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常盤木

 リュウの二人目の子が三歳の祝いを行った時、邑長(むらおさ)の役をリュウが継ぐことになった。今となっては先代となった邑長が、その先代から継いだのも今のリュウと同じくらいの歳の頃だったから、もしかすると彼はずっと前からそのつもりでいたのかもしれなかった。

 その日、かつて木々の茂る山だった草の丘に、ファイはリュウに連れられ登った。

「ファイ、頼みがある」

 白い祝い着のままの稚児髪(ちごがみ)の子も連れ、頂上に着いた時、リュウはその子を抱き上げて言った。

「今日の朝、思い出したんだ。ここから見える(むら)の景色を、俺はかつて親父に見せてもらったってことを。街道から外れ、周りの土や森を削りながら生きるこの邑を、俺や俺の子に、今以上にして渡してやるって。……俺も今、そういうことを考えてる」

 青草の匂いが立つそこで、リュウがこちらを振り返る。

「俺は、思ったところに走っていくのは得意だ。でも、目の前に穴や沼があってもはまるまできっと気付けない。だから、ファイ。きっと、今までと変わらないけどな。俺が踏み外しそうになったとき、どうか俺を止めてくれ。俺は、受け取ったこの邑をこいつに、イーシャオに繋げてやりたいんだ」

 頭を撫でられ、それまでじっと邑の方を見ていた子がくすぐったげに笑う。ファイは利発そうにまっすぐなその眉を見ながら、改めて父親似だと思う。父親に似ているのなら、やはりその祖父にも似ているだろう。ファイは微笑む。

「僕に出来ることなら、喜んで。それに、僕が尻込みして足を止めたときは、きっと君が僕の背を押してくれるね? リュウ。――邑長様、ご就任おめでとうございます。今日という()き日を共に迎えられたことを心より、お祝い申し上げます」

 儀礼の時のように手を組み合わせ、ファイは深く頭を下げた。今日という日こそ、天が言祝ぎ贈ってくれたものではないか。顔を上げると、リュウは照れ臭そうに短く息をついて、抱いていた子を下ろした。子は小さい蝶を追って駆けだす。

「俺の代に、勿体ないほど立派な社司様がいるからな。それが世にただ一人の兄であり、友であるんだから、俺は幸せ者だ。――これからも、その力を持って邑をお守りください、社司様」

 同じように、リュウが深く礼をし、ファイも応えて再び礼をした。共にここまで育ったことを、互いに喜び、天に感謝した。


 体調を崩した先の社司様の後を継いだのは、二月ほど前のこと。社司となり、祭服に身を包んだファイを見て、母は涙を流して喜んだ。同じように、自分の乳で育てたリュウの、今日この日のことも母は瞳を潤ませていたのだった。

 祝いの楽の音は、今日は鳴りやむことなく続くだろう。今日ばかりは炉の火も落とされ、皆に白酒が振る舞われているはずだ。

 祭礼の為に社に人が集まっていたのも少し前の話だ。宴の席が邑の中央に移ると、社はもとの静寂に包まれた。風薫る青葉の候、今回も変わらずに取りにいった常磐木の枝には、柔らかい緑の葉がぴんと伸びている。祭壇に揚げられたそれを見あげながら、ファイは満たされた気持ちで息をついた。

「社司様」

 呼ばれていたのに気付いていながら、呼びかけがかつてのものに変わるまで、ファイは自分あてだと気付かなかった。

「ファイさん!」

「おっと! どうしました? ティエ」

 先の社司様の手伝いをしていた少女は、社司様が隠居したとき、今度は見習いとして社に通うことになった。困ったように笑いながら、彼女が傾げた顔にさらりと黒髪がかかる。

「慣れていただかないと困りますよ? 社司様。……邑長さまが呼んでいらっしゃいました。酒が無くなる前に早く来い、と」

 そうでしたか、と応え、ファイは祭壇を見あげる。

「もう一度、お祈りしてから行きます。すぐ行くと伝えてくれますか? ティエ、君も今日はお祝いにいってください。たまの息抜きはすべきものですから」

「なら、わたしも一緒にお祈りをしてから」

 言うやいなや、ティエは祭壇の前でさっと膝をつく。隣が空けてあるのは、自分の分だろう。振り返ってこちらを見る彼女に微笑み返し、ファイはその隣に同じように座った。短い奏上を、小さい声でティエも復唱した。

