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仕合せ

 邑長(むらおさ)がいたのは、砂鉄から鉄の塊を作る炉場(ろば)だった。今も製鉄の途中らしく、壺型の炉が紫色の炎を上げている。時々に爆ぜて火の粉を飛ばし、夕陽のような色の尾を引いてつぶてが散らばった。近くに来てようやく、鍛治(かぬち)の男たちはこちらの姿に気付いたらしかった。こちらを見て、次いで先に気付いていたであろう邑長の方へ目をやっている。

 邑長は相変わらず難しい顔をしていたが、この対面を面白くないと思っているのは確かだ。追い出したつもりでいたのだろうから、忘れる間もなく戻ってきたら、それも当然だろう。ファイは彼の前で膝を屈し、行うべき礼をきちんと行った。

「……帰ってきたのか」

「はい。五年もかかってしまいましたが、確かに神官として道を修めて参りました。そうなれば、生まれたこの邑のため、社司として戻るのがふさわしいと思ったのです」

 相手の返事を待たず、ファイは顔をあげた。

「そのおつもりで、私が町へ修行に出ることをお許しくださったのでしょうから」

 邑長は何も答えず、土を盛って作られた炉場の向こう側へと歩き始めた。

「邑長さま」

「社司としてはどうなったかしらんが、邑の事はすっかり忘れたらしいな」

 それとも、と彼は片笑みを浮かべて振り返る。

鍛治(かぬち)らの手を止めて、鉄を駄目にしたいのか?」

 息をひそめ、手を止めてこちらを見ていた鉄づくりの男たちが、その声にびくりと体を震わせた。慌てたように(つち)が振り上げられ、かねを打つ音がまた始まる。ファイは立ち上がり、歩いて行く邑長の後を追った。

 火力を上げるために高く作られた炉場を下り、川の土手下までついていった。川の音がさらさらと聞こえてきて、沈黙の漂う場に(むら)の中の音がよく通る。

「邑長さま」

 声を掛けたが、彼は振り返らなかった。ファイは早足に進むその背を見つめ、追いすがるように言う。

「ここで生まれたものとはいえ、一度邑を出た身です。お許しいただけなければ私は邑にはいられません」

 何にも許しは必要なのだ。今は、この身の在ることを拒み、戻ることを阻んだその人のものが。ぴた、と足を止め、邑長は言った。

「社司の学びを終え、一人前になってきた、といったな」

「はい」

 短く応え、ファイは彼の背中を見つめた。あんなに大きく、恐ろしく見えた背中を今、同じような高さで見ている。

「大きな町の社司を務め、邑の名を挙げることは考えなかったか」

「勧められました。しかし、何よりの師となったあちらの社司さまは戻るべきだとおっしゃいましたし、私もそのようにしたいと思ったのです」

 数日前のいざこざを思い出して、ファイは深く息をつく。町の社は今、どうしているだろう。そんな思いがふとよぎり、小さく首を振った。

 同じようにつかれた深い呼吸のあと、邑長が口を開いた。

「なら、好きにするがいい。とはいえ、まだ社にはショウ殿がいる。指示はそこで仰げ。うぬぼれていなければ、すぐに取って代わろうとは思わんな?」

 もちろんです、と答えながらも、ファイは拍子抜けするような気持ちになった。もっと何か言われると思っていたのだ。嫌味の十や二十、言われるつもりで。

「とっとと行け。邑のため、と言った言葉を反故にすれば許さん」

 ようやくこちらを見たその目は、数年前にあった射殺すような色をすっかり失くしていた。何もかもを指弾するような、とげとげしいそれが。

「私のいない間に、何かあったのでしょうか」

 聞こえなくてもよいと呟いた言葉に、彼は微かに反応したが何も答えなかった。ただ、とっとと行け、と繰り返し、ファイもその場を離れたのだった。


 川を(さかのぼ)るように進み、邑の端の(やしろ)につく。扉を開け、声を駆けるとひとりの娘に支えられた社司様が出てきた。

「ファイ! 戻ってきたね」

 皺は深くなっても、変わらない凛とした意気にファイはほっと息をつく。彼は娘の手を借りながら、参拝者の為の椅子に腰かけ、苦笑する。

「二年ほど前に病気をしてね、熱はすっかり引いたんだけれど、足がこの通り」

 そして、こちらをじっと眺め、彼は満足そうに頷いた。

「立派になったよ」

「……素晴らしい方をご紹介いただきましたから」

 応えると、彼も寂しげに微笑んだ。

「少し前に手紙がきたよ。ありがとう、きっと君ならふさわしいようにしてくれただろう」

 微かに胸が痛んで、ファイは小さく頷いた。彼もそれ以上何も云わず、静寂にかの人を悼んだ。

「さて、帰ってきたところで、君が社司になるかい?」

「いえ! 邑のことも、神官としての心構えも経験も、社司様にはまだまだ及びませんから」

 めっそうもない、と答えると社司様は笑った。そして、もう一度、立派になった、と頷いた。

「では、今日からまたよろしく頼むよ。そうだ、この子はティエ。私の身の周りの世話をしてくれているよ。社司の仕事にも興味があるらしい。ファイ、君も彼女に色々と教えてくれると助かる」

