広間と言えど限度がある
ベラの言葉通り、扉の向こうは廊下だった。予想より、はるかに長かったが。
廊下の脇には数人の騎士が控えており、女性騎士がひとり、歩み寄って来る。
「不具合がなければ、向こうの扉まで進んで。進めないと思ったら止まっても良いわ。その場で立ち止まって、手を挙げるかしゃがむかして、わたしたちに不調がわかるようにしてね」
「わかりました」
「歩けそう?」
「大丈夫です」
ここまで来てしまえば、いまさら緊張で足がすくむこともない。
しっかり背筋を伸ばして。颯爽と、けれど、上品に見える速度で。
教えてくれたのは、ベラの母だ。元侯爵令嬢の彼女は礼儀作法や美しく見える所作に詳しく、ベラの友人であるわたしにも、ベラと同じように丁寧に礼儀作法を指導してくれた。
長い廊下を歩ききれば、そこに控えていた騎士にまた、不具合はないかと訊かれる。やっぱり、毒でも撒かれているのだろうか。
大丈夫だと答えると、この先が広間だから、止められるまで進めと言われる。
ベラに教わった通りだ。
開かれた扉を潜る際に、駄目押しのように、何か不調があったら無理しないようにと言われる。もしや国王陛下が、少しの粗相も許さないような、怖い方だったりするのだろうか。
ただでさえ魔力なしの落ちこぼれなのだ、さらに大事な場面で粗相をし、家族に迷惑をかけるわけには行かない。気を引き締めてかかろうと、行く先へ目を向けた。
「!」
そうして、その、広さに、目を見開く。
確かに、広い間と書いて広間だ。広間とは、広いもの。
だからと言って広さにも限度があるだろう。
軽く見積もっても目算で奥行き百間はありそうな大広間に、内心で思う。
「大丈夫かい、無理なら」
「大丈夫です、あまりにも広いので、驚いただけで」
歩き出さないわたしを心配して声をかけてくれた騎士に答え、百間の広間も一歩からと、気合いを入れて歩き出す。
それにしても、みんなこんな距離の往復を、数分で済ませたのだろうか。早い子は二分ほどで戻ったはずだ。廊下もこれほどではないが長かったし、わたしだったら走っても二分で往復は出来そうにない。
ああ、もしかしたらあまりにも早い子は、ここまで来て、緊張に耐えられなくなってしまったのかもしれない。それで、目通りは叶わず戻って来ていたのだ。
それなら、なるほど理解は出来る。
ベラは、いつも通りに歩けば良いと言った。ベラがわたしが困るような嘘を、吐くはずかない。
わたしは、ベラと共に習ったように、ゆったりと優美に歩けば良いのだ。
廊下は長い上に、階も段が多い。階を昇った上には豪奢なカーテンもかけられていて少し暗い。だから、玉座に座る国王のことは、見えていなくて。
だからわたしはよそごとを考えながら、黙々と広間を歩き続けた。
この距離を歩かされるなら、二時間も休んでいて良かったかもしれない。そうでなくても、二時間近く立ちっぱなしだったのだから。今日のわたしはよく頑張ったと思う。もっとお菓子を食べておいても良かったくらいかもしれない。
ああでも、夜はお祝いにご馳走にしてくれるんだっけ。明日のおやつはメイドのニニが、なんでもわたしの好きなものを、作ってくれるって言った。頑張ったから、ニンジンのケーキが食べたいって言っても許されるはず。ニンジンのケーキは手がかかるからって、ニニはあんまり作ってくれないんだ。
まあ、これからが本番なのだけれど。
ようやく半分ほど進んで、つい、苦笑が浮かんでしまう。やっぱり広過ぎると思う。ただ、挨拶をするだけなんだから、もっと狭い部屋でも良くない?と言うか、こんなに広い部屋があるなら、一気にここに集合したって、みんな入れたんじゃないかな。
いままで、終わりも知らされず歩かされたり待たされたりしたのを思い出して、眉を寄せる。王城の外に呼び出して、長々と歩かせるなんて、いくら王様と言っても、失礼じゃないだろうか。