「中つ国が、永久(とこしえ)に平和であるように」

 いつものように締め、凛と張った空気にファイは頷く。立ち上がり、彼女を伴って社を出る。やわらかく差す日差しで、彼女が白い花の髪飾りをしていることに気付いた。大きくはないが、美しい森の花だ。それがつややかな髪に良く映えていた。

 それについて声をかけようとした時、先の社司様がこちらに向かって歩いてくるのに気がついた。腰はしゃんとしているが、その歩みには杖が必要だ。

「おや、出かけるかい? ファイ」

「宴の方に。リュウに呼ばれました。社司様はどうされたのです」

 足を止め、問い返す。ついてきていたティエはそのまま後ろで控えている。

「皆が混乱するよ。私のことはショウと呼んでくれていい。……いや、少し話があったのだけれど、後にしようか」

「急ぎなら聞きます。リュウは怒っても、待っていてくれますから」

 社の中へ、と言うと彼は躊躇いがちに首をふった。

「急ぎというわけではないのだけれどね」

 ファイの後ろに視線がうつり、それがティエに向けられていたものだと気付く。自分よりよほど察しの良い彼女はすかさず二人の前に進み出ると、辞すべく深く礼をした。

「先に行ってお待ちしています、社司様! ショウ様!」

「ティエ!」

 呼びかけると、駆けだしかけた彼女が足を止め、振り返る。

「とても似合っていますよ」

 髪を示し、そういうと彼女は、僅かに頬を赤らめ、笑みを浮かべた。風の声に紛う、ありがとう、と聞きとって、ファイは駆けていくその背を見送った。

「……ティエは()い娘になったね」

「ええ。よく手伝ってくれます」

 先代の言葉に頷いてそちらを見ると、彼は唖然とした顔でこちらを見ていた。そして、深くため息をついて言う。

「君は何と言うか……まぁ」

「どういうことですか」

「中で話していいかい。立ってするには少し、込んだ話なんだ」

 ファイは合点がいかないまま、彼の歩くのを手伝って再び社の中に戻った。椅子を勧め、彼の向かい側に自分も腰を下ろす。

「すみません、茶道具を片付けてしまっていて」

「いいんだ、少しもう向こうで飲んできたよ」

 それより、と足の間にした杖を握り、彼は深呼吸をひとつした。

「君には少し唐突かもしれないが」

「はい」

 深刻そうな顔に、ファイは前へのめるように頷いた。

「縁談があるんだよ」

「はい」

 それは、とファイはほっと息をつく。祝い事の話ならここしばらく続いている。社司として関わることもあるだろう。

「良いことですね。誰と誰の縁談なのですか。決まれば確かに支度が――」

「これだから、君は」

 ファイの言葉を制して、ショウは呆れた様子でため息をついた。

「この縁談は、君と――ティエのものだよ」

「私とっ? ティエの……」

 白い花を揺らし、微笑む娘の姿がよぎる。待っています、と駆けていったその姿が。

「ティエが私の姪にあたるのは知っているね。彼女ももう十七だ。そろそろ縁があればと、家で話が出ていたのだけれど」

 小さな邑とはいえ、年頃の男ならば幾人もいる。それならば、互いが望むような縁組であるほうがいい。

「最初は、縁談のこと自体断っていたらしいんだけれど。想い人と添わせてやるから、と言ったら、君の名を挙げたそうだよ」

「ティエが、私を」

 殆ど呆けた様子で、零れるままに彼の話を繰り返し呟く。窓から吹き込んでくる青葉風が、急に花風に戻ってしまったようだった。

「私が聞いたのは、そこからだからね。家の皆に、人の縁を簡単に言うものじゃないと言ったんだが、そこからさらに話がこじれてきてしまって」

「ああ、やはり結婚したくないと」

「逆だよ。本当に叶えてくれるのなら、ぜひとも君と添いたいと言うんだ。そして、それが叶わないなら……」

 ショウは祭壇をあおぎ、常磐木の枝を見つめた。

「社司になる旅に出たいといったんだよ。私や君を見ていて、ずっと社司になりたかったと」

 ティエが社司になりたいことは、ファイも知っている。でも、ただ知っている、というだけでそれを彼女が叶えようとするかどうかまでは、考えたこともなかったのだ。ファイは戸惑いながらも、同じように困惑顔のショウに尋ねる。

