威厳ならば有り余っているから
「あ、あああ、アレス!これは、違うのだ」
まるで本妻に浮気のバレた夫のような慌て振りで、王様が王弟様に弁明を試みる。
「言いながら手を離せない時点で、なにも違わないですよ」
けれど王弟様は首を振って、王様に弁明を許さなかった。
「婚約者と仲睦まじいなら、望ましいことでしょう。レニちゃんが嫌がっていないなら、なんの問題もありません。レニちゃん、嫌じゃない?大丈夫?」
「大丈夫です。王様、美人で清潔ですし、なんだか良い匂いがするので」
「にっ……」
絶句する王様と、爆笑する王弟様とベラ。ほんとうに、今日はベラがよく笑う。
「ですって、兄上。今日の香りは婚約者殿好みのようですよ。どの香ですか?」
「香は、今日、使っておらぬ」
「おや?では、なんの香りでしょう?洗濯洗剤か、整髪料でしょうか?レニちゃん、わかるかい?」
「え?なんでしょう……?」
問われて、すんすんと鼻を利かせるが、どうも、髪でも服でも、ないような気がする。
「ああ」
首を傾げるわたしをよそに、ベラが思い付いたように声を上げる。
「それ、たぶん、陛下の魔力の匂いだわ、レニ」
「魔力の匂い?」
「そう。わたしもだけど、魔力が有り余っていると、無意識に周りに溢れるのよ。その、匂いと言うか、気配を、レニは嗅ぎ取っているのだと思うわ。わたしはあまり感じないのだけれど、姉さまが敏感でね、ヒトによって、少しずつ違うらしいわ。そこまで近付くと、レニでも感じ取れるのね」
そんなものがあるのか。
ふんふんと鼻を鳴らして、頷く。
「すごく、良い匂いだよ」
「相性が良いのね、たぶん」
「そっか」
選択権がない以上、少しでも望ましい相手が来ることを祈るしかない。その点、好ましい匂いのする相手と言うのは、とても運が良いことだと思う。
「へぇ。良かったですね、兄上。婚約者殿に好かれる要素が、ひとつ見つかりましたよ」
「良い匂いと言うなら、レニからだってする」
「おや」
わたしの匂い?
「それは、昨日使った、モルガン伯夫人の石鹸の匂いじゃないかと……」
「いや、そんな、人工的な匂いでは……」
「それもたぶん、魔力の匂いですね」
首をひねる王様に、やっぱりベラから答えが返る。
「レニの身体って、魔力を素通りさせているみたいで、レニの身体を通ると魔力の匂いが変質するらしいです。姉も、良い匂いだと言っていました。だから」
ベラが肩をすくめて笑う。
「苦手な魔力の匂いがする相手がいるときは、レニの側から離れないようにしているそうで」
「消臭剤扱いされてたの?わたし」
「空気清浄器かも」
「ひどいなあ、アンちゃん。まあいいけどさ」
そう言えば、特定の来客の時だけ、マリアアンがやたら擦り寄って来ていた気がする。あのお客は、マリアアン的に悪臭だったのか。
わたしに害はなかったし、マリアアンの役に立っていたなら、良しとしよう。
「魔力が素通り。そんなことがあるんだね」
「だからこそ、どんなに強い魔力の持ち主が相手でも、無事でいられるのだと思いますよ」
「なるほど。研究者たちが、調べたがりそうだ。ああもちろん、させないけどね?」
大丈夫だよと微笑んで、王弟様が王様を促す。
「お互い相性が良いことがわかったところで、昼食に向かいましょう、兄上。ベラちゃん、レニちゃん、モルガン伯も、席は離れるけれど同じ部屋で食事するからね。安心してね」
「お気遣いありがとうございます」
「どういたしまして。さて、それじゃ、ベラちゃん、お手をどうぞ」
王弟様がベラへと手を差し出し、その手を取ったベラに目を細めた。
「家族以外をエスコートするのは、初めてだ。嬉しいものだね、差し出した手を、怯えも躊躇いもなく取って貰えるのは」
「それを言うならわたしも、家族以外にエスコートされるのは初めてです」
魔力が高過ぎるのも、大変なんだな。
いままで気付いていなかった世界を改めて見て、他人事のように思うが。
「ほら、兄上、離したくないなら抱き上げて運んでも良いですから、とりあえず立って下さい」
その、高過ぎる魔力の弊害をいちばん受けているひとの腕の中にいることを思い出して、全然他人事じゃなかったなと反省する。
「離したくないなら抱っこって、そんな、お気に入りのクマちゃんみたいなこと」
良い大人が人前でしては駄目だと思うのだけれど。
「……そうだな」
良い大人は頷いて、わたしを抱き上げて立ち上がった。
「お、王様?」
「余が、そなたを溺愛していると、知らしめておく必要がある。すまぬが、受け入れてくれ」
「必要なことなら、構いませんが」
方法はこれで良いのだろうか?
