通過儀礼の真実
馬車に並んで座ったベラは、手袋を外すとわたしの手を握り、肩にもたれた。
「どうしたの?疲れた?」
「疲れているのはレニの方でしょう」
繋がれた手が、痛いくらいに握られる。
「あのね」
ベラらしくもない、躊躇いがちな声で、ベラは話し出した。
「魔力と言うものは、過ぎれば毒なの」
「えっ」
ぎょっとして、背もたれから身を起こし、ベラへ目を向ける。魔力が毒だと言うならば、稀代の天才と謳われるほどの魔力を持つベラは、大丈夫なのだろうか。
「ベラ、大丈夫なの?身体が、辛かったりするの?」
「ふふ」
こちらは心配していると言うのに、なにがおかしいのかベラは笑う。
「ちょっと、笑っている場合じゃなくて」
「魔力の致死量は、ひとによって違うのよ。元々持っている魔力量が多いものほど、許容出来る魔力も多いの」
「じゃあベラは」
「わたしが元々持っている魔力量の、倍程度までなら問題ないわ。だから、普通に生きている限りは魔力に毒されることはないの」
「そう、良かった」
ほっとして、背もたれに背を戻す。ベラの家の馬車は椅子がふかふかで触り心地が良い。
「そう。わたし自身には、なにも問題はないのよ」
「ベラ自身には問題ないってことは、もしかして、周りには影響があるの?」
「そう。持つ魔力が自分の許容量を超える相手がそばにいると、身体に不調が出るのよ。特にわたしのように、平均の二十倍も魔力があると、魔力が少ないひとにとっては、同じ部屋にいるだけでも苦しいのよ。眩暈や吐き気がしたり、息苦しさや圧迫感を覚えたり、ひどければ過呼吸やひきつけを起こしたり、失神することもあるわ」
ベラがわたしと繋いだ手を、持ち上げて振る。
「素肌が触れると魔力は低い方に流れるから、もし、魔力の許容量が低い相手にわたしが触れれば、一気に許容限界の魔力を浴びて死にかねない」
「わたし」
「通過儀礼の事前調査で測れる魔力の下限は、平均の百分の一よ。その針すら触れなかったレニと、わたしとは、少なくとも二千倍の魔力差があることになるわ」
でも。
「わたしは、ベラといて、具合が悪くなったりなんて」
今だって、手を繋いでいてもなんともない。
「そうなの。だから、レニはおかしいのよ」
ベラはなんてことないように、言ってのける。
「魔力の許容量は一般的に、元々持つ魔力の倍程度と言われているの。だから、レニが許容出来る魔力は、わたしの持つ魔力には到底届かないはず。でも」
ベラがわたしの肩から身を起こし、わたしの顔を覗き込む。
「レニは魔力暴走を起こしたわたしと姉さんを、抱き締めて止めてくれた。あのとき、わたしと姉さんが放出していた魔力は、自分の魔力許容量をはるかに超えるような量だったはずなのに」
「それは」
「もちろん、あの魔力暴走のせいで増えた分や、身体の成長に合わせて増えた分もあるから、今のわたしの方があのときのわたしより、魔力量は多いわ。でもね、魔力暴走って、そんなの誤差みたいな魔力が動いているのよ。実際あのとき、レニ以外は誰も、わたしたちに近付けなかったでしょう?」
「覚えてない」
ただ、必死だったのだ。ベラが苦しそうで、どうにかしてあげたくて。
「うちの両親と兄がレニに優しいのは、レニがわたしたちの命の恩人だからよ。わたしと姉さまにとっては、自分の命の恩人だし」
それだけではないの、とベラは続ける。
「あの魔力暴走のあと、両親はわたしに触れなくなった。姉さまには触れたけれど、それだってギリギリみたいだし。近付くことはなんとか出来るけれど、触ることは出来なくなったの。あの家でわたしに触れるのは、姉さまだけよ」
「でも」
礼儀作法の指導でも、乗馬の指導でも。
「ちゃんと、ベラにも触って教えて、」
「素手ではなかったでしょう?わたしのこれもそうだけれど、魔力を遮断する布地なのよ」
外した手袋をヒラヒラと振って、ベラは言う。
