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ゴールデンボーイ MLB選手 ジャッキー・ジェンセン(1927-1982)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2026/03/26

とうに全盛期を過ぎてチームのお荷物になっても、「リハビリ中」だの「再起に向けて」だの裏金議員顔負けの言い訳を唱えながら高額の年俸をキープし、現役に固執している選手は、ある意味議員向きかもしれないが、安月給にもかかわらず容赦なく整理されてゆく若手や育成選手たちから見れば”老害”でしかない。ところがジャッキー・ジェンセンは打撃タイトルを獲得しながら引退を選んだ欲のない男だった。それも飛行機嫌いが原因でメジャーのスーパースターの座を未練なく明け渡すのだから、潔いのか変人なのか評価に苦しむところである。


 飛行機嫌いで有名な日本の野球選手というと、カープの鉄人、衣笠祥雄や野球の神様、川上哲治らが挙げられる。

 飛行機に事故はつきものという認識から、野球チームが飛行機移動する際は全滅しないよう二班に分けて別便に搭乗するのが一般的だが、このあたりの配慮も飛行機嫌いにとってはかえって恐怖心をあおる要因となっているのかもしれない。

 それでも狭い日本、衣笠や川上の時代は新幹線やブルートレインでの移動機会も多かったが、アメリカとなるとそうはゆかない。マイナーリーガーこそ長距離バスが主流でも、メジャーリーガーは戦後間もない頃から飛行機移動が常識だった。

 この飛行機移動に耐えられず、レッドソックスの五番右翼手の座をいとも簡単に明け渡した男がいる。それもア・リーグ打点王のタイトルを獲得した数ヶ月後に引退表明というのだから、相当なトラウマだったに違いない。

 飛行機に乗るのが耐えられないことと、家族とゆっくり過ごしたいというのが引退の理由だが、これほど欲のない男も珍しい。テッド・ウィリアムスとともにレッドソックスの打の二枚看板だったジャッキー・ジェンセンがその人である。

 一九五三年に全米オールスターの一員として来日した時から、日本のマスコミの間でメジャー選手の中で一番の真面目人間と評価されたジェンセンだけに、恐怖心が伴ってはプレーに集中できずチームに迷惑をかけるという思いもあったのかもしれない。結局、彼は五十五歳の若さで心臓発作によって死亡したが、長年の心労が心臓に負担をかけていたのかどうかは定かではない。


 ジェンセンは一流アスリートが多く在籍するカリフォルニア大学の中でも飛びきりの有名人だった。

 一九四七年、カリフォルニア大学のエースピッチャーとして第一回カレッジワールドシリーズを制覇すると、一九四九年にはランニングバックとしてローズボウル(アメフトの全米大学選手権)にも出場した。こちらは二〇対一四で惜敗したが、六十七ヤードのタッチダウンを決めるなど全米大学選抜選手の実力を見せつけている。

 ちなみに大学野球とカレッジフットボールの両方で最高峰の舞台に立ったのは彼が最初である。

 同年にヤンキースとマイナー(3A)契約した時は「ゴールデンボーイ」と騒がれ、翌年には早くもメジャーに昇格した。

 ヤンキースでは俊足の外野手としてジョー・ディマジオの後継者として期待されたが、同じポジションを争うライバルがミッキー・マントルだったのは運が悪かったとしか言いようがない。何をやっても超一流だったゴールデンボーイも、メジャー史上最高のスイッチヒッターの前に人生初の挫折を経験した。

 この二人はほぼ同体型で肩も良く俊足で守備範囲が広いところまでは同格だったが、ヤンキースはルース級の長打力を持つマントルの方にスター性を感じたのだろう。新人時代のジェンセンの背番号が40だったのに対し、マントルがいきなり6を与えられたのも期待度の差に他ならない。

 しかし、ゴールデンボーイとのポジション争いに勝ったマントルの方も、ディマジオの後継者というプレッシャーに押し潰され、一時期は3A行きを命じられたこともある。


 一九五二年五月に早くもワシントン・セネタースにトレードされたのは、ジェンセンにとって幸いだったかもしれない。弱小チームゆえにすぐにレギュラーに抜擢されたからだ。

 この年は二割八分六厘、十本塁打、八十二打点、十八盗塁という成績に加えて右翼守備も評価され、マントルとともにオールスターに初選出された。

 この年のオールスターは五回コールドになったため、ジェンセンは右翼守備だけの出場となったが、マントルの方は全く出る幕がなかった。

 来日したのはその翌年で、ワシントン・セネタースのジェンセンとして日本のファンにも初お目見えした。

 当時のメジャーと日本野球のレベルの差は大きく、アメリカ選手の多くは観光ついでの練習試合感覚で試合に臨んでいた中、ジェンセンはよく守りよく走り、常に全力プレーでファンの期待に応えた。

