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子不語堂志怪録 星なき夜に影は踊る  作者: 悠井すみれ
第二章 樹精に恋した娘、あるいは
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6.茶番劇

 白い服を着せられて棺に寝かされ、墓所に収められる直前だった――という触れ込みの――娘は、辰蘭しんらんたちが近づくのを見計らったように目が覚めたらしかった。見計らった、というか、足音を聞いて時機を窺っていた、というのが実際のところだろうが。


「ここは、いったいどこですか!? わたくしは、どうしてここに――わたくしは、りゅう家の娘なのですよ!? 家に返してください……!」


 目が覚めたらまったく知らない家にいた、という状況に戸惑い怯える若い娘そのものの台詞は、まったく見事なものだった。筋書きの全容をおおむね把握している辰蘭はさておき、劉大人ならば、ころりと騙せるほどに。


皓君こうくん、本当に皓君なのか……!?」


 声を上げて駆け寄った劉大人に、その娘は大きく目を見開いた。


「お父様!? 来てくださったのですか……!?」


 涙ながらに抱き合う親子の感動の再会、を、辰蘭は白けた思いで傍観した。


(とても分かりやすい台詞だな。知っていると、とても聞いていられない……)


 劉大人が我が子の名で呼んで抱き締める娘は、当然のことながら皓君とは似ても似つかない。が、言葉遣いや佇まいは確かに良家の令嬢そのものだし、劉大人を見て迷わず父と呼び掛けた。説得力としては十分だろう。


(これでめでたく信じてくださっただろう。令嬢の魂が余所の娘の肉体に入ったのだ、と)


 何よりの決め手は、皓君役の娘が「本物」と遜色のない美しさと優雅さを持っている、ということのはずだ。


 劉大人は、これなら娘ということにしても良い、と咄嗟に計算したのだ。


 良家の縁談では、花嫁と花婿が事前に顔を合わせることなどない。伝えられた通りの年ごろと容姿、家格に相応しい立ち居振る舞いを兼ね備えているなら、誰だって良いのだ。


(だから代わりを用意してやれば良い、と――梓媚しびと令嬢は考えた、ということか)


 劉大人が大仰に泣いて感激して見せるのは、自分自身にも周囲にも借屍還魂の物語を信じ込ませるためのもの――徹頭徹尾、この場には役者しかいないのだ。


 出番を終えていくらか肩の力を抜いた辰蘭の横で、死者の親役の老人が服の袂で目元を押さえながら説明じみたことを言った。


ひなには惜しい娘だと思っておりました。名家の息女として嫁がせていただけるなら願ってもないこと」

「そう……さぞ苦労してお育てになったのでしょうな」

「ええ、誠に」


 含みある辰蘭の言葉に、老人もまた含みある笑みで応えた。劉大人は、「蘇った皓君」に、もとの好みや屋敷の様子について尋ねるのに忙しい。声が次第に大きくなっていくのは、娘が正しい答えを重ねていくのを確かめて、喜びが抑えきれないのだろう。実の親をも欺くほどに「仕込む」のは、それはもう苦労があって当然だろう。


 そんな様子だから、劉大人が役者同士、共犯同士の間で交わされた密かな視線に気付くことはなさそうだった。


(なんとまあ、大がかりな芝居だったことか……!)


 借屍しゃくし還魂かんこん――死者の魂が、他人の屍に入り込むことで蘇る、などという話はそうそう起きるはずがない。まして、都合良く若く美しい娘の新鮮な死体がたまたま転がっていた、などと。


 起きるはずのないことが起きたとしたら、それを仕組んだ者がいるということだ。


(梓媚なら、何もかも用意できる。令嬢を通して劉家の内情を得る。それを、代役の娘に流して覚えさせる。その娘の親と実家と、葬儀の客――舞台も役者も、すべて……)


 皓君の魂が入ったことになった娘は、梓媚の間諜だ。劉家の娘として嫁いだ後、夫や婚家の動向を後宮に流す役目を負わされている、といったところだろうか。


(ただ、娘ふたりを入れ替える手段だけがなかった。だから、私と鏈瑣れんさを使ったのだな)


 夏の縊鬼いき騒ぎで得た多少の評判と、そして何より化物の力を全力で活用して、尋常ならざる怪しの物事への説得力を演出した、というわけだ。


 辰蘭と同じく、梓媚に利用し尽くされた鏈瑣は、整った唇を結んで「皓君」と劉大人を傍観している。じゃらじゃらとうるさく鳴る鎖の音や、錆びた声の耳障りさをどこか懐かしくすら感じながら、辰蘭は口を開いた。


「――両家でお話することは尽きないでしょう。部外者は、先に失礼させていただきます」


 世間で噂になるような借屍還魂譚だと、蘇った死者が魂の名で生きるか、それとも肉体のそれを選ぶかで色々と悶着があるものらしい。


 今回について言えば、劉大人は何としても自家の娘として連れ帰りたいだろうし、そのために交渉なり脅迫なりをするはずだ。そのような場に辰蘭が居合わせるのは、きっと気まずいことだろう。


(まあ、この家の者たちが抵抗するとしても形だけだろうが……)


