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子不語堂志怪録 星なき夜に影は踊る  作者: 悠井すみれ
第二章 樹精に恋した娘、あるいは
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5.「魂」の行方

 辰蘭しんらんは、皓君こうくんの「遺体」を納めた棺を急ごしらえの祭壇に祀らせた。りゅう家の豊かな財力と広い敷地があるからこそ可能なことだ。


 資材などの調達を申し付けられた商人は、多少は不審に思ったかもしれないが、令嬢が亡くなったとは気付いていないだろう。何しろ、執り行われようとしているのは通常の葬儀ではなく、まるで違う怪しい儀式なのだから。


 例の桂花けいかの香りが漂う奥庭にて、劉大人はおずおずと辰蘭に問うてきた。


「香に、供物の米と肉も、ご命令の通りに調えましたが――あの、その黄紙こうしは?」

「恐れ入ります。これは、天帝への訴状です。樹精への罰と、ご息女への慈悲の請願を記して、焼くことで天に届けるのです」

「なるほど……紙銭を焚くのと同じようなことなのですね」


 祭壇の装飾、供物、意味ありげに告げた方角やら薪の種類やら、すべて「それらしき」でまかせだ。皓君の「訃報」を受け取るまでの数日で、辰蘭なりに市井の巫覡や占者のやり口を調べて考えた、由緒も霊験も何もないもの。


(なのにどうして、疑われないのだろうな……)


 娘を亡くして、動転しているからでもあるのだろうが。劉大人は辰蘭の説明にいちいち頷くばかりで、感心している風情すら窺える。


 怪しまれた時の言い訳も、もちろん考えてあるし、使わずに済むならそれに越したことはないのだが。真面目な顔で嘘偽りと分かっていることを口にするのは、何か詐欺を働いている気分にさせられる。あるいは、道化役を演じさせられているかのような、とも言えるだろうか。


「あの、桂花の樹そのものは伐らずとも良いのでしょうか」

「樹精は、今やご息女の肉体に取り憑いていますので、意味はありません。せっかくの大樹ですから、残しておくべきかと」

「はあ……」


 桂磊けいらい芳霞ほうか――亡き友と婚約者を思わせる薫り高い大樹が切り倒されるのは忍びないから、この点についてだけ、辰蘭の声は真摯な熱を帯びた。


 それはともかく――


「そんなことより、邪悪な樹精を早く焼き滅ぼしてしまわねば。――鏈瑣れんさ、火を」


 辰蘭は、強引に筋書きを進めるべく、見目良い若者――の、姿をした者に命じた。


 鏈瑣の艶やかな黒髪と白皙の美貌は、怪しげな道服を纏っていても実に絵になる。一礼して、用意された松明を手に取って祭壇に進み出る――それだけの所作も洗練されて、儀式の雰囲気を醸し出すのに一役買ってくれているかもしれない。


 松明が近づけられた瞬間、棺は炎に包まれた。祭壇の下に控えていた辰蘭たちの頬を熱風が襲い、髪や衣装を乱す。木材が燃える焦げ臭い臭いが、桂花の芳香を吹き散らす。辰蘭の手による「天帝への訴状」は、空に舞いあげられる灰と化しただろう。


 棺には、油を撒いた上で炭を詰めてはいた。だが、燃料だけでは説明できない火の回りの速さと勢いだった。


「おお、何と……!」


 熱気を避けて後ずさりしたところで、劉大人がひれ伏した。祭壇の準備に携わり、ことの経緯を見守っていた使用人たちも同じく。辰蘭が何らかの術を使ったか、天が訴状に応じて審判を下したとでも思ったのだろう。


(やりすぎではないか……!?)


 当の辰蘭は、天意どころか化物の仕業であることを知っているから、内心で鏈瑣に悪態を吐いた。だが、当然のことながら口には出さず、代わりに「台詞」を大声で怒鳴る。ここまで来たら、恥も外聞も気にかけている場合ではない。


「……煙の方向を見定めます。その方向に、ご息女の魂は向かうはず――南南西に、八里!」


 黒く立ち上る煙が向かう、方角と距離までを操作させられたのだ。鏈瑣がただ働きに不平をこぼすのも無理はない。辰蘭も、この筋書きがまかり通るか否か、気が気ではないのだが――とにかく、梓媚しびはその場所に次の「舞台」を用意しているということなのだ。


      * * *


 劉家の屋敷から南南西に八里行ったところには、果たして小さなむらがあった。


 細くたなびく煙を追ってのことだから、正確な数字を言い当てることなど、本来は至難の業であるはずなのだが。辰蘭が自信たっぷりに――そのような演技で――言い切ったことから、それが「天のお告げ」なのだろう、ということになった。実のところは、無論、天ならぬ梓媚の、こと細かな指示によるものだ。


(まったくもって、馬鹿馬鹿しい。梓媚にはいずれひと言言ってやらねば……!)