 一九五四年、レッドソックスに移籍したジェンセンは名手ドム・ディマジオの後釜として中堅に入り、今度はこの穴を完全に埋めるだけの成績を残した。テッド・ウィリアムズに次ぐ二五本塁打をマークし、打点はチームトップの一一七打点、さらには二二盗塁で盗塁王のタイトルまで獲得している。

 ところが足が速いくせに併殺が多く、盗塁王にもかかわらず併殺打三十二という当時のメジャー記録まで作っている。

 一九五六年も三塁打十一本はリーグトップでありながら、併殺打二十三もまたリーグトップという珍記録を残しているが、彼の打点の多さから察するに、塁上に走者がいるときは難しい球でも積極的に打ちにいった弊害だったと思われる。

 

 中堅をリーグ最高の外野手ピアソールに任せて右翼に回った一九五五年は、欠場気味のウィリアムズに代わってチームを引っ張り、一一六打点で打点王、一九五六年は初の三割を打ち、チームが久々に優勝争いを演じる原動力となった。

 ジェンセンは出塁率が高いウィリアムズの後の五番が指定席ということもあって、チャンスに打順が回ってくることが多かったが、ウィリアムズと四・五番コンビを組んだ六年間の本塁打数、打点ともにウィリアムズを超えており、チームへの貢献度に関しては打撃陣の中ではナンバーワンだった。ちなみにこの間の六六七打点はライバルのマントルを凌ぐア・リ―グ最高の数字である。

 同時期のマントルは首位打者一回、本塁打王三回、打点王一回で、三冠王の年(一九五六年)以外は打点でジェンセンを超えることは出来なかった。

 それでも長打力となると自信があるのか、一九五九年のシーズンオフにTV局の企画で行われた本塁打競争ではマントル九本、ジェンセン二本でマントルの圧勝だった。レッドソックスでは最高の長距離打者であるジェンセンも、かつてポジション争いに敗れた苦い経験が劣等感になっているのか、マントルの前ではいつにないほど緊張しており、力んだバッティングが目立っていた。


 キャリアハイの二割八分六厘、三五本塁打、一二二打点を記録した一九五八年は、チーム順位こそ三位ながら首位打者のウィリアムズを差し置いて、MVPを獲得している。

 全盛期を過ぎたとはいえコンビ期間中の平均打率が三割四分を超え(リーグ一位)首位打者を二回獲得したウィリアムズと打点王三回のジェンセンを擁しながらレッドソックスがほとんど優勝争いにからめなかったのは、投手陣がお粗末だったからである。そのため、ジェンセンがワールドシリーズの舞台を踏んだのはヤンキース時代に代走で出た一度きりだった。

 ウィリアムズが故障でキャリア最低の成績に終わった一九五九年も孤軍奮闘したジェンセンは二割七分七厘、二八本塁打、一一二打点で打点王、いまだ盗塁数も二〇を記録していたが、前述の理由で現役引退を表明した。

 とはいえ、選手生活晩年のウィリアムズの十万ドルという年俸に対し、ジェンセンが三万八千ドルというのは差が有りすぎるように思われることから、契約上のもつれがあったとも考えられる。

 ジェンセンの引退の翌年、ウィリアムズも引退してしまいチームがどん底状態になると、レッドソックスは引退時の年俸に千ドル上積みするという条件でジェンセンを説得し、もう一度ユニフォームを着せることに成功した。

 飛行機嫌いの対策として催眠療法などあらゆる便宜をはかるという球団の熱意にほだされた格好でのカムバックとなったが、本塁打、打点ともに半減し、一年限りでユニフォームを脱いだ。

 もしカムバックがなければ、二〇一六年のデビッド・オルティーズ以前に現役最後のシーズンを打点王で終った最初の選手になっていたところだった。

 引退後はカレッジフットボールの解説者などをやっていたが、急死後、カレッジフットボールの殿堂入りをしている。

 生涯成績(11年) '279 199本塁打 929打点 1463安打


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