 おそらくは、いくらかの金子を包んで口封じをする、という辺りに落ち着くのだろう。そしてその金子は、老人たちへの謝金にもなるはず。まったく良くできた筋書きだ。


 妹の手腕をいっそ空恐ろしく思いながら、辰蘭は鏈瑣を連れてこっそりとその家を後にした。


      * * *


 行きは馬車で駆けた道も、徒歩で帰るとなるとちょっとした旅のようだった。日没のころになっても龍淵の城壁は遠く、辰蘭たちは人気ひとけのない野原のただ中にいた。露天で夜を迎えることになるが――これも、予定通りだった。


「――この辺りで、よろしいか」


 辰蘭は足を止めて振り向いた。


 沈む日と入れ替わるように、円い月も昇り始めた。太陽の残照と月明かりが織りなす黄昏の薄闇に、鏈瑣の美しい顔が白く浮かび上がっている。その面に浮かぶ表情は、かつてなく穏やかで優美な微笑だった。


「はい。何もかもお願いした通りにしていただき、心から感謝申し上げます……!」


 弧を描いた唇が紡ぐのも、鈴を振るように澄んだ声。風に揺れる秋の野花を思わせる、可憐な少女の声だった。


(分かっていても、妙な気分になるな……)


 辰蘭が、はらわたじれるような居心地の悪さを味わった時――もはや耳に慣れた悪声が、彼の鼓膜を擦った。


「礼を言うなら何よりもまず俺に、だろう」


 同時に、茜色から濃い藍色に染まりつつある空から黒い影が降る。じゃらり、と。錆びた銅銭をぶちまけるような鎖の音を伴って、巨大な鳥のように辰蘭たちの間近に着地したその影は、華奢な少女――皓君の姿をしていた。


「ありがたいと思うなら、指の一、二本も食わせろ」

「鏈瑣」


 可憐な少女から、化物の声が出るのも異様な光景だった。さらには言葉の内容も聞き捨てならないものだったから、辰蘭は溜息混ざりに窘める。


 だが、鏈瑣の姿をした者はにこりと微笑むと、皓君の姿をした者に優雅な所作で拝礼した。


「鎖の御方も、誠にありがとうございました。貴方のような力ある存在を従えるとは、さすがは寧妃様です」

「……その顔で殊勝なことを言われると調子が狂うな。――戻れ」


 錆びた蝶番が軋むような声が命じたかと思うと、鏈瑣と皓君の姿は入れ替わっていた。というか、変化の術が解かれてそれぞれがもとの姿に戻ったことで、辰蘭はようやく安堵の息を吐いた。


 これが、梓媚の筋書きの要の仕掛けだったのだ。


 皓君の「訃報」を受けて、辰蘭は鏈瑣を連れて劉家に急行する。「遺体」を抱え上げたところで、密かに変化の術をかけた鏈瑣と入れ替わらせる。

 祭壇の炎が勢いよく立ち上ったのも、煙が身代わりの娘がいる方にまっすぐ向かったのも、鏈瑣がいればこそ、だった。


 いっぽうで、薬の効き目が切れた皓君は鏈瑣の姿で辰蘭の傍に控えていた。鏈瑣の美貌はたいそう目立つが、口をつぐんでいれば辰蘭の従者として通すことができる。悪声で騒ぎ立てることなく、しかも礼儀作法をよく弁えた皓君のほうが、よほど従者の役には合っていただろう。


 桂磊けいらいに化けてみせたあの夜、鏈瑣ははっきりと言っていた。


『この顔で恋人の真似事をしてやっても良いし、皇帝がこの姿に見えるようにしてやることもできる、と言ったのに――』


 つまり、鏈瑣は他人の姿に化けることができるし、他者の姿を変えることもできるのだ。


 化物に亡き婚約者の姿を真似られて、梓媚は確かに激怒したのだろう。だがいっぽうでしっかりと覚えていたし、利用することについては躊躇わなかった、というわけだ。


(尋常でない仕掛けなのだから、常人にからくりが露見するはずもない、のだろうな)


 皓君の死と蘇生は、劉家としては公にしたくないことでもあるだろうし。不思議な物語として家内でだけで密かに伝えられていくのではないだろうか。


 となると、残る問題は本物の皓君の行く先だけ、だが――


「……無事に芝居が終わったら、貴女の想い人が迎えに来てくれる、ということでしたが」

「はい。わたくしはもう家には戻りません。愛する御方について行きます。わたくしには構わず、お二方はどうぞお気をつけてお戻りくださいますように」


 迫りつつある闇に呑み込まれそうな華奢な身体で、皓君はにこやかに無理難題を述べた。


 たとえ今は人気がなくとも、若い娘がひとりでいるのを見れば、不埒な考えを抱く者も出るだろう。人を襲う獣や――この世ならざる者も、惹き付けられるかもしれないのに。


「そういうわけには、参りません」


 多少なりとも年長の者として、辰蘭は厳しい声で皓君をたしなめた。


「このような荒野で貴女をひとりにさせる男を、梓媚が――妹が認めるはずがありません。あれが、私と鏈瑣をこの場に居合わせさせたのは、貴女の想い人を見極めさせるために違いない」


 辰蘭の視線を受けて、鏈瑣が怪訝そうに首を傾げた。この化物は、渋々ながら筋書きに従っていただけで、まだ気付いていないのだ。


 鏈瑣を喜ばせるであろうことを、何となく業腹ごうはらに思いながら、辰蘭は脅すように声を低めた。


「ことによれば、私は貴女の想い人をこの者に喰わせなければならないかもしれない」

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