手紙の行く先は
――まるで、何かの巣窟かのように真っ暗な部屋。あたりを見回そうとしても、視界は黒く塗りつぶされ、何も見えない。外はもう日が暮れたのだろうか。真っ暗な部屋の中で、足に何度かなにかをぶつけながら光源を探した。
自分が前に進んでいるのかさえ、分からない状況で足を動かした。ぶつかるなにかに刃物でもあったのだろうか、足に少し痛みが襲った。
――すると、先のほうでぼんやりと黄色い光が見えた。その光に導かれるかのように、歩みを速めた。目を細めるとだんだんと目が慣れて、多少はまわりの状況も見えてきた。足下には、何故か分厚い本のようなものが散乱している。それと同じく、メモの走り書きのようなものまでたくさん落ちている。足下だけでなくその先にもたくさん散らばり、その中にでも刃物が散らばっていたのではないだろうか、と思った。
ぼんやりとした光は、もう目の前まで迫っていた。なにかの気配を感じ、目を凝らした。――小さな子供のような人影が見えた。おそらく、自分の背の半分ほどしかない。近くまで寄ると、その正体ははっきりと分かった。
「ナニやってんの?」
人影に話しかける。すると、人影はビクッと肩を震わせると、そろりと後ろに振り向いた。
「・・・・・・なぁんだ、クオレさんじゃないですか。びっくりさせないでくださいよ」
その容姿とはかけ離れた、子供とは思えない低い声で答えた。
「アーズ、それはこっちの台詞だ。暗闇で人の気配がするのはあまりにも怖い」
クオレはやれやれといった様子。見ると、目の前には机のようなものがある。その上には暖色系の光を放つ、小さなランプ。かなり古びているためか、机の周辺しか光は届かないようだ。そして、照らされた机の上には、数枚の紙が置かれていた。
「クオレさん、訓練どうでしたか? お疲れ様です」
アーズは着ていた赤いローブのフードを脱いだ。明かりに照らされるその顔は、幼い男の子である。人間とあまり見た目は変わらない。しかし、見つめてくるその瞳は片方は、黒々とした丸い目。もう片方は真っ赤に染められた、真紅の瞳。切れ目であり、両方の目はどちらとも均等ではない。
「・・・正直きついよ。人を殺すためだもんな、結局。」
毎日毎日、同じような訓練が続く。それも、生物を殺すために。国のためだと言わんばかりに、自分達には拒否権などなかった。いつからこれほどにまで、地の底まで落ちてしまったのか。
「それは、みんなが思ってることですよ。でも・・・仕方ないんです、ボク達は殺し合いの道具でしかないんですから」
「殺し合いの道具か・・・・・・。アーズの容姿からその言葉が出てくるとこの世も終わりだと思えてくるよ」
冗談交じりで、けらけらと笑う。久しぶりに笑ったような気がした。
アーズは頬を膨らませ、不機嫌になった。
「容姿がこんなのにはちゃんとした理由がありますから」
なおも頬を膨らませるアーズをまぁまぁ、というように宥めた。
――なぜ、争わなければならないのか。種族同士の、私欲の塊のこの戦争に、何も生まない惨めな争いに巻き込まれなくてはならなかったのだろうか。得をするのはお偉い人たちのみ。その他はゴミのように使い捨てられる。いつから、そのような時代になってしまったのか。気づいたときには、戦争という悪夢は始まっていた。
事の発端は、くだらない種族同士の喧嘩から始まっていた。世界には、人間と人ならざる人種が存在していた。もともと人間と、人ならざる人種は相容れない存在だった。人間は特別な能力は持たなかったが意欲があり、なにかのためなら自分を犠牲にできた。人ならざる人種は人間には無い特別な力を持っていた。だが、その力を安易には使おうとはしなかった。
何故か、それは『争い』を避けるためであった。人ならざる人種には特別な力があったが、その力は時に人間を傷つける方法にもなりえたからだ。人間には特別な力はない。故にその力に対抗するものを持ち得てはいなかった。そのため、人ならざる人種はその力を使わず、人間との間を均衡に保とうとした。
それで良かったのだ、そのままの関係を続けていれば、こんなことにはならなかった。だが、人間は争いを好んだ。なにかのためならどんなものでも犠牲にした。自分達を信じている、国民を。市民を。
ある国で、それは突然起こった。その国は人ならざる人種を生き物として認識していなかった。邪魔なものは排除しよう、そして、自分達の居場所を増やそうと。
人間はそのときから欲望の固まりでしかなくなった。なにかのリミッターが外れたかのように、人ならざる人種は次々と襲われ、尊い命が失われた。
そして、人ならざる人種は均衡を破った。いままで抑えていた力を思う存分使うことにした。もうこれ以上仲間を失うわけにはいかない、人間を排除しよう。そうすれば、きっと争いは消えると信じて。
アーズがいたのはたくさんの書物などが保管されている暗い書物室の中だった。日はもう暮れかかっている所為か手元が見えないほどだった。
「もうすぐかもな・・・。戦場に狩り出されるのも」