でもそれも、これで終わりだ。終わったら、ニニにどんなに酷い目に遭ったか話して、明日はニンジンのケーキが食べたいとお願いしよう。太后様の好きな焼菓子も美味しかったけれど、わたしはニニのニンジンケーキが好きだから。
階が近付く。段が多いから、やっぱり国王陛下はあまり見えない。
"広間を進んで、階を昇って、玉座の前で跪く"。
一息吐いて気合いを入れると、わたしは階へ足をかけた。ここまで来て転びでもしたら、目も当てられない。一歩一歩、しっかりと昇る。背筋を伸ばして、身体の芯がぶれないよう。
ベラの父は乗馬が趣味で、わたしやベラにも教えてくれた。横乗りではなく跨って、早駆けもした。お陰でわたしもベラも、令嬢にしては丈夫で体力もある。だからこんなに長い階段も、息が上がらずに昇りきれる。
思えば、ベラとは家族ぐるみの付き合いだなと、しみじみ思う。ベラの両親も兄姉も、わたしまで末娘のように可愛がってくれるのだ。魔力なしの落ちこぼれだから、実の親より、ベラの両親の方が可愛がってくれているくらいだ。
最後の一段を昇って、階の先、少し奥まった位置にある玉座へと歩み寄る。
ようやくちゃんと見えた国王陛下は、烏のような漆黒の髪と目をした、ゾッとするほど美しい男性だった。髪や目と対照的に白い肌は若々しく、見た目には十代と言われても信じてしまいそうだ。
手の届く位置まで歩み寄ると、床に膝を突く。
このあとは、右手を伸ばして、右手を取って。
「っ」
息を呑むような気配があったが、止められはしなかったので続ける。
取った手を押し抱き、額を当てた。
このまま、お言葉があるまで待つ、だったか。
「…………」
遅いな?でも、勝手に顔を上げたら、それこそ怒られるだろうし。
困惑しながらも、ちょっと辛い体勢を保つ。ほんとうに、乗馬をやっていて良かった。お陰でこの中途半端な体勢も、なんとか保っていられる。
それにしても、長い。魔力ド底辺相手に、かける言葉も思い付かないとでも言うのだろうか。
「そんな」
やっと上から、声が降る。
「馬鹿な」
でもこれ、国王陛下の声じゃないね?位置が違う。
「レニ・メレジェイ。顔を上げなさい」
国王陛下の言葉じゃないけれど、顔を上げて良いのだろうか。
「大丈夫です、陛下の手は取ったまま、顔を上げなさい」
再度促されて、そっと顔を上げる。良い加減、体勢も辛かったしね。
「身体に異常はありませんか?話して構いませんから、返答を」
また、その問いか。
「身体に異常はありません」
「そう、ですか」
顔を上げて初めて、階の上にいたのが王様だけでなかったと気付く。知っている顔がいくつか、太后と宰相に、騎士団長だ。それから、官吏らしき数人と、騎士が十人ほど。
まあ、国王陛下に、国民かつ子供とは言え、部外者を近付けるのだから、警護も当然か。
さっきからなにも言わない国王陛下は、呆けた顔でわたしを見ていた。
ベラから教わった通りにやったのに、まさか間違っていたのだろうか。
困って目を泳がせる。
「どうしたの?やっぱり具合が悪い?」
すす、と歩み寄って声をかけてくれたのは、太后。目の前の王様を産んだひととは思えないくらい、若々しい見た目の美女だ。髪の色も目の色も王様と同じ漆黒で、顔も似ているから、母子と言うより姉弟のように見える。
「いえ、具合は悪くないのですが、その、わたしはなにか、おかしなことをした、でしょうか?」
なにせ、王様だけでなく宰相や騎士たちも、信じられないものを見る目で、わたしを見ているのだ。
「いいえ。作法通りよ。なにもおかしくはないわ」
太后様がそう言うなら、少なくとも不敬罪とかにはならないだろう。
ほっとして、そして、いつまで手を取っていれば良いのだろうと思う。
