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子不語堂志怪録 星なき夜に影は踊る  作者: 悠井すみれ
第一章 縊鬼になった夫
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5.縊鬼を待ちながら

 子不語しふご堂に戻った辰蘭しんらんは、司獄司しごくしで得た情報を鏈瑣れんさに伝えた。縊鬼いきを装った盗賊がいるのでは、という推測も添えると、悪食かつ悪声の化物は盛大に不満を漏らした。


「では、縊鬼はいないのか!? 人間ひとりを龍淵から捜し出せと!? 小物の精怪何匹かだけでは割に合わぬ!」


 先日のように首を取り外してはいないものの、長榻ながいすに寝っ転がった格好が疲労を雄弁に訴えている。対する辰蘭は、姿勢を正して椅子に座したままで宥める。


「鼠だのを脅す時にもいくらか喰ったのではないのか」


 小さな虫や獣の精怪は、広い都のいかなる場所にもいる代わり、知能は低いらしい。


 鏈瑣ならば化物の誼で意思疎通ができぬことはないが、言うことを聞かせるには命の危険で脅すのが一番、ということだった。仲間が喰われるのを前にすれば、それは必死に働くだろう。この点、辰蘭は有象無象の精怪に哀れみさえ覚えているのだが――


「あんな不味マズいものどもが腹の足しになるか!」


 壊れた鐘を鳴らすかのような罅割れた声で、鏈瑣は吼えた。


 喰われた上に罵られるとは、精怪どもはいっそう気の毒だ。眉を寄せた辰蘭に、美貌の化物はそれは麗しい憂い顔で詰め寄ってくる。


「その男は、どうせ妻を捨てて借金取りから逃げているのだろう。どこぞの妓楼だか屋敷だかの下働きにでも潜り込んでいるなら厄介だぞ。名を変えているかもしれないし、精怪どもには人の顔や名の区別はつかないからな」


 鏈瑣には人間並みの感情はないが、辰蘭と同じ推測に至るていどの知恵はある。さらには、先手を打ってさらなる面倒を避けようとする怠惰さも。


 嫌だやりたくない働きたくない、と言外に喚く化物に対して、辰蘭は慎重に首を振った。


「いや……そのように、海に落ちた針を探すような真似はさせぬ」

「本当か? 俺は先生の命令に従う必要は、本来はないのだぞ? 目覚めさせた者に縛られるようになっているだけで……あの女の命令を介してのお付き合いでしかないのだからな。分かっているか?」


 疑い深げに目を細める鏈瑣の表情を見れば、妹の梓媚は化物にとってさえ油断ならない存在のようだ、と察せられた。まったくあの女は恐ろしい。


「うむ、お前が助力してくれれば心強い。あてもなく精怪をうろつかせるよりは、いくらか見込みのある……そして恐らくはお前にとっても楽な策があるのだ」


 それに、と。続ける時に、辰蘭は思わせぶりに声を落とした。


「上手くいけば、縊鬼を捕らえることもできるかもしれぬ」

「本当か!?」


 歓声を上げて破顔した鏈瑣の笑みの眩さは、夜空に浮かんだ月のようでさえあった。縊鬼を喰いたいという食い意地によるものだと知っているから、辰蘭が見蕩れることなどなかったが。


      * * *


 十日ほど後――辰蘭は、てい氏の住まいの近くの空き家に寝泊りしていた。金さえ払えば仔細を問わない家主だったのは幸いだった。縊鬼捜し云々とは言えないから、建前を考えるのが手間だっただろうから。


 この間、龍淵りょうえんの都は偽縊鬼の話で持ち切りだ。


 縊鬼に怯えた捕吏たちの捜査不行き届きを知ったしょう司獄は、さすがに辣腕だった。縊鬼のしわざとして片付けられた遺体のうち、いくつかは確かに自死だったものの、再捜査によって他殺だと判明したり、現場から金品が消えていたりした案件があることが、すぐに分かったのだ。


 血肉ある賊が相手となれば、捕吏たちも怯むことはない。上司の怒りを和らげるため、失態を挽回するためにも、龍淵のいかなる路地も廃屋もくまなく暴かれ、早くも賊の一味と見られた者たちが捕縛され始めている。


 とはいえ、これで縊鬼などいない、と民が安堵するのはまだ早い。縊鬼については、もうひとつの噂もまことしやかに語られている。


 曰く、賊の隠れ蓑に利用された縊鬼は怒っている。手口そのものにも、それによって鬼への恐怖を忘れようとしている者たちにも。賊が捕らえられて、世間の気が緩んだ隙を突いて、夜の闇に乗じて。縊鬼はまだ獲物を求めてさ迷っている――