クオレはこの、人ならざる人種のみで構成されている国で、兵士として毎日訓練に明け暮れていた。それもすべては人間を殺すために。
「そうですね・・・。時間の問題ですよ、嫌ですよね・・・こんな惨めなことをするのは」
「誰も望んでないよな。自分の命と引き換えに戦うなんてさ、俺達はただ平和に過ごして生きたいだけだなのに」
戦場に狩り出される、それは自分の死を意味していた。戦場に行ったもので無事に帰ってこれたものはいなかった。いままでも、きっとこれからもずっと続く。
「はは、本当に終わりだよ」
クオレは近くにあった木製の椅子に座った。
「希望を失ったら、それこそ終わりですよ」
アーズは机の上にあった数枚の紙に目を向けた。そばにあった羽ペンをインクにつける。それに気づいたクオレは、興味深々にその様子を見つめた。
「何書いてんの?」
そう聞くと、アーズはなぜか焦った様子で書いていた紙を隠そうとした。
「これはっ、ただの手紙ですよっ」
「じゃあ、なんでそんなに焦ってるんだ?」
見ると、アーズの顔が赤く染まっていくのが分かった。悪戯心で問い詰めたくなった。
クオレの表情が緩んでいるのを見たアーズは仕方がない、というように白状し出した。
「この手紙は幼馴染に送ってるものです! ・・・たまにしか返ってこないけれど」
「へぇ~、そうなんだ。幼馴染ってどんなひとなんだ?」
なおも顔が赤いアーズはクオレの顔をまともに見れず、机を見つめたままでぽつぽつと話し始めた。
「・・・活発で、とても男らしい人です。女性なんですけどね。ボクより強くて、本当に何でもできるひとです」
「・・・そのひとは人間?」
「ボク達と同じです。種族は違いますけど」
少し間を空けて、また話し始めた。
「ボクとは家族ぐるみでよく遊んでいました。同い年ということもあったんですけどね。その頃から男みたいに身軽で、ボクは守られてばかりでした。ボクは気が弱くて、おどおどしている所があってよくいじめられていたんです。その時にいつも庇ってくれて、ある意味憧れだったんです」
「でも・・・」
アーズが急にはたと話を止めた。
「でも?」
悲しそうな、そんな顔になった。その様子を見て、気になって仕方がなくなった。
アーズはことばを搾り出すかのように喋りだした。
「その頃から、戦争は始まってしまったんです。平和だった暮らしも無くなってボク達は、たくさんの肉親を亡くしました。父親は兵士として狩り出され、母親は戦火の火に巻き込まれて死にました。彼女も同じような状況になってしまいました」
「でも、彼女は強かった。ボクは、またくよくよしていて、そんな自分が嫌で仕様がなくて、そんな時に彼女は支えになってくれました。だけど、ボクは彼女に何もしてやれない自分に気づきました。守られてばかりで、弱い自分。彼女に何をしてやれるのか、そう思った時たった一つの方法を思いついたんです」
アーズは軽く笑った。
「単純に考えたんです。彼女してあげられること、兵士になって彼女を守る事ができたらって」
「それが、兵士になった理由なのか?」
アーズはこくりとうなずいた。
「それなら自分にもできると思って、自分から志願しました。でも、そんな風に思っていたのはボクだけじゃなかったんです」
「彼女も同じことを思っていたんです。誰かを守るために何が自分にできるのかを。正義感の強い彼女は、女性でありながら兵士になる事を望んだのです。ボクはそのことに反対しました。彼女を危険な目には遭わせたくは無かったから」
「だけど、彼女の意思は固かったんです。兵士になることは死に急ぐことと同じことなのに。ボクはその意思に折れました。彼女のことです、反対したって突っ走るに違いありませんでしたから」
アーズは一息つくと、羽ペンをインク入れに挿した。
「ボクは希望を失いたくは無いです。たとえ、終わらない争いであっても、彼女が無事であるならば、ボクは戦い続けるつもりです」
その意志の強い眼差しを見て、クオレはかける言葉を失った。自分には無いものを間近に感じた。誰かの為に戦うなど考えた事などなかった。
「・・・凄いな、そこまで言えるなんて。そんなに彼女の事が好きなんだ」
クオレは笑って、軽く言ったつもりだったがアーズはその言葉で固まってしまった。
「そっ、そんな事は・・・」
と言ったきり、黙ってしまった。
「・・・・・・でも、最近手紙が返って来ないんです。遅くても一週間ぐらいで返ってきてたのに」
少し沈黙が続いた後に、心配そうな声が聞こえた。
「相手も忙しいんじゃないか?」
「だといいんですけど・・・」
「まぁ、物騒だしな。最近も西のほうの部隊も敵の奇襲に遭ったみたいだから」
すると、アーズは突然目を見開いた。
「西のほう!? 奇襲があったんですか!?」
凄い勢いで話に噛み付いた様子を見て、クオレは少し後づさりした。
「どっどうしたんだ? そんなに驚いて」
落ち着け、とクオレはアーズを宥めた。
「キリンカは、西の部隊にいるんです! いつ奇襲が起こったんですか」
