逢ひ見ての〈二〉
「最初は、ただの偶然だと思っていたんです。私が先生と話した内容と、少し重なるところがあるなって…。でも、あの女の子との会話…七夕とか、彩雲とか。それに、名前も。朧って、私の名前を、少し…もじったのかな、とか…。違ってたら、恥ずかしいんですけど。でも、一番そうなのかなって思ったのは、作者名です。『東雲玉兎』って、『暁の月』って意味なんですよね?」
一抹の不安を抱えながらも、ほぼ確信に近い自身の推測を畳み掛ける。紗月の言葉を嬉しそうに聞いていた暁人の瞳には、愛しいものに向ける熱が籠っていた。
「御名答。」
細く長い指が、控えめな拍手の形を取る。
「いかにも、僕がこの本の作者です。」
そう言って、袂からあの小説の第一巻を取り出した暁人は、その場でサラサラとサインを施し、どうぞ、と紗月に差し出した。
「……本当に、先生が…?」
清涼な茶の香りが、驚きと共に大きく息を吸った紗月の鼻腔を擽った。
彼の操る墨のように深い色をした紗の夏羽織の肩が、目の前で面白そうに少し揺れる。
「…やっと、気づいたんだ、神谷さん。」
紗月より一回りほども歳上のはずの、落ち着いた和服を着こなす姿からは想像もつかない、悪戯が成功したかのようなやんちゃな笑みを浮かべて、紗月の書道教室の講師である松永暁人は、頬杖をつきながらこちらを見つめていた。
*
「今日あたり、貴女が僕を問い詰めてくるかな、と踏んでました。」
そう言って、楽しそうに暁人は笑う。
「もう、どうしてずっと隠してたんですか?私、知らずに結構恥ずかしいこと捲し立ててた気がするんですけど…」
「ごめんごめん、いつ気づくのかな、と思って。」
羞恥に顔を染める紗月に、さして悪びれもせず暁人は笑顔を向けていた。
「でも、沢山褒めてもらえて、凄く嬉しかったですよ。そんな経験、初めてでしたし。それに、貴女といろいろ話せてとても助かったんです。良いインスピレーションをもらえて、本当に感謝してるんですよ。」
やっとお礼が言えましたね―――そう言いながら、そっと紗月の左手に手を添えた。
「そろそろ、良い時間ですね。場所を変えましょう。」
いつの間にか、夕闇が空を覆い始め、店内も店仕舞いの準備を始めていた。この後は、河川敷で花火が打ち上がる予定だった。暁人からは、特等席に招待する、と聞いているのだが―――
「ご案内しますよ。足は痛みませんか?」
草履の足元を気遣う余裕を見せながら、手早く会計を済ませた暁人は、再び紗月の手を引き店を出て、人の流れと逆方向に歩き始めた。
「どちらに向かっているんですか?」
「貴女も知っている場所ですよ。」
人波を避けながら、逸れないように着いていく。ふと、前から来る人を避けきれず、肩がぶつかり弾かれた。
「きゃっ」「―危ない、」
瞬間、手をぐいと引かれ、広い胸に抱き留められる。至近で嗅いだ白檀の香りが脳を直接刺激した。薄手の羽織のサラリとした手触りを感じる。
「大丈夫ですか?」
心配そうな暁人の声が頭の上から降ってくる。建物の窪みに身を寄せて、一時的に人波から外れられたようだ。見上げると、気遣いの色を宿した夜空のような瞳に吸い込まれそうになる。
「……っ、すみません!なんとも、ないです…」
「…良かった。あと少しだけ、僕を盾にしてついてきてください。」
紗月の無事を確認すると、再び人並みの中へ踊り出した。しっかりと繋がれた掌から、お互いの熱が伝わってゆく。喧騒が、どこか遠くに感じられた。
やっと、冒頭に繋がった…




