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五月雨に物思ひ〈三〉

後半は、暁人サイドです。

「この曲、なんですけど…」


 どれどれ、と画面を覗き込んだ暁人の眼が一瞬見開かれた、ような気がした。


「なるほど、この曲ですか…」


 無意識に、といった風に、彼は口元に自身の右手を持って行き、左手を着物の袂に潜り込ませて、考え込む仕草をとった。


「先生も、ご存知なんですか。」


 先刻と同様、あまりこういった曲とは縁の無さそうな書道家の、思いがけずも心当たりのありそうな様子に、意外さを隠しきれない紗月はやや前のめりに尋ねた。


「こう見えて僕も結構、ファンタジーは嗜んでますからね。」


「……、まさかの(こた)えでした。」


「まあ、そう言われるとは思いました。でも、そういう神谷さんこそ、このアニメがお好きなんですか?」


 アニメが、と言うより、原作の小説が好きなんです、と伝えると、先程よりさらに大きな眼をして紗月を見返してきた。

 それに怯むことなく、この際だからと小説の魅力を切々と訴えるほどに、何故か暁人の頬に朱が差していく。手短に要点を詰め込んで、作品の魅力を(まく)し立て終わった頃には、顔を背けて両の掌で覆っていた。


「……もう、その辺りで。貴女の想いは充分伝わりましたから。」


 片手を顔から離して紗月の方に向けながら、暁人は照れ臭そうに言葉を返した。

 しまった、好きな物のことになるとつい暴走してしまう悪癖が出てしまった、と即座に反省した紗月は、暁人の態度がやや腑に落ちないところはあるものの、深く追及はしないことに決めた。


「すみません、あの、それで、良かったらこの曲をかけてみていただけませんか。」


「ええ、分かりました。次にかけてみますので、納得のいく作品が出来上がることを祈っていますよ。」


 そう言い残して颯爽と立ち去る後ろ姿が、どこか浮かれているように見えて、さらに(いぶか)しんだ紗月であった。



「あーー、嘘だろ…。そんな所に読者いたの…」


 教室での仕事を終えて、自宅のソファに身を投げた暁人は、自身の熱烈なファンであることが露見した可愛らしい教え子の、作品に対する壮大な愛の言葉を思い出し、喜びと照れ臭さに身(もだ)えしていた。


「彼女、そんな感じじゃないと思ってたんだけどな…」


 この春入会してきた、一回りほど年下の女の子。華奢(きゃしゃ)な身体の通りの、繊細な字を書くな、と思っていた。経験者というだけあって、筆遣いに辿々(たどたど)しさがなく、流れるような連綿(れんめん)は、さながら彼女の綺麗な黒髪のようだった。

 背筋を伸ばし、真剣に紙に向き合うその姿からは、自身が書いているファンタジー冒険小説のような、所謂(いわゆる)ライトノベルに耽溺(たんでき)するような人物像は少しも想像できなかった。

 人は見かけによらない、を地でいく自分自身のことは棚に上げつつ、比較的年齢層も高くお堅いイメージのある自らの教室で、まさか生身の読者に遭遇するとは思いもよらなかった暁人は、不意打ちのように浴びせられた讃辞の奔流になす術もなく、羞恥に染まる自身の顔を覆い隠すことしかできなかったのである。


「――っ、あれは…反則だろ…」


 少し色素の薄い、榛色(はしばみいろ)とも思えるような瞳を輝かせ、興奮気味に捲し立てられた紗月の声が今も耳元でこだまする。

 

―豊富な語彙、繊細な情景描写、軽妙な台詞回し、俊敏で予想もつかない展開、張り巡らされた伏線―


 どれもが、桜色の唇から(まろ)び出た暁人の小説を褒めちぎる言の葉たちである。


―久しぶりに、物語を読む喜びを思い出すことができて、本当に嬉しいんです。作者の先生に、会ってお礼を言いたいくらい―


 もう、会ってますよ、なんて声にならない呟きを(こぼ)しながら、初めて対面したファンから(もたら)された、じわじわと胸を擽る言いようのない温かな気持ちに、このところのスランプから来る閉塞感を溶かされた気がして、知らず口元が弧を描いていた。



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