キリンカ、その言葉を聞いたとたん、クオレは身が縮まる思いに襲われた。何ともいえない、ただただ呆然とアーズが必死に語りかけるのも無視し、固まった。この世の中、戦場を知る方法も限られていた。どこで、何が起こっているかも、ただの兵士であるクオレやアーズには伝えられない。しかし、クオレはたまたま知ってしまっていた。その奇襲でどれだけの犠牲を払ったのか、被害が出たのかを。知らなくとも良かったのに、と思うと胸が締めつけられた。情報は厳重に守られているため、他の兵士にも伝わってはいないだろう。もちろんアーズにも。
キリンカという名の兵士がいたこと、それもすべて知っていた。
――そして、彼女が奇襲の犠牲者であるということも。
「・・・・・・クオレさん? どうしたんですか?」
はっと、我に返った。
「あぁ・・・・・・」
「何か、ぼぅっとしてましたけど」
「ちょっと考え事してたんだよ」
適当に誤魔化したが、内心複雑な思いでいっぱいだった。手紙の返信がないのも、すべてを知っているクオレは、キリンカを心配しているアーズを見ると苦しくて仕方が無かった。言える訳がない、もう彼女はいないという残酷な事を。
「いつ、奇襲があったんですか」
「・・・それは分からない。あくまでも噂にすぎないから」
嘘をついた。これで良かったのだ、事実を教える事はクオレにはできなかった。
「そうですか。噂なんですね、よかったです」
――アーズの言葉が胸に刺さる。
「彼女の事だから、大丈夫です。元気にやってますよ、手紙はこないけれど」
アーズははにかむように笑った。
そして、再び羽ペンを手に取り、紙に何かを書きつけ始めた。多分、さっき話した事を書いているのだろう。
――しかし、その手紙は本人には決して届くことはない。
クオレはこらえきれない思いを抱えて、その場を静かに離れた。
*
それからも、書物室でアーズの姿を見かけた。毎日といっていいほど机に向かっている。クオレは声をかけることができなかった。彼を傷つけてしまいそうになるのを必死で抑えていた。
しかし、しばらくしてある日を境にぱったりとアーズの姿を見かけなくなった。書物室はおろか、他の場所でも、クオレの前に姿を現さなくなった。
「なぁ・・・・・・、アーズを最近見かけないんだけれど」
同じ訓練場の同僚に思い切って聞いてみた。
すると、同僚はあぁ、というように話し始めた。
「アーズは戦場にいったよ。先週、南の部隊に呼ばれて」
クオレは安堵の表情を見せた。正直、不謹慎だと思ったが、安心した。気を使うこともない、苦しまなくてもよくなった、と思うと自分はどれだけ自分勝手なのだろうか。クオレは自己嫌悪に陥った。
「そうなのか・・・・・・」
「本人も嫌だっただろうよ」
その同僚は決まり悪そうに笑った。
クオレは久しぶりにあの書物室に行ってみた。行く気になったのは、クオレにも分からなかった。あの時と状況は変わっていなかった。暗い、足元はランプをつけていないと何かに足がとられそうになる。そろりと慎重に物と物の間に足を置く。進んでいくと、古びた机と木製の椅子が見えた。
やはり、言っておいたほうが良かったのだろうか。アーズはおそらくもう戻ってはこない。その前に真実を知っておくべきだったのだろうか。ぐるぐるとクオレの中に葛藤が渦巻いた。
明かりを机の上に置いた。――すると、意外なものがクオレの目に飛び込んだ。明かりに照らされ、その物体が鮮明にくっきりと見える。
――それは、淡い黄色の便箋だった。そして、宛名は「キリンカへ」
自然と手が便箋へと動き、そして封を切った。
『キリンカ、君から手紙が返ってこなくなって、どれくらい経ったかな。君は大雑把だから返信も適当にしてるかもしれないけれど、こっちとしてはものすごく心配になる。だって、一週間以上も返ってこなかった事なかったから。何かあったんじゃないかって、本気で心配する。せめてでもいいから、君が無事だって事は伝えてほしい。いままで言わなかったけど、ボクはキリンカを守るために兵士になったんだよね。でも、君も兵士になった。反対したよね、兵士になること。君が兵士になったら、守れるものも守れなくなるから、ボクは反対した。だから、万が一のことがあると困る。ボクが兵士であることの意味がなくなるんだ』
『・・・・・・はは、こんなこと書いたのは初めてだよ。今までは他愛も無いことばかり書いてたけれど、もういいよね。多分これが最後の手紙になるから』
『本当は分かってたんだ、ずっと前から。でも信じられなくてずるずると引きずって、振り切れなくって。かっこ悪いよ。でも、ボクももうすぐ戦場にいかなければなりません。君と同じように、戦場で死ねるのだから、もう、この手紙も書かなくて済みます。キリンカ、今までありがとうございました』
広げた手紙を握り締め、静かに涙を堪えた。何もかもが吹っ飛ぶような感覚に陥り、堪えることも困難になり、思いっきり大声で泣いた。その声は暗い静かな書物室にこだまするかのように響きわたった。