31 影の噂
『クラリッサ・ヴァルトハイムは二股をかけている』
『クラリッサ・ヴァルトハイムはコンラート・ホーエンベルクに既に体を開いているらしい』
そんな下劣な噂が、宮廷や大学校で囁かれるようになっていた。広がりは恐ろしいほど早く、わずか数日のうちに知らぬ者はないという有様である。
大学校の廊下を歩けば、すれ違う女学生たちは氷のような視線を投げ、男子学生たちは下卑た笑みを浮かべて口笛を吹いた。
「見ろよ、ヴァルトハイム女史だ。お堅いかと思えば、意外と――」
「俺も相手してもらえないかなぁ」
嘲笑と侮蔑。灰青の瞳は必死に前を向こうとするが、背筋を刺す声と視線に足が止まる。
「……っ」
ついにクラリッサは廊下の片隅にしゃがみ込んだ。震える指先をぎゅっと口元に押し当てる。
「お嬢様……」
マルタが覆いかぶさるようにして庇い、周囲の視線から遮断しようとした、その時――
「クラリッサ嬢……」
駆け寄る声がした。振り返れば、冬の淡い光を受けた金髪、凛とした青い瞳。カエリウスだった。
「カエリウス殿下……」
マルタの瞳に、一瞬安堵の色が浮かぶ。
「アドリアン、空き部屋を確保しろ」
「承知しました」
彼の秘書官は即座に動き、小会議室の扉を開け放つ。クラリッサとマルタはそこへ導かれ、冷たい視線と囁き声から隔てられた。
クラリッサは一言も発さず、ただハンカチで口元を覆ったまま。マルタは彼女を抱きしめるようにして背を撫で続ける。
その背を見つめながら、カエリウスは低く命じた。
「アドリアン、アレクシス殿下を呼べ。至急だ」
「はい。既に人を走らせましたので、直にご到着されるはずです」
「そうか。君は優秀だな。扉の外に立て。アレクシス殿下以外は通すな」
「御意」
カエリウスは静かに席につき、窓の向こうの風を眺めた。冷たい突風がガラスを叩き、カタカタと震わせる。
その音だけが、押し黙った小部屋に響いていた。




