四話〜一泉家の勧誘〜
翌朝。勇はやや気怠い感覚を味わっていた。
不可抗力とはいえ昨日派手に目立ってしまった事を後悔している勇は、これからの学校生活が憂鬱だった。
(せめて俺に何を求めているかが分かっていれば、動き方も決められるんだが……今はとにかく、真成 勇として生きるしかない)
女神から言われた何事かの記憶は既に完全に失われており、何か使命があるはず……という認識しか残っていない勇に、女神の真意は伝わっていない。
そうしてモソモソ……と朝食を摂っていると、まだ早い時間であるのにインターホンの音が鳴った。パタパタと麻里が玄関に向かう。
「なんだぁこんな朝早くに?」
「…………なんだろうね?」
無性に嫌な予感がする勇は、こういう時の自分の予感が一度として外れた事が無い事もあって、更に憂鬱になっていく。
やはりと言うか、麻里は戻ってきて勇に言った。
「勇! とっても可愛い子がアンタを迎えに来たわよ! もうほんっと可愛い子じゃない! やるわねぇ!」
「おっ!? なんだなんだ、勇お前、早速引っ掛けたのか? やるねぇ、俺も昔は色んな女子に」
「あんた?」
「なんでもないです。ほれ勇、待たせたらいけねぇから、さっさと行きな」
二人の間だけでトントンと話がまとまり、勇は反論する暇もなく「……じゃあ行ってきます」と言って玄関へ向かう。
靴を履いて外へ出ると、玄関外に長い黒髪を靡かせた美人が、ニコリと勇に微笑みかけてきた。世の殆どの男なら、微笑まれただけで好意を抱いて意識しただろうが、前生の仲間達が美人揃いだった事もあって勇にはあまり刺さらない。
「おはよう、真成くん。私の事は知っているかな?」
「……初めまして、だと思います」
「そうか。であるなら自己紹介しよう。私は3年の一泉 天羽、一泉家は知ってるかな?」
(一泉……テレビで見た記憶があるな。たしか……)
一泉家。元々は剣道家の一族で特に名前が知れ渡っていた訳ではなかったが、日本にダンジョン出現した際に自らダンジョンに赴き大活躍。その後子供、孫に至るまで飛び抜けた才能を持って世で活躍するようになった、ダンジョン探索者の名家である。
天羽は、現当主である一泉 紅葉の長女だった。メディアにも多く露出しており、その美貌からアイドル的な人気もあるのだが、勇の記憶の中には存在していなかった。
「これでも有名なつもりはあったのだが、私もまだまだだな。さて……共に登校してほしいんだが、どうだろう?」
「……分かりました」
「そんなに警戒しないでくれ。私に悪意は無いよ」
歩き出す天羽を少しだけ見つめ、勇もゆっくり歩き始める。
「いやあ、昨日は凄かったな。あんな光景は見た事が無いし、母の驚いた顔も初めて見させてもらった」
「そうですか」
「私の時もドラゴンが出てきたんだが、ずっと小さくて鱗が硬いハード・ドラゴンっていうモンスターでね。20分は粘ったんだが、遂に場外に吹き飛ばされて負けてしまったよ。君は気付いてそうだったけど、アレは実は新入生にまず敗北から教える為のデモンストレーションなんだ。母から聞いたんだが、君が戦ったアレは金剛級の冒険者が10人以上集まってようやく討伐できるかどうかというものらしいね?」
「…………」
「そんな相手にアレだけの大立ち回りをして、自分の意思で逃げ切るなんて、偶然でできる事じゃない。私とて10秒も保たずに死んだだろうな」
振り返り、勇の目を見つめる天羽は、また微笑んだ。
その裏にある意図に思い当たっている勇は、突き放すように言う。
「すいませんが、特に親しくもない貴女に家まで来られるのは迷惑です。こんなふうに世間話をするような間柄でも無い。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってもらえませんか?」
「ふむ……ここまで他人から拒絶されるのは初めての事で、やや緊張するね。いや、確かにそうだ。私も性急だった事は認めよう」
ハッキリとした言葉での拒絶に少し戸惑った天羽は、すぐに気を持ち直してわざとらしく咳払いをして見せてると、こんな事を言い出した。
「君に、私の騎士になってほしい」
「………………はぁ?」
たっぷりと溜めて、勇は思わずそう返してしまった。
それを聞いた天羽は、少し勇の顔色を窺う。
