人。それぞれが、母親の足の間に転がされたままの赤子を指差すだけで、声にもならぬ様子であった。

「むら、おささま」

 弱々しく、母親が声をあげた。

「邑長さま、何があったのですか、わたしの子、わたしの子は」

 邑長のうしろ、戸口には何ごとかと邑人が人だかりをつくり、中をうかがっていた。邑長はじり、とさらに中に踏みいる。長とはいえ、この間就いたばかり。ひげすらまだ馴染まぬほどの男だ。疲れた様子の母親の腰の下で、泣き声をあげる小さな塊。血にまみれたままのそれを、邑長は恐る恐る抱き上げ、日の光のもとへと晒した。

「ひっ……」

 誰のとも付かぬ声があがる。それは邑長自身のものでもあったろうし、覗いていた邑人のものでもあったろう。――生まれた子供は、人の子の姿をしていなかったのだ。

「異類か……っ!」

 子が初めて抱かれた手の上で身じろぐ。その手足にはやわらかくもしっかりとした臙脂の毛が生え、手のひらの形は獣のものに近かった。小さな尻の間には小さなふさのついた尾があり、邑長の指の間からこぼれゆらゆらと揺れた。少し泣き声がくぐもって聞こえるのは、鼻が長く垂れて口の上にかぶさっているからだ。めいっぱい開いた口元からは二本の犬歯がすでに覗いている。耳も大きく、鹿のもののようにぴんと尖っている。おおよそその他の外形は人の子のそれと変わらずとも、一目見て他とは異なる姿に、波のような悲鳴が広がっていく。

「化物だ」

 ざわ、と沸き立つ声に、母親が顔色を変え、無理やりに体を起こす。

「何があったっていうの! 私の――」

 そうして、母親もようやく自分の子がどんなものであるか、理解したのだった。驚き、声に詰まった後、唾を飲み込み、口を開いた。

「その子をお返しください、邑長さま。どんな姿であれ、私の子です」

 乱れた髪に、汗の浮く顔。その上に覚悟を張り付けて、しっかりとした声でそう言った。お返しください、という言葉は、邑の皆が今何を望んでいるかをわかっていてのものだった。

「ならん。ならんぞ、ヨウ。お前の子は怪物だ、お前は……獣と(つが)ったのだ」

「違います! その子の親は立派な御方です!」

 掛け布を握りしめ、ヨウ、と呼ばれた母親は首を振る。

「ならば、何故名前を言わん!」

 声を荒げた邑長に対して、ヨウは一転して黙り、ただじっと見返した。唇を噛むのは、何を押しとどめるためだろう。

「……駄目だ」

 邑長は繰り返し、子を抱いたまま踵を返した。片手に子を抱き、もう片方の手で刀の柄をすっと引く。外に出た白刃に陽光がきらりと走る。察したように赤子の泣き声が大きくなり、ヨウは弾かれたように寝かされていた寝台から外へと飛び出した。

「やめて!」

 飛び出した体を邑人が押さえ、ヨウは人々の間に引きとどめられた。地面に寝かされ、赤子が身もだえする。邑長は刀を抜き放つと、逆手に握り直した。

「お願い、やめて! 誰か……ねぇ、お願い!」

 ヨウの嘆願と何かを振りはらうように邑長は首を振った。そして、切っ先を赤子の喉元へと定める。

「許せよ」

 邑長の呟きは、母親の叫び声にかき消されておそらく誰にも届かなかっただろう。腕を上げたとき、邑長は赤子と確かに目があったように思った。


 人の悲鳴に勝る声で、高い笛のような音がその場に飛び込んだ。そして、黄色い塊が羽音を立てて、邑長の方へと飛び込んだ。鴉ほどの大きさの、(えんじゅ)色の鳥だった。挑みかかるように蹴爪を邑長へと向け、(せわ)しく羽ばたいた。野の鳥とは明らかに違う、美しい金色の鳥だ。邑長が後ろに引き、剣を下げると鳥は赤子の横に舞い降り、ころろ、と鳴いて、定めるように村人を見据えた。赤子は鳥を見た途端に黒い瞳をじっとそれに向け、泣きやんだ。

「これは……何事です!」

 遅れて、譴責の声がその場に割り込む。白衣を着た、社司の男だった。真反対の社から駆けてきたのだろう。息を切らし、人だかりと、鳥と赤子を順に見やる。

「ヨウの子が、生まれたのですね。――これは報せの鳥だ」

 抜身の刃を持つ邑長に男は詰め寄り、再び、何ごとか、と問うた。

「見たとおりだろう、ショウ殿」

 苛立ちを込めた声で邑長は答える。

「人の腹から獣が生まれるなど、これほどはっきりした凶事もない。放っておけば邑に災厄が及ぶ。だから、俺はそれを殺さねばならん」

「凶事? 赤子殺しよりも凶事があると?」

 蔑むように子を見た邑長の視線が、社司の男に移る。社司の男もこの邑の出で、邑長よりもわずかに年上だが、社司になるために長く邑を開けていたからか、この若い邑長とは折り合いが悪かった。当人達もそれを知っていて、普段殆ど口を聞かなかった。

 邑長が未だに刀を収めないまま、沈黙がその場を包む。再び、子がぐずり始めたのを見て社司の男が動き、子を抱き上げた。

「産湯もやらずに、なんという。……ヨウ、来なさい」

「待て!」

 呼ばれた母親が進み出ようとすると、指弾の色を込めて邑長がそれを遮った。

「凶事でないなら、何なのだ、社司殿。人ならざる子は何を意味するのだ」

 厳しい顔つきで、邑長は柄を握り締める。社司は答えず、腕を前へと差しあげた。子を見あげていた報せの鳥が羽音を立て、そこへ止まる。濃い橙の足から、社司は結わえられていた布の端切れを引く。“報せ”を離した鳥は東の空、遠く天のある方を目指して飛び立った。

「吉祥ということ。邑長、この子は生まれながらの獣人なのです」

 広げて見せた細い布に、流麗な字で短く文が記されている。その終わりには記した者の名前も並べてあった。蒼頡(そうきつ)、と最高位の神官を示して。社司は声を震わせ、感動の顔で続けた。

「天恵を得たのですよ! 邑長、この子は霊獣、獏の力を宿す神童です」

 それでも邑長は憮然とした表情のまま、子を見つめていた。(まつり)(まつり)、二つの長が相対する場で、人々はそれをただ見守るしかなかった。

「……行け」

 許された母親が、ようやくその赤子を腕に抱く。そこには、凶事や祥瑞、神童も天恵も何もなかった。ただ母と子の姿だけがあった。

 その赤子は、報せの鳥の色から、ファイ、と名付けられた。生まれながらに獣の力を宿した、化生の子の誕生だった。


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