「服や靴もね。それでやっと触れるの。でも、レニは違うでしょ」
手袋を外した手で、ベラはわたしの手を握っている。
「レニの手袋は普通の布地の手袋。服もね。なのにわたしが近付いても、触っても、素肌の頬にキスしたって、レニはなんともない」
侍女は魔力遮断の手袋をしても、わたしに触れないのよ。諦めたような顔で笑うベラに、なんて声をかけて良いのかわからない。
「姉さまですら、素手でわたしに触れるときは緊張しているわ。ねえ、そばにいても青ざめず、当たり前に触れてくれるレニが、わたしにとってどれほど貴重な存在かわかる?」
わからない。だってわたしは。
「そんなわたしですら、国王陛下には触れなかったの」
皮肉ねと、ベラが表情を歪める。
「逆の立場になって初めて、両親や侍女の気持ちがわかったわ。燃え盛る炎に手を触れろと、言われているようなものなの。こんな布切れ一枚じゃ、どうにもならない」
わたしと繋いでいない方の手を見下ろして、ベラは言った。
「それでも階の上まで行けたから、わたしは優秀なのよ。王の補佐か、側仕えか。重要な職に就くことが許されるわ」
わたしも馬鹿ではない。そこまで話されれば、理解出来る。
「もしかして、わたしたちが、やたらもたもた進まされたのは」
「城の前の広場ですら、魔力の低いものには辛いからよ。どこまで耐えられるかを、観られていたの」
だから何度も、体調を訊かれて、わたし以外は、振り落とされたのだ。
「魔力を多く持つのは貴族だから、平民のほとんどが、広場で脱落するそうよ。もし、平民で王城の中まで入れたら、貴族の使用人として引く手数多になるわ。レニの組なら、城の中間部まで行けたら優秀な方でしょうね」
「でも、それじゃ、王様との目通りは?」
「我が国は、技術が発展しているから」
ベラが肩をすくめる。
「離れた場所から声や姿を届けることが出来るのよ」
「あ、えっと、なんだっけ、映像通信?」
「そう。途中で脱落したら、映像通信越しに国王陛下と挨拶を交わすのよ。お言葉はまとめて。ひとりひとりは会釈を交わすのが精々ね」
なるほど、と言うことは。
「わたしの姉上と兄上たちは」
「途中脱落して映像越しに挨拶したでしょうね。たぶん、レニがお茶していたところまですら行けていないわ」
「それで帰りが早かったんだね」
得心が行ってうんうんと頷く。兄姉は嘘を吐いているわけではなかったし、魔力底辺の落ちこぼれ妹なら、同じようなことになるはずだった。
「そうよ。他国からの賓客も、魔力に耐性がなければ同じように、映像通信越しで会談をすることになるわ。そのために、王城は広大な土地を使って造られているの」
「廊下が長かったり、広間がやたら広いのも」
「国王陛下の魔力対策よ」
ベラが頷いて、説明を続ける。
「他国からは悪魔とも恐れられる、我らが国王陛下は、それくらい魔力が高いの。魔力が高い者同士で婚姻を続けた結果、先代ではとうとうお相手が出来るのが魔族くらいしかいなくなった。太后さまを見たでしょう?あの方は、魔族の国のお姫さまよ」
「だからあんなに若いんだね」
「そうね。国王陛下もその血を半分引いているから、寿命は長いわ。二十歳くらいにしか見えなかったでしょうけど、もう御齢二百歳を超えていらっしゃるのよ」
「に、ひゃく、さい」
「太后さまは三百歳近いわ。八十歳のときに、我が国に嫁いで来て下さったの」
思わず、ひええ、と言う声が出た。世界が違い過ぎて、想像もつかない。
「魔族の姫だけあって、太后さまも魔力が高いわ。それでも、国王陛下が立って歩けるようになる頃には、素手で触ることは出来なくなっていたそうよ。今では、魔力遮断の布越しでも無理だと聞いているわ」
「親でも、触れないの」
「触れないの。おそらく、国王陛下の魔力はわたしの倍以上だわ」