「良いと思うわ。初めての恋人に浮かれる若者みたいで、とても」
ベラ?それはほんとうに良いの??
「母上が喜びますね」
ほんとうに???
助けを求めて周囲の使用人を見回すと、なぜかみんな、娘の結婚式に参列したお父さんみたいな表情をしている。え、泣いてるひとまでいるんだけど、どうしたの。
「……僕ら兄弟は、心配されているからね。こうして触れ合える女の子が現れたことが、嬉しいんだと思うよ」
わたしの視線に気付いたらしい王弟様が、教えてくれる。
「と言うわけだから、使用人たちを安心させるためにも、レニちゃんはそのまま抱っこで運ばれてくれるかな?嫌なら無理にとは言わないけど」
「嫌、では、ありません、けど」
王様のイメージ的に許されるのだろうか。
「王様の、威厳的な意味で、大丈夫ですか?」
「大丈夫。魔力的な問題で、ただ座っているだけでも相手が勝手に威圧されてくれるからね。むしろ、親しみやすさを向上したいから、運命の出会いを果たした婚約者を溺愛しているって話は、積極的に弘めたいし、婚約者に甘々って言うのは、兄上の恐ろしい印象を覆せそうで、僕としては歓迎するよ」
……なるほど。
「わかりました」
「わかっちゃうんだ。じゃあ、恥ずかしいかもしれないけど、お願いするね」
お願いされてしまったので、協力すべきだろう。
「はい。ええと、王様、失礼します」
わたしを抱っこする王様の首に、腕を回して身を寄せる。
「良いね。より、仲良しに見えるよ」
王弟様からお褒めの言葉が掛かったので、わたしの行動は正解だったようだ。
顔を寄せた王様の首元からは、やっぱり良い匂いがした。
「軽いな、そなたは」
「羽のようですか?」
「そこまでではないが、軽過ぎて心配になる。もう少し、肉を付けた方が良い」
それは、どこにだろうか。
「変な意味ではなく。体重を増やせと言っている」
「言うほど軽いつもりは、ないんですけど」
「余も、比較対象があるわけではないが」
誰かを抱き上げるのは初めてだと、王様が呟く。
「ただ、見た目から言っても、そなたは首も腕も脚も一般的な女性より細いであろう。迂闊に触れれば折れてしまいそうで、恐ろしい」
「さっきも言いましたが、折れないですよ、そう簡単には」
もちろん、折ろうと思って力を込めれば、折れるだろうけれど。
「細いのは認めるのだな」
「細いと言うか、まあ、発育が良くないのは、自覚があります」
ベラと比べて明らかに、身長も凹凸も不足しているから。
「そうだな。まるで、人形のようだ。そなたは。小さくて愛らしくはあるが、簡単に攫われたり、持ち去られたりしそうで、余は心配だ」
「首に鈴でも着けますか?」
「それではまるで愛玩動物ではないか。そんなものは必要ない。ただ、可能ならばもう少し、肉を付けてくれ」
「兄上」
どうしても、わたしを肥やしたいらしい王様に、王弟様が物申す。
「あまりそう、女性の体型についてとやかく言うと、嫌われますよ」
「そっ……、そう、なのか?すまぬ。不躾な話であったか」
「わたしは気にしませんが」
発育不良の幼児体型なのは否定のしようもない。
「まあ、一般的には、褒められた話題ではありませんね」
女性に体重と年齢の話はしない。暗黙の了解だ。
褒めたつもりでも、相手にとっては触れられたくない話、と言う場合も、大いにあり得るのだ。触らぬ神に祟りなし。触れないのがいちばんだ。
「気をつけよう。すまなかった」
「いえ」
王様は背が高いからすらりとして見えるが、腕も首も胸もしっかりしていて、抱き上げられても安定感があった。そんな王様から見れば、なるほどわたしは細くて頼りないだろう。
わたしの食事が特別粗末にされていたわけではなく、家族みんな痩せているので、血筋か家の貧乏さが原因だろう。
血筋ならばどうしようもないが、貧乏ゆえの質素な食事が原因ならば改善の可能性はある。
「王様を心配させるのは良くないですから、努力はしますが、それでもし太り過ぎてしまったら、運動に付き合って下さいね」
「っ」
「レニに含みはありませんよ」
「わかっている」
なんの会話だろうか。
「そなたは気にするな。散歩でも体操でもダンスでも、望み通り付き合おう。ダンスはろくに経験がないから、余は下手かもしれないが」
「ありがとうございます。ダンス、一緒に練習しましょうね」
食事の貧しさが家の貧しさに起因するものだとしたら、フォルクナー侯夫妻は裕福だろうから、発育不良も改善されるかもしれない。
まだ十二歳だ。可能性は十分にある。たぶん。
「いまのそなたが嫌なわけではない。ただ、そなたには健康な身体で、長生きをして欲しいのだ」
半分魔族の血が入った王様と、人間のわたしでは、どうしても寿命の差がある。それはどうしようもないけれど、人間として出来るだけ長く生きる努力は、するべきだろう。
「はい。王様と一日でも長く一緒にいられるように、長生きしますね」
約束ですと、王様の頬に頬を寄せる。
「ど、うした?」
「手が塞がっているので、小指の代わりに」
「そう、か」
ぎこちなく頷いた王様をよそに、前を歩く王弟様とベラが小声で会話する。
「レニちゃんって、あれ、本当に含みなしなの?」
「残念ながら。触れ合いに抵抗がないのは、わたしと姉の影響でしょうけれど」
「初心者に、突然高難易度が来ちゃったなぁ……」
「なにか、文句でも?」
珍しく、ベラが本気で怒った声を出している。
「いやいやいやいや。文句なんてないよ。あるわけないでしょ。レニちゃんは、僕らにとって存在が正義で宝物だよ」
「それなら、良いですけれど」
「うん。わかってるよ。僕も通過儀礼の場にいたし、僕だって兄上ほどではなくても魔力は高いから、ベラちゃんにとって、レニちゃんがどれだけ大切で、手放したくない存在なのか、よくわかってる。謝って、許される話じゃないって、理解してる。でも」
ベラが、息を吐く。
「わたしも、わかっています。国として、王の隣をいつまでも空座にしてはおけないと」
「ありがとう」
会話の意味が、完全に理解出来たわけではない。
けれど。
「……王様の、奥さんになったら、ベラとは」
「そなたとモルガン嬢を、引き離すつもりはない。モルガン嬢の立場が許す限りは、そなたのそばにいて貰うつもりだ」
ああそうか、ベラにだって人生がある。いつまでも、わたしに縛り付けては、
「レニ」
振り向いたベラが、わたしを見る。
「わたしはレニから離れる気はないわ。この魔力じゃ、結婚も難しいもの。レニがわたしを雇って、養ってちょうだい」
そっと王様を伺う。
「頷いて良い。王家の用意した側仕えも置かせては貰うが、そのなかにモルガン嬢を入れるくらい、可愛いわがままだ。もちろん、モルガン嬢の姉も一緒で良い」
「ありがとうございます。でも」
ベラと王弟様を、見比べる。
奇跡のように、魔力量の近しいふたり。
「うん。そう言う手もあるね。僕は王籍のまま、兄上の補佐を続けるつもりだから、ベラちゃんと結婚して、夫婦ふたりで国王夫妻を支えるって言うのは、悪くない話だよ。母上も、歓迎すると思う。いずれ生まれる子のために、魔力の高い乳母もいた方が望ましいしね」
なにも言っていないのに、正確に思ったことを酌み取られ、想定以上に生々しい答えを返された。
「魔力のこともあって、母上は乳母を使わなかったし、乳母は必須ではないけれど。どうかな、ベラちゃん、レニちゃんの妹になって、子育てを手伝うって、ベラちゃんとしては、歓迎出来る?出来ない?」
「わたしが、レニの妹に……?」
ぽかん、と見開かれたベラの目が、わたしを見る。
「そんなの、許される、の……?」
「許される、と言うか、王家としては売れ残りの王子ふたりが一度に処理出来てありがたいから、むしろお願いしたいところ、かな。勢力図的に偏るから、反対意見は出るかもしれないけれど、それなら僕の隣に立てる娘を用意しろって話だからね。反対されたとして押し通せるよ。僕の結婚の話だしね」
ベラが王弟様の方を向いたから、わたしから表情が見えなくなった。
「僕は受け入れるよ。こうして触れ合える相手が、ずっと欲しかったから」
「わ、たしは」
「ふふ。ベラちゃんもまだ、十二歳だもんね。ゆっくり考えて。答えが出るまで、待っているから」
わたしの、せいで、ベラの未来を、狭めて、しまっただろうか。
「それは違うよ、レニちゃん」
王弟様が、わたしを見て微笑む。
「レニちゃんは関係ない。これは、僕とベラちゃんの話だ」
そうだろうか。ほんとうに?
「それは、レニちゃんはベラちゃんの人生の一部だからね。選択に影響があるのは確かだ。けれど、選ぶのは僕とベラちゃんだ。レニちゃんが責任を持つことじゃない」
「でも」
「良いの。レニ。王弟殿下の、言う通りよ」
本人に、そう言われては、否定出来ない。
「責任を、感じることはない。けれど、そうだね。友を思うなら、決めた先の未来で、支えて欲しいな」
「それは、もちろん」
大事な友人なのだ。当然のこと。
「ありがとう。優しいね、レニちゃんは」
優しくない。優しくなんてない。
だって、優しいベラがわたしのために人生を決めることを、止められない。そうであったら良いのにと、思ってしまっている。
「違うのよ、レニ」
きっと泣きそうな顔になったわたしを、優しいベラが慰める。
「違うの。わたしが、レニを、離したくないのよ」
「そんなの」
そんなのは。
「わたしだって、一緒だもん……」
「ありがとう。大好きよ、レニ」
「わたしも、大好きだよ、ベラ」
だけどそれを、言い訳にするわたしは狡い。
「陛下」
俯いたわたしの鼓膜を、ベラの声が揺らす。
「泣いている女の子がいたら、頭をなでて慰めるものですよ」
優しく抱き直されて、ぎこちなくも、優しい手が頭に触れる。
「すまぬ」
どうして王様が、謝るのだろう。
「そなたを泣かせても、余は、そなたを手放せない。モルガン嬢の気持ちは、きっとそなたにはわかるまいが、余には痛いほどにわかる。手放せぬのだ。一度知ってしまえば、この温もりを」
王様は、その魔力の強さから、他国から悪魔とも呼ばれているけれど。
そんな王様を誑かす、わたしこそ本当は、悪魔なのかもしれない。
温もりに飢えた人間に、温もりを与えて溺れさせる。
そのくせわたしは、温もりを求めるヒトの気持ちを、理解することはないのだ。
わたしは、わたしだけは、誰にでも好きに、触れることが出来るから。
「……わたし、悪女になれますね」
「ああ、なれるだろうな。自分の価値を、よく理解すると良い」
わたしの頭をなでながら、王様は優しい声で言う。
「だが、そなたには価値があるだけで、なんの罪もない。悪いのは、そなたを求めずにはいられない、愚か者たちの方なのだ。だから、そなたが自分を責める必要は、欠片もない。それを忘れてくれるな」
「そんなこと」
「あるのだ。たとえば大粒の宝玉があって、その宝玉を手に入れるために殺し合いが起きたとして、宝玉に罪があるか?そなたとて、同じこと。そなたは悪ではない。我らにとって、そなたは救いだ。永遠に続く孤独から、拾い上げてくれる救済の手なのだ」
理解出来ずとも仕方がないと、王様はわたしをあやす。
「だが、どうか間違えないでくれ。わかっていてくれ。間違いなく、そなたが余とモルガン嬢を、救ったのだと言うことを」
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
お盆の間の暇潰しとか言ったくせにお盆休み中に終わらないのかって?
予想外に伸びてしまったのです……
もうしばらくお付き合い頂けると嬉しいです




