27 覚悟の時
青い空が地平線に向かって黄色く染まりはじめていた。大学校の屋上。クラリッサが柵に手を置くと、ひんやりとした冷たさが掌に伝わり、頬に当たる風が冬の訪れを告げていた。
「……何を、わたくしは躊躇しているのかしら」
背後で控えるマルタが小さく身じろぎする気配。
頭脳には自信がある。自分ならば、彼の臣下として支えることができる――そう信じている。
それなのに。彼より年上であること? 背が高いこと? そんな些細な理由で、なぜ心を曇らせてしまうのか。
アレクシス殿下は王の道を歩もうとしている。その彼が、自分を伴侶にと望んでくださっているというのに。なぜ、その手を取れなかったのか。
「うじうじして……情けないわ」
「……お嬢様」
振り向けば、マルタの眉が下がっている。
「なんて顔をしているのです」
「お嬢様。素直に、アレクシス殿下の胸に飛び込まれたらよろしいのです」
「……え」
クラリッサの頬に一気に熱がのぼる。
「きっと、きちんと受け止めてくださいます」
「……そうね」
覚悟しろと殿下に言ったのは自分だ。ならば、自分が覚悟せずしてどうするのか。
クラリッサは瞳を閉じ、もう一度開く。赤い夕陽が地平線に沈み込もうとしていた。
◇◇◇
ヴァルトハイム邸、執務室。
「お父様。お願いがございます」
執務机に座るヴァルトハイム公爵。その隣に立つ母。皇国随一の広大な領地を治め、経済を支える夫妻は、側から見れば穏やかな人柄にしか見えない。だがその背にある力を、クラリッサは知っていた。
「クラリッサ、改まってのお願いとは?」
父の声は滋味深く柔らかい。
「アレクシス殿下の後ろ盾となっていただきたいのです」
「婚約させた時から、我らは殿下の後ろ盾のつもりでいたが?」
「結婚を急ぎたいのですか?」
両親の問いに、クラリッサは顔を赤らめ、深呼吸をひとつ。
「アレクシス殿下の足元を確かなものにしたいのです。それが結婚を早めることにつながるのなら、わたくしはそれを望みます」
父は静かに目を細める。
「これまでは王弟の後ろに立ち、彼が侮られぬよう支えるだけでよかった。だが今は積極的に動け、というのだな?」
「……はい」
「殿下は王として立つおつもりか」
「そうです。彼は、王になる道を歩み始めました」
「いいだろう」
公爵は立ち上がり、娘に優しい笑みを向けた。
「ならば我らも立ち上がるとしよう」
クラリッサは息を呑んだ。後戻りはしないと決めていた。だがその瞬間、もはや完全に戻れぬのだと、胸の奥に鋭く刻まれた。