(騎士? ……そういえば……東京冒険者学校では、上級生が下級生を騎士として取り立てて、特に目を掛けて育成したり、あくまで暗黙のルールだが自派閥の人間に他派閥が手を出さないようにさせる制度がある、と見た記憶があるな。この場合、間違いなく後者としての扱いになる訳だが……)
「俺になんのメリットも無い申し出に思いますが」
「ハハハ! 君のハッキリとした所は個人的に好ましいよ。君にとって一泉の名はなんのメリットにもならない訳だ。そうだね……一泉として君を年10億で雇うというのはどうかな? それと君の望みをなんでも叶えられる範囲で一つ叶えよう。一泉にとって、叶えられない事のほうが稀だが……どうかな?」
普通の人間にとっては破格の交渉なのだが、これから勇が本気で冒険者を始めれば年10億なんて端金にしかならない。これは天羽も承知している事である。そのためもう一つの提案を出したのだが……。
(やはり俺にメリットが何も無いな)
ルクスはそこまで金に執着するタイプでは無かった。前生の趣味に使う金はそれなりに高額ではあったが、金が余っていたから購入していただけであり必死に集めていた物でも無い。そして勇としても、趣味と自信を持って言えるものが無い。勇の祖父母も金に困ってはいないし、勇の卒業を待ってもらえればいくらでも金を渡せるだろう。
そして、なんでも願いを……というのは、どうしても叶えたい願いがある人間には魅力的な提案でも、特に願いがない勇には無意味なものだった。
勇の反応の渋さに、天羽は更に追加で提案する。
「そこまで深刻に考える必要は無いよ。私達は君と仲良くしたい。君は私達を好きに利用して構わない。こちらから君にお願いする事はあっても、何かを強要する事はしない。一泉の後ろ盾を得られれば、面倒な勧誘も減らせる。君にとっての最大のメリットはここかな?」
「随分と必死ですね?」
「…………あぁ。そうだね、すまない、少し必死過ぎたか。実の所……母様に命令されていてね。是が非でも君を口説き落とせ、と。多分気付いているだろうけど、この周辺も現在一泉の勢力で通行止めをしているんだ。先を越される訳にはいかなかったんでね」
(……それは気付かなかった。確かに言われてみれば、普通なら一泉のように、我先にと押しかけられていただろうな)
妙に天羽の自分への評価が高まっている事に、勇は少しだけ困惑した。
しかし前生の仕事上、相手に良い方向に勘違いされている分には都合が良い事を知っている勇は、言葉を呑み込む。
「まぁ、そうでしょうね。それで、その提案を俺が断ったらどうなるんですか?」
「今回の事を報告すれば、真成くんに対して一泉家では魅力的な提案をする事は出来ないと判断されるだろうから、私の責任は問われないさ」
「なら」
「だがそれでも頼みたい。私の騎士になってくれ。お試し気分でも構わない、騎士はいつでも辞められる。君が気に入らないと判断したならいつでも辞めてくれて構わないから、どうか」
頭を下げて勇を求める天羽を見て、勇は少しだけ考え……。
「……俺は騎士なんて柄じゃ無いです。なので、契約の上で俺を雇う、契約騎士という形でならお受けしますよ」
「本当かい!?」
「契約の条件はこちらで定めて文書にしてお渡ししますので、確認して検討してください」
「分かった! 決めてくれて良かったよ!」
「いえ……昨日の今日で、面倒になる事は容易に想像できたので。面倒ごとは潰せるうちに潰しておいた方が良いですから」
「それはそうだね。報告されてるだけでも、8人は君の家に向かおうとしていたみたいだから、しばらく君の身辺は忙しい事になっていただろうけど……後のことは一泉に任せてくれ」
先程までの、見る人を魅力するような笑みとは違って、ヤンチャ坊主のようにニカッと笑う天羽。
勇もそれにつられて、口元を少しだけ緩めた。
(こっちが本性か)
そうして二人は冒険者ネットの相互フォローをし、改めて学校までの道を歩き始める。
これが後に冒険者界、ひいては世界に大革命をもたらした二人の、最初の出会いだった。
「待ちな」
背後から呼び止められ、突然出現した存在に驚いた天羽が
振り向いた。
「……か、母様!?」
勇も天羽の視線の先をゆっくり振り返る。
一泉 紅葉。名の通りに紅葉のように紅い短髪の、一泉家の現当主が立っていた。今年45歳になるが、冒険者は強くなればなるほど老化が緩やかになるもので、天羽の姉妹と言われても誰も疑わない程の美貌である。
「悪いね、天羽。上手いことやってくれた所なんだが、その話はナシにせざるを得なくなっちまった。ついさっき連絡があってね、今回の件は国預かりになった」
「く、国預かり!? 横から掻っ攫われる事を良しとされるので!?」
「アタシだって本意じゃねぇよ。だが今回ばかりはどうにもなんねぇ、上からの御達しだ。このまま行くと一泉が完全に孤立する、そうなったらいくら一泉であろうと甚大な被害が出るんだよ」
そう言われては天羽も黙らざるを得なかった。
紅葉は勇を見る。
「アンタが真成 勇だね。半信半疑だったがこうして間近で見て確信した。アンタは間違いなく異世界人だ。そうでないと説明がつかないね、その歳でこのアタシよりもつえぇ男がいるなんてな」
(戦闘狂の類か……)
「戦うのは好きだが安心しなよ、こんな所で襲いかかったりするほど無粋じゃねぇさ」
(どいつもこいつも似たような事を言うな)
「ハハハ! なんだ、どんな奴かと思ってたけど、顔芸の出来ない坊やじゃねぇか」
「母様!」
「必要無いだけです」
紅葉の物言いに天羽が反応してすぐに、多少の怒気を含んでそう返した勇に、「あー……」と髪をガシガシ掻いた紅葉は、頭を下げた。
「ワリィな、アタシはこんなだから、気を悪くさせる事があるだろうけど、悪気はねぇんだ」
「別にどうでもいいですよ。それで結局、なんなんですか?」
「あぁそうだったそうだった。とにかく、今国中のお偉方全員に、アンタに対して干渉しないようにと通達があったんだ。当然囲い込もうとするのもナシだな、つっても囲い切れると思ってる奴なんざ居ないだろうが。つー訳で、滅茶苦茶ムカつくが騎士にするって話も白紙にするしかねぇ」
「そうですか」
「あぁまぁ、アンタの一存で決めた事を拒否させる事はできねぇが、少なくとも一泉は今回の件から手を引くしかねぇ。こっちで提示したメリットも、必要無くなったしな」
「分かりました」
自分の知らないところで自分について決まる事への居心地の悪さを感じる勇だが、周囲から面倒な勧誘を受ける事が無くなったのであれば、それ以上話す事は無かった。
そして二人を置いて歩き出す勇の背を、天羽は思わず追いかける。
「真成くん! 今回の事は残念だが、私は個人的に君に興味がある! よければ、個人的な友人として、関係を持ってくれると嬉しい」
「……好きにしてください」
「ありがとう」
小さく頭を下げて、勇は今度こそ歩き去っていく。
そして天羽は、キッと紅葉を睨みつけた。
「母様! 今回の事、私は納得できません!」
「わぁーってるよ。こっちも嫌々話を呑まされたんだ、キッチリ落とし前はつけさせてやるつもりだよ。不干渉だっつって、どうせあの手この手でアイツを手に入れようとする奴らがわんさか出てくんだろうしな。そんな奴らに負けるつもりは毛頭ねぇけど、お上が率先して牽制してくるのも腹立たしいねぇ……」
獰猛な獣のような笑顔を見せる紅葉に、背筋が寒くなる天羽。
すぐにいつもの快活な笑顔に戻った紅葉は、カラカラと笑った。
「お前にゃ、アタシにはねぇ女の武器を持ってんだ。それでアイツを口説き落としちまえ。そうすりゃ誰も文句は言えねぇさ」
「なっ……そ、そんなもの!」
「持ってる武器を気に食わねぇからって捨てるよう奴に、一泉は背負えねぇぞ。これから始まるのは戦争だ。たった一人を奪い合うだけのな」
「………………」
まだ何か言いたそうにしている天羽の頭を乱暴に撫でて、紅葉は歩き出す。
「んじゃアタシも用事があっから行くぜ。お前も学校遅刻すんなよ〜」
「……はい」
天羽の返事を待たずに、紅葉の姿は既に消え去っていた。
一人取り残された天羽は、先程の紅葉の言っていたことを思い出し、ポツリと呟く。
「異世界人……?」
まだ何も知らない天羽にとって、紅葉その一言は寝耳に水の話だった。
紅葉が冗談を言っている訳では無いことは分かっていたため、真成 勇の秘密を知ってしまった天羽は、その事実を上手く呑み込む事が出来ない。
結局学校に着くまでの間、悶々とした時間を過ごす事になるのだった。
⸺真成 勇の正体については、限られた人間にしか知らされておらず、箝口令も敷かれていたため、本来天羽であっても知らせてはいけなかったという事を、天羽はまだ知らないのだった。