 社司様は傍に控えていた娘を示し、彼女は緊張した様子でお辞儀をした。

「私でよければ。よろしく、ティエ」

 握手をしようと手を伸ばしたが、ティエは小さな声で、俯き加減に返事をしてすぐ、夕餉の支度を、と別室へと駆けていってしまった。

「僕が(ばく)だと知っているんですか」

 問うと、社司様は小さく笑う。

「知ってはいるけど、まぁ、彼女も年頃だ」

 その応えに、顔が赤くなるのを感じて、困ったように社司様を見る。彼はただ悪戯っぽく笑っただけで、何も言わなかった。


 しばらくは邑の人を思い出して、居ない間に何があったかを知るだけで時間がかかるだろう。ファイをそれこそ生まれた時から知る人は、やはりまだこちらを恐ろしく思っているらしい。ただ、昔と違ってこちらも意図せず獣の姿になったりしないし、修行してきた、と聞いたのか、多少なりとも安心したらしかった。そして、ファイが生まれた後に生まれた子や同年代は、大人に言われたから傍に寄らなかっただけで、今となっては何の気負いもなく接してくれた。

 帰ってきたその日、ファイは招かれてリュウの家に行った。結婚したからか、同じ家ではあるが離れの一室でリュウ達は過ごしていた。かつて、ファイと母が過ごした小屋はもうないらしい。

 彼の小さな子は訪ねた時には眠っていた。娘だという。彼の妻に酒を注がれて、そういえば初めて飲むと気付いた。再会を祝して杯を空け、リュウの新しい家族、お互いの変わったところ、変わらないところを話して笑った。

 昔話を(さかな)にしばらく飲んだあと、リュウはほんの少し赤らんだ顔で言った。

「俺さ、三年くらい前に実は、ファイのいた町に行ったんだ。鉄の取引と、祝言に必要なものを買いにな。社にも行った」

 ファイは口をつけていた杯から、驚き、顔を上げる。

「声をかけてくれればよかったのに」

 同じように酒を口に含み、リュウは小さく笑いながら首を振った。

「できなかった。そこで見たファイがあんまり偉い人に見えたもんでさ。もしかしたら、ファイはこうしているほうがいいのかもしれない。そう思ったんだ」

 でも、とまた一口して、続ける。

「戻ってきてくれた。俺が変われないだけかもしれないけどな、ファイがそのままでいてくれたことが、俺にはすごく嬉しかった」

「約束したからね。それに、僕の帰る場所は、やっぱりリュウや母さんのいるこの邑だけだから」

 顔を見合わせて、笑む。外から吹き込む風は晩秋の匂いをつれていた。懐かしい匂いで、変わらず迎えてくれたもののひとつ。

酒を入れていた壺が空いたらしい、それと肴とを取りに行こうと彼の奥さんが立ちあがる。ファイが手伝おうとして、彼女は笑い、少しは動きたいのだとそれを断った。

「ファイ」

彼女の姿が見えなくなったころ、改まった声でリュウがこちらを呼んだ。

「親父から、聞いた」

 それだけで何を聞いたか、ファイはおおよそ把握した。

「ほんの少し想像しただけなんだけどな、そうじゃないかって聞いたら、親父はファイが言ったのかって慌ててさ。結局全部教えてくれた」

 ただ一人の、互いの父親の話。二人の関係のこと。

「そうなれば、全部説明がつくよな。親父がファイに辛くあたるのも、ヨウさんが俺を育ててくれたことも。全部さ、そう思えば納得がいく。――俺達は兄弟だったんだ」

「リュウ」

 いつかの邑長の笑みと似たようなものをその顔に浮かべて、リュウは杯を置いた。

「ファイは知ってたんだろ? でも、言わなかった」

 僅かに沈黙した後、頷いて返す。

「悔しかったんだ。俺は何も知らなかった。知っていればきっと、できることもあったのにな」

「リュウ、それは」

 言いかけたのを遮って、リュウはわかってる、と呟く。

「言えば上手くいかなかったこともあるよな。色んな人が傷つく。それに、俺は――」

 その両眼からつう、と涙が流れる。

「悪い、ファイ。俺がもし、親父と同じ状況になれば、きっと同じことをしただろうと思うんだ。何か自分で変えられないかって、誰かを傷つけてでも得たいものを捕まえようとすると思うんだ。俺と親父は似ているからな」

 彼が悪いわけではないのに、リュウは何度もごめんな、と謝った。そのうちに奥さんが帰ってきて、自分の主人が泣いているのに驚き立ち止まった。うろたえながら、こちらと彼とを繰り返し見る。水を、とだけ言って、ファイは彼女の持ってきたものを受け取り、壁際に置く。

「落ち着いて」

 彼の背を撫で、息を整えさせる。短い呼吸を繰り返し、彼はむせびながら言う。

「親父な、ユンのことをすごく可愛がってくれるんだよ。普段はあんな感じだけどな、本当は……」

 彼と同じようにファイも、わかってる、とその先を遮る。

「仕合わせが悪かったんだよ。誰も、ただそれぞれの幸せを願ったけど、それがうまくかみ合わなかった。誰も彼も悪くないんだ」

 彼も自分も、そして、邑長も母も社司さまも。皆みんなが、自分と誰かの幸せを祈ったはずなのに。

 ふいに、星が見たいと思う。星も、遥か彼方にいるという天も、こうなることを望んだのだろうか。こういう仕合わせを描いたのだろうか。

 水が来るころには、リュウは落ち着き、少し飲み過ぎた、と苦笑した。持ってきた水を一気に飲み干し、また飲もうという。

「今度は、もう少し控え目にさ」

「僕はまだ大丈夫だけどね」

 言って返すと、用意しておくさ、とリュウはいつもの調子に戻っていた。夜も更け、風が冷たくなってきた。言って出てきたとはいえ、まだかまだかと母が心配して待っているだろう。

 これから続く邑の暮らしと、お互いの健康を祈り、彼の家を出た。冬が近いと、星は少しばかりその光を強める。(いろど)りの消える地上を励ますように。仕合わせが幸せであるようにと、人々の願いを乗せて、強く強く。


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