ベラはさっき、自分の魔力は平均の二十倍以上あると言った。平均が、どこを平均したものかわからないけれど、その、倍と言うことは。
「あまりにも魔力が高いから、影響の及ぶ範囲も広いのよ。王城に仕える人間が魔力の高い者だけなこともあって、王城前の広場ですでに多少影響があるわ」
「そんなに」
「魔力は毒だから、耐性のない者は近付けないの。だから、王城で働ける者も限られていて、そのための、十二歳の通過儀礼よ」
そう言う、ことだったのか。
「つまり、魔力の耐性が高ければ」
「貧民だろうと取り立てられるわ。それに」
ベラがわたしをじっと見る。
「国王陛下の、伴侶を探す意味もあるの。触れられなければ、世継ぎを授かることも出来ないから」
「あ、それ、は」
「他国とのお見合いもしたけれど、魔族の姫ですら国王陛下には触れなかったそうよ。まあ、国王陛下はあの通りまだお若いし、王妹は魔族の国に嫁いで御子を何人も授かっているらしいし、上の王弟も魔族の姫と婚姻を結んでいるから、誰も王位を継げる人間がいないわけではないけれど」
でも、とベラは首を振る。
「王妹殿下や上の王弟殿下の御子では、人間より魔族の血の方が濃くなってしまうから、避けたいと言うのが重鎮たちとしての意見なのでしょうね。実際、国王陛下は周辺国から、悪魔陛下なんて揶揄されているし、魔力が高過ぎて、人間の国が相手では外交に出ることも出来ない。と言うより、まず王城を迂闊に出られないのよね。外交や国内の視察は、先王のご兄弟の子孫たちが、代わって引き受けている状態よ」
今日、脱落して行った子供たちの顔を思い浮かべて頷く。離れていても、あんなに青い顔になるのだ。出歩けばどれほどの被害が出るか。
「そんな状況を憂いて、上層部としては魔族ではなく国内の人間の女性が、国王陛下の伴侶になることを望んでいるのよ。人間との子供であれば、次代の魔力は多少低くなる可能性があるし、王妃が外交に立てば他国との関係も改善するかもしれないから」
けれど未だに王様は未婚だ。
「思惑虚しく、見付かっていないのが現状よ。そもそも、陛の下まで行ける女性すらいままではいなかったみたい。だから、陛を上がって玉座の前まで行けたわたしが、王妃候補になる可能性はあったの」
「触れなくても?」
「魔力耐性は訓練で多少鍛えられるのよ。元から耐性が高いわたしなら、訓練すれば触れられるようになる可能性はある、と、駄目元でね」
ベラは美人だし頭も良い。王妃として十分やって行けるだろう。
「まあ、実際は鍛えても無理だと思うわ。レニがいたお陰で候補にされずに済んで良かった」
「わたし?」
「前に立てれば王妃候補よ?触れても無事でいられるなら、貧民だって王妃にして貰えるわよ。まして伯爵令嬢だもの、渡りに船で大歓迎だわ」
触れても無事。確かに、無事だった。と言うか。
「魔力、とか、感じたことないけど、普通、わかるの?」
「わたしもあまり感じたことはないわ。魔力暴走のときと、今日くらいね。自分より大きい魔力があるときは感じるのだと思うわ」
自分より、大きい魔力。
「わかんないけど」
「国王陛下に近付いても?全然?」
「全然。なにも」
答えると、ベラは、そう、と言って深々とため息を吐いた。
「そんな、呆れないでよ」
「違うわよ」
ベラが唇を尖らせて言う。
「わたしのレニだったのに、王家に取られちゃうのねって思ったら、ため息も出るのよ」
ベラのレニだった記憶はないけれど。あくまで、ベラの幼馴染のレニだ。親友でも良い。
でも、それより聞き捨てならないのは。
「王家に取られる、って、なにが?」
「レニが」
「どうして?」
わたしなんて、魔力ド底辺の落ちこぼれ貴族なのに。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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