夏の夜のふすかとすれば〈一〉
「ん〜〜…!…はぁ。」
昼を前にして、作業に一段落ついた紗月は、凝り固まった肩を解そうと、大きく伸びをした。ふと窓の外に目を遣ると、薄曇りの空の低いところに、淡い虹が真っ直ぐ伸びている。
(なんだろう…あれ…。いつもの虹とちょっと違う…)
暁人に聞いたら分かるだろうか、と考えていたところで、隣に座る綾香に声をかけられた。
「ねぇ、ちょっと早いけどお昼にしない?」
途端に空腹を自覚した紗月は、一も二もなくその提案に乗った。
*
「なんか最近良いことあった?」
眺望の良い窓際のカウンター席に並んで腰掛け、美味しそうに湯気を立てる食事に箸をつけようとしたところで、綾香が尋ねてきた。学生の頃からの親友で、付き合いも長い彼女は、紗月のちょっとした変化にも目敏く食い付いてくる。自覚なく、浮かれた気持ちを垂れ流していたのかもしれない、と、紗月は気を引き締めた。
「そんなに顔に出てるかな…?実はね、…」
先日からの、暁人とのやり取りをかいつまんで説明すると、綾香は驚きに目を見張った。
「えぇ!?それってもう、デートじゃない?」
デート、というあまり自分には縁のなかった言葉に、紗月の肩がビクリと跳ねる。
「そ、そんなんじゃ…ないと、思うけど…」
「いやいや、そうでしょ!少なくとも、向こうにはその気があるんじゃないかな。でなきゃ、師弟の一線を踏み越えてこないでしょ。」
「そんな大袈裟な…」
話が急に飛躍した気がしたが、こうして誰かに説明してみると、そういうことのようにも思えてくる。確かにあの茶寮で向かい合っていた時間は、お互いに惹かれ合うものがあったのだと…
(暁月先生も、私のことを…?)
憎からず思ってくれている、のだろうか。
(そうだったら、良いな…)
先程オフィスの窓から偶然目にした水平の虹と、暁人の笑顔を思い浮かべながら、紗月は淡い恋心を自覚した。
*
「そう言えば、あの小説はちゃんと続いてるの?」
ひとしきり紗月の甘酸っぱい話題で盛り上がった後、綾香は思い出したかのように訊いてきた。それについても、少し不思議に思う事があり、紗月はどう説明したものかと逡巡した。
最近新たに登場した、主人公の少年より少し歳上の少女。朧という名のその少女は、主人公に新たな属性を授け、教導として立つようになる。そして、ある一つの願いを主人公に明かすのだが―――
『私は巫として、天つ神のご下命により、貴方に力を授けます。全ての力を得た暁には、どうか私と共に彼の地にて貴方の御力を天に捧げていただきたいのです。さすれば再び天浮橋が天に架かり、引き裂かれたままの男神と女神が出逢うことでこの乱れた現世も落ち着くでしょう。私は、愛し合う二人が必ず出逢えるようにと、ただそれだけを願っています。』
彼女の台詞の最後の一文。それはまるで、先日暁人に尋ねられた時の自分の一言のようで―――
(ただの、偶然だよ…きっと。)
紗月は、脳裏に過った突拍子もない考えを振り払い、当たり障りのない応えを綾香に返したのだった。
夏の夜のふすかとすれば時鳥鳴く一声に明くるしののめ