 まあ、そのように流布させたのは辰蘭なのだが。


 写し終えた書を依頼人に渡す時、日用品を買い求める時。おおむね相手のほうから偽縊鬼の話題を出してくれたから、その流れで怪談めいた話を教えるのは不自然ではなかったはずだ。鏈瑣の見目良い姿は、妓楼の女や酒場の酔客の警戒を解くのに好都合でもあったことだし。恐ろしげな話は誰もが好むもので、あとは勝手に広まってくれたことだろう。


(あとは、上手く釣り出せるかどうか、だな)


 月も沈んだ深更に、辰蘭は鄭氏の住まいを密かに注視している。


 縊鬼に怯える庶民はとうに各々の家に引きこもって眠りに就いた時刻、灯を点すことはできないから、ごく微かな星明かりだけが頼りだった。


 古い伝説に曰く、かつては眩く不吉な凶星が夜空に傲然と輝いていたとか。だが、その凶星は極の太祖たいそ皇帝に退治されてとされた。以来、月のない夜は暗いものだと言うが――この闇は、果たして誰に利するだろうか。


(そろそろ動きがあって欲しいものだが――)


 昼間はそれなりに寝ているとはいえ、人間の身には連日の徹夜は堪える。だが、欠伸を堪える辰蘭の横で、鏈瑣ばけものは爛々と目を輝かせて生き生きとしている。


「確かに、ゆうれいや精怪の類は騙りを嫌うものだな。だが、あの女のもとに現れるとは限るまい。祟るなら、縊鬼を騙った賊のほうであろう。そちらを見張るほうが良いのではないか?」

「そちらは葉司獄が抜かりなくやってくださるだろう」


 鏈瑣のやる気は、縊鬼を捕らえて喰えるかも、という期待にかかっている。だからこそ辰蘭が仮眠をとる間の見張りを命じても、楽しげに不満を漏らしながらも従っているのだ。


 今や、化物のやる気が尽きるのと辰蘭の策が実を結ぶのと、どちらが早いかの競争になりつつある。


「縊鬼が人の手に負えるかな? 被疑者に死なれては困るのだろう? ここで恩を売ることができれば、今後も何かと――」

「――静かに」


 獲物を逃したくない一心なのだろう、錆びた声で必死に言い募る鏈瑣の口を塞いで、辰蘭はほとんど吐息だけで囁いた。


(来たぞ)


 目線で示すのは、鄭氏の住まいの戸口だ。


 開け放ったままとはいえ門を構えた子不語堂とは違って、庶民の家だ。内外を隔てるのは木の板の扉一枚に過ぎない。孤閨を憂える女人が休んでいるであろう目と鼻の先に、白い影が何やら蠢いている。――その影は、辰蘭たちが見守る中、するりと屋内に吸い込まれていく。


「行くぞ」


 言いながら、辰蘭は手探りで用意しておいた燭台に火をつけた。闇を払う眩しさに、鏈瑣はしきりに目を瞬かせ、そして首を傾げている。


「だが、あれは――」

「急がねばならぬ」


 訝しげな声を置き去りにして、辰蘭は屋外に出た。夏の夜の生ぬるい風が燭台の炎を揺らす。狭い路地を駆けること数歩、鄭氏の住まいに辿り着けば、戸口は細く開いている。


「縊鬼は、いちいち扉を開いたりしないぞ」

「で、あろうな」


 なんだかんだで後を追ってくれたのだろう、鏈瑣がぼそりと漏らす。不審と不満が、錆びた声にありありと滲んでいるが、辰蘭も言われるまでもなく承知している。


 本物の鬼ならば壁をすり抜けるくらいのことはできるだろう。戸を開ける必要があるのは、生きた、肉体を持った人間だ。


「では、なぜ――」

「説明は後でする。良きように動け」


 目の前でおやつを取り上げられた子供のように、見目良い化物が唇を尖らせる気配がする。が、辰蘭は多くは語らず、代わりにわざと音を立てて戸を開け放った。


「夜分に失礼をする」


 予想していた通り、貧しい家は狭かった。居間と厨房と作業場を兼ねるのだろう、織機しょっきが怪物めいた影を落とす一間の奥は、もう寝室になっているようだった。――寝台の上に、先ほどの白い影が蹲っているのが、燭台の灯で照らし出される。


「――なっ、だっ、だ……!?」


 なぜ、誰とでも問いたかったのだろうか。突然の人声と灯りに、「その男」は驚いて声も出せない様子だった。


 驚き動揺するのも道理、死に装束を纏ったその男の手には、帯が握られていた。そしてその帯は、眠っていたであろう鄭氏の首にしっかりと巻きついていた。

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