帰ったらご馳走が待っているのだ。ベラも待ってくれているし、そろそろお暇したい。
「ああ、ずっと膝を突いていては痛いわね。さ、立って良いわよ」
太后は、言って立たせてくれたが、手を離して良いとは言わなかった。
王様は、王様の手を取ったままのわたしの両手を、じっと見つめている。
「……」
どうすれば良いのだろうか。わたしは。
「陛下」
困惑するわたしを見かねて、宰相閣下が口を開く。
「いつまで惚けているのですか。お言葉を」
「……」
「陛下」
少し強く促されて、ようやく王様が顔を上げる。
「そなたは」
それでもまだ、信じられないと言う顔で、王様はわたしを見ていた。
「恐ろしくは、ないのか、余が」
「ええと」
なんて答えるのが正解なのだろうか。
「不敬罪で処刑とかされないと良いなって言う恐怖でしたらありますが」
「は?」
あ、やべ、間違った。
「あっ!いやあの!その!け、敬愛する我らが国王陛下ですので、こうして拝謁の機会を賜り、畏れ多くも身に余る光栄です!」
失言を挽回しようと焦ったせいで、手に力が入った。
王様がびくりと身を揺らすので、慌てて手を緩め、引っ込めようと、
「待て、離すでない」
引っ込めようとした手は、王様に両手で止められた。
そうして止めたくせに、王様は自分の行動にぎょっとして、手を放して引っ込める。
「す、すまない、そなたを傷付けようとしたわけではない」
「え?はい、大丈夫です」
そもそもわたしから握ったのだ。握り返されたからと言って、どうと言うことはない。
「だ、いじょうぶ、なのか?」
「大丈夫です。その、べつに、箱入りで育てられたわけでもないので」
深窓の令嬢なら、男性に手を握られれば心臓が潰れるような心地かもしれない。だがわたしは魔力底辺の落ちこぼれ。そんな大事に守られてはいない。ベラの父に手取り足取り乗馬を教えられたし、ベラの兄にダンスの練習を見て貰ったこともある。男性への耐性はあるのだ。
「いや、そう、ではなく」
言いながら、恐る恐る、王様がわたしに手を伸ばす。手のひらが上に差し出された両手は、繋がれるのを待っている。けれど、差し出している王様の顔は、ひどく不安げで。
王様こそ、深窓のご令嬢なのではないだろうか。
思いつつも、差し出された手に、手を乗せる。そっと握れば、きゅっと握り返された。
「誰かの」
震える声で、呟く王様。
「手を握るなど、何年振りだろうか」
「え……?」
「そなたが我が国の民として、生まれ、育ったことに心より感謝する。どうかその道行に、幸多からんことを」
王様はわたしの手を握り、慈愛のこもった顔で微笑んだ。美しいひとの美しい笑みに、ドキリと心臓が跳ねる。
「あ、りがとう、ございます」
「こちらこそ、有難い。誠に、有難いことだ」
王様の、手にも言葉にも、力がこもっていた。
「陛下、そろそろ」
「ああ、わかっておる」
宰相の言葉に王様が頷くが、手は離れない。
「わかっておるが、なあ、離してしまえば、夢のように消えて、二度とは会えぬのではないか?」
「そんなこと、私が許しませんから、今は。随分と長く、城に拘束してしまっていますから」
「そうよ。それに、しつこい男は嫌われるわよ」
宰相だけでなく太后にも促されて、ようやく王様が手を離す。
「お疲れさま。これで儀式は終わりよ。戻って良いわ」
太后が微笑んで言うので、ありがたく辞去させて貰う。
「また会いましょうね、レニちゃん」
太后はそう言ってくれたが、わたしは落ちこぼれの底辺貴族だ。太后に会う機会なんて、二度とないだろう。
曖昧に笑って礼を返し、わたしは階を降りた。
また、この、広過ぎる広間を、縦断しないといけない。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです