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30 王弟の誕生宴

 昼の王城の大広間には、冬の白い陽射しが高窓から降り注ぎ、磨き上げられた床や銀器に反射して淡く輝いていた。窓辺には寒さを和らげるために厚手のカーテンが掛けられているが、その隙間から射す光が室内をやわらかく照らし出す。

 大テーブルには湯気を立てるスープや焼きたてのパイが並び、彩りを添えるように冬咲きの花や常緑の枝が飾られている。

 楽師たちが奏でるのは夜会のような艶やかな舞曲ではなく、軽やかな調べ。場を包むのは華やぎよりも穏やかな温かみだった。


 アレクシスの十六歳の誕生祝賀会――例年に比べれば随分と縮小された宴だった。聖女追放の余波は大きく、宮廷に漂う空気は晴れやかさよりも、どこか慎重さに満ちている。

 主役である王弟の姿に、大臣や貴族たちは次々と歩み寄り、祝いの言葉と共に、皇王への不満をそれとなく口にしていく。


「……疲れた」

 人が途切れた瞬間、アレクシスは額を押さえ、小さく吐息を漏らす。

「殿下……」

 背後に控えていたクラリッサが、そっと腕に手を添えた。アレクシスはその手に自らの手を重ね、軽く叩く。

「少し席を外す。……マルタ、クラリッサから離れないように」

「かしこまりました」


 会場を抜ける背中を見送りながら、クラリッサは微かに眉を寄せる。彼は途中で呼び止められるたび、気丈に応じてはいるが、その歩みは遅々として進まない。

「急に大人の責務を背負わされたのですもの……」

 彼女の呟きに、マルタが小さく頷いた。

「マルタ、殿下が戻られる前に、殿下に何か軽くつまめるものでもいただいてきましょう」

「はい。お嬢様」


 その時だった。笑い声と共にコンラートが数人の若い女性を侍らせ、優雅な足取りで近づいてきた。女性たちは皆、皇王派の家系に連なる者たちだ。彼女らの視線は、露骨にクラリッサを値踏みするようだった。


「こんにちは、クラリッサ嬢。……相変わらずお美しい」

 コンラートは唐突に彼女の手を取り、その指先に口付ける。背後の女性たちから黄色い悲鳴が上がった。

「大人数でいらして、わたくしに何かご用ですか?」

 クラリッサは表情を崩さず問い返す。だが、コンラートは答える代わりに、さらに一歩踏み込み、彼女の間合いを奪った。

「それは、僕と二人で話したいと言うこと?」

「何を世迷言を」


 クラリッサは即座に一歩下がる。マルタが素早く割って入り、二人の間に立ちはだかった。

「お嬢様は王弟殿下の婚約者にございます。お控えくださいませ」


 それでもコンラートは涼しい笑みを浮かべたまま。

「王弟殿下は、やっと十六歳になったね。でもまだ十六歳だ。美しい大人の貴女には相応しくないだろう?」


「アレクシス殿下は素晴らしいお方ですわ!」

 クラリッサは震える指でマルタの腰のリボンを掴み、それでも気丈に声を張った。


 次の瞬間、マルタを押し除け、コンラードは力ずくでクラリッサを抱き寄せた。場内に小さな悲鳴が広がる。クラリッサは必死に身を捩ったが、力の差は歴然としていた。

「貴女は大人の男を知るべきだ」

 耳元に低く囁かれ、クラリッサの視界が震える。恐怖に声も出せない。


 しかし突然、コンラートが呻き声をあげ、後方へと引き倒された。

 クラリッサが驚いて顔を上げると、煌めくシャンデリアの下で、彼の黒髪を鷲掴みにし、容赦なく後ろへ引きずったアレクシスの姿があった。


「何をしている」

 低く抑えた声に、ざわめいていた周囲が息を呑む。琥珀の瞳に怒りを宿したまま、アレクシスはクラリッサの側まで歩み寄り、彼女の腰を強く抱いた。


「……痛いな! なんて野蛮なんだ!」


 コンラートは座り込んだまま、後頭部と首を押さえて呻いていた。

 アレクシスの指の間には、先ほど掴み上げた拍子に抜けた黒髪が数本、まだ絡みついている。彼は冷ややかな眼差しのまま、それを無造作に払った。


 一瞬、静寂が落ちる。


「私に踏まれたくなければ、早く失せろ」


 取り巻きの女性たちに肩を支えられながら、コンラートは憎悪に満ちた視線を一度だけ投げつけ、踵を返して去っていった。


 残された会場は一瞬どよめきに包まれたが、楽師が慌ただしく音を高め、揺らいだ空気を覆い隠す。重苦しい緊張は、楽の調べと人々の作り笑いに薄く上塗りされていった。


 その中で、アレクシスはクラリッサの正面に立ち、頬にそっと手を伸ばした。

「離れて悪かった。護衛もつけるべきだった」

「いいえ。殿下は悪くありませんわ。軽率に動いたわたくしと、あの男が悪いのです」

「……こういうときは、“わたくしを一人にするなんて最低ですわ!”と言って俺を叩いて八つ当たりしたらいいんだ。……怖かっただろう?」

 優しい声音に、灰青の瞳に涙が盛り上がってくる。

 アレクシスはそっとクラリッサの肩を抱き寄せ、額に短く口付けた。

「こういう時くらい、甘えていいんだから」


 その周囲を、ルーベンや学友たちがさりげなく取り囲み、余計な視線を遮ってくれていたことを、二人だけは知らない。



 ――だが、この一件を境に、クラリッサを巡る悪意ある噂が広がり、二人の足元に影を落とすことになるのだった。

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