8 言葉にできぬ芽吹き
大学校の法学部棟。昼休みの回廊には、教授や学生たちの低いざわめきが満ちていた。
クラリッサは講義ノートを抱えたまま、立ち止まる。聞こえてきたのは「エルデンブッシュの森」「聖騎士団」「多数の負傷者」という不穏な言葉だった。
「……伝説級の魔獣に遭遇したらしいな」
「陛下はご無事だが、聖騎士団は……」
教授陣の顔には深刻な色が浮かんでいた。
そこへ姿を現したのは、偶然学会の下見に来ていた宰相オイゲン・リューデル。
冷ややかな眼差しで周囲を見渡し、短く言う。
「陛下がご無事であれば何よりだ。聖騎士団の損害は……まぁ、致し方あるまい」
オイゲンの声は穏やかだったが、その瞳はわずかに曇り、言葉の最後にかすかな間があった。
その違和感を、クラリッサは見逃さなかった。
(……本心では納得していらっしゃらない。それでも、逆らえないのだ)
教授陣は宰相に倣い、沈黙を守る。だがクラリッサの胸には、かすかな確信が芽生えた。
この国を覆う理不尽に、疑問を抱くのは自分だけではないのだ、と。
宰相はふと彼女を見やり、口元に笑みを浮かべた。
「ヴァルトハイム嬢。君の法学の研究、実に興味深い。皇国の未来には、そういう理性が必要だ」
「……光栄に存じます」
その一瞬だけ、二人の視線が重なる。
宰相が言葉にできぬ思いを抱えていることを、クラリッサは確かに感じ取っていた。
(……アレクシス殿下なら、こんな無謀はなさらない。剣の才に加え、学問や理屈を支える者さえあれば――)
危うく言葉になりそうになり、慌ててノートを抱き直した。
それは簒奪を望む発言に等しい。公爵令嬢として、絶対に口にしてはならない考え。
彼女の心に芽吹いた思い――「アレクシスこそが未来の王に相応しい」――それはまだ誰にも知られてはいけない、秘密の芽だった。