 劉大人や鏈瑣と共に馬車に揺られながら、辰蘭の内心は穏やかではなかった。妹に茶番劇を演じさせられている、という思いが拭えなかったし、本当に計画通りに進んでいるのか否かも定かではなかったのだから。だが――邑が近づいたところで、劉大人が腰を浮かした。


「葬儀の列が――誰かが死んだばかりなのですな!?」


 とある家に白い喪服の人々が集まっているのを見て、辰蘭もひとまず息を吐く。筋書きがきちんと繋がったと、確かめることができたからだ。


「ええ。ご息女の魂が入ったからには、若い女性なのでしょうね」


 借屍還魂しゃくしかんこん、という話がある。


 病や怪我などで意識を失って、あるいは夢の中をさ迷ううちに、人の魂が肉体から抜け出てしまうことがある。魂は冥府に行きつくが、命数の尽きていない者は受け付けられず、現世に返される。だが、魂を失った肉体はすでに死んだと思われて葬られてしまったから、返る場所はない。そこでしかたなく、手近な他人の死体に入って蘇る――というものだ。


(なんと杜撰な仕事だ。天だの冥府だのが実在するなら、もっと気の利いた采配があるだろうに)


 辰蘭はあり得ない、と思うのだが、市井の民はそうでもないらしい。事実、昏睡から目覚めた者がまったく別人のような振る舞いをして、世間を騒がせることもあるのだとか。


 それが本当に他人の魂のせいなのか、重篤な病ゆえの記憶の障害や混乱なのかはともかくとして――多くの者がそういうこともあるらしい、と何となく信じているのだ。


 夏の縊鬼の事件と同様だ。常とは違う事件があれば、人はその理由を求めるもの。たとえそれが怪力乱神に属するものであったとしても、綺麗に説明できる筋書きがあるなら受け入れてしまうのだ。


「若く、かつ美しく清らかな娘であって欲しいものですが。皓君は嫁ぐところだったというのに……!」


 劉大人が、早々に「娘の魂が入った他家の娘」を連れ帰る気満々になっているのも、浅はかとは言い切れない。むしろ、皇帝の寵妃とその「優秀な兄」、さらには常識離れした力を持つ化物と、実の娘が揃って騙しにかかっているのだから。


「取り込み中のところ失礼する! 急を要する話が――」

「どうか冷静に、大人。こちらの方々も驚かれるでしょう。まずは私からお話します」


 鼻息荒く、葬儀の最中の家に突っ込もうとする劉大人を、辰蘭は苦笑しつつ宥めた。


(『娘の魂』の行方が気になって仕方ないのだな。親の情というよりは、縁談への影響を懸念しているのだろうが……)


 冷酷との謗りを受けかねない所業ではあるが、辰蘭はさほど心配していなかった。余所者の闖入に気分を害する遺族は、おそらくいない。何しろ、この家では誰も死んでなどいないのだろうから。


「あの……拙宅せつたくに何か御用でしょうか」


 葬儀を執り行う家長らしき老人が、胡乱な目を辰蘭たちに向けていた。


「実は、こちらの大人のご家内で不幸があったのですが――同時に、不思議な出来事もありまして。貴家にお尋ねしたいことがあるのです」

「はあ……」


 露骨に警戒する風情の老人に対して、辰蘭はにこやかに切り出した。劉大人に対してよりも、いくらか滑らかに台詞を紡ぐことができるのは――この老人も、おそらく彼の仲間だからだ。梓媚が仕立てた筋書きをなぞる役者同士、ということだ。


(万が一、葬儀を見に来た野次馬ではないか、と疑っているのだな。安心――確信させてやらねばな)


 同志の符丁を囁くために、辰蘭は声を落として囁いた。


「いえ、怪しい者ではございません。私は由緒正しい家の出で、妹は後宮に殿舎を賜っています。いん寧妃ねいひ様と――お聞き及びになったことはありませんか?」


 老人にとっても黒幕なのか、あるいは皓君のように忠誠を誓っているのか。重たげな目蓋に半ば隠れた老人の目が、きらりと光った、気がした。筋書きを進めて良い相手だと、得心してくれたのだろう。


「――そういうことでしたら……」


 それでも、おそらくは劉大人に対する演技を保って、老人は渋々ながら、のテイで辰蘭たちを家内に招き入れてくれた。

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