「それは……旅に出たいために、私との結婚を言いだしたのではないですか」

「家の皆はそれだけ君と添いたいのだろうか、と言っていたけれどね。……どちらだって、ティエは本気だよ。人が困るような冗談を言う子じゃない。意志は固くてもそれが言いだせない子だ、ずっと考えてきたことだと思う」

「私は……どうしたら」

 ファイはただ足元の、どこか遠いところを見ながら呟いた。ふわふわと浮ついた気持ちは、舞うような楽しいもので、地に足のつかない不安さだ。

「色んな事を抜きにして、君の気持ちはどうだい。ティエが君と添いたいと言う。君は、彼女を妻にしたいと思うかい」

「私は……」

 誰かを娶るということは、それが所帯となって、この先に命をつないでいくということだ。リュウがそう願ったように、子々孫々と何かを受け継いでいくということだ。今の今まで、この当たり前のように続いてきた生命の連鎖に、自分が組み込まれているとすら思わなかった。

「ティエが私をそう思ってくれていることは、とても嬉しいのです。彼女とともに生きていけたならどんなに楽しいことでしょう」

 これはまぎれもない本心で、そう仕合わせられたのなら、これ以上の幸いはない。

 ファイはじっと掌を見つめた。その下を流れる血は遥か昔からもたらされた、人間という大河の一滴だ。それを継いでいくことは、何よりも人であることではないか。願ってきたことではないか。

 それでも。

「……私の係累は、私と同じように生まれてくるでしょうか」

「天佑の力を持って生まれてくる、ということかい?」

「いえ……はい」

 今自分がようやく受け入れたことを、また誰かに負わせることになるだろうか。頭の中に浮かんだ疑問に答えるように、ショウが首を振った。

「たとえ血を分けた親子だとして、獣性は受け継がれるものではないよ。血ではこの世ははかれない。君がいつか力がなければと願ったように、力を得ることも願ったとして叶わないものだ」

「そう、ですか」

 ならば、残るのはまるで我侭のような、一つの思い。

「私は天から、おそらく果てもない時を与えられてしまいました」

 ショウが応えて、深く頷く。

「多くの人々が――私の大切な人々が、逝くのを見送らなければいけないのでしょう。子や孫が当たり前の人として生まれるのなら、それもきっと」

 再び頷き、ショウは祭壇に飾られる鏡を指差す。

「君は、気付いていたかい? たった数年、でも、君は邑に帰ってきてから外見が少しも変わっていない」

 ああ、やはり。

「私には耐えていく自信がありません。今ある大切なことを失うことにも、これから得る大切なものを見送ることにも。大切な人ができることが、とてもこわいのです」

 失うことがどれほどなのか、まだ殆ど知りもしないのに。思えば思うほど、怖くなるのだ。それなら、とショウは微笑む。

「ティエと話してごらん。今、思っていることをそのまま話すほうが、彼女のためになるだろう。ティエは知っているよ、それでも君がいいと言ったんだ」

「え……」

「君が嬉しいと言ったこと、彼女はきっと喜ぶと思うよ」

 ファイは立ち上がり、邑の中央――彼女が駆けていった方を見やる。

「ショウさん」

「どうぞ、私はあとからゆっくりいくよ。ここも閉めて行こう」

 ただし、と彼も立ち上がり、悪戯っぽく笑んで言う。

「待たせている友達と、その子供を祝ってやるのが先じゃないかな。今は邑中がお祝いだからね。何か伝えるなら、暮れてからでもゆっくり」

「……はい!」

 ファイは駆けだしかけ、慌てて持っていた鉄の錠をショウに預ける。

「これ、お願いします!」

 うんうん、と頷き、ショウが促すようにこちらの手を押し返す。邑の広場からは随分遠い、そのはずなのに、駆けだしたファイの耳には祝いの笛の音が聞こえていたのだ。風はやわらかく、春に戻ったように吹いていた。

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