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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

織田家の悪役令嬢~今世はのんびり過ごすはずがなぜか『女孔明』と呼ばれてます~【短編版】

作者: 小鳥遊真
掲載日:2025/03/11

苦しい。気持ち悪い。つらい。

 頭がガンガンと痛み、ぼうっとする。


 甥の信長に逆さ磔の刑に処されてから、もういったいどれぐらいの時間が経っただろうか。

 わからない。もう正直、気が狂いそうだった。


 逆さ磔の刑が最も過酷で残酷だと言われる理由がよくわかった。

 最初の頃は大したことはなかった。

 だけど頭に血が上ってきてからが地獄だった。

 呼吸はうまくできないし、体重が肩にかかって痛いし、呼吸もできないし、眠ることさえできない。


 早く! 早く殺して!

 この苦しみから解放して!


 ただそれだけが、わたしの望みだった。

 だが、苦しみは続く。

 いつまでもいつまでもいつまでも!


「はっ!?」


 気が付くと、わたしは学校の机の上にうつ伏せていた。

 ここは……学校?

 わたしはつや……じゃない。高尾瑠璃、七歳の小学二年生だ。


「ゆ……め……?」


 思わずつぶやく。

 それにしては、あまりにも、そうあまりにもリアルな夢だった。


 わたしは夢の中で、つやという名の女性だった。

 織田信定の娘として生まれ、四度結婚し、そしてその全てと死に別れた。

 そして最期はわたしも、甥である織田信長に……


「ううん、こんなの絶対夢じゃない!」


 なぜって思い出せるのだ。

 人生のすべてが。


 初めての夫の顔も、名前も。確か日比野清実殿だ。

 初夜の時にとても緊張したことも。

 戦死と聞いた時の悲しみと絶望も。


 二番目の夫とは、結婚してすぐに戦に駆り出され、ほとんど顔を見ることもなかったけれど、三番目の夫の遠山景任殿とは、子供こそできなかったけどけっこう仲良くやれてたと思う。


 甥の信長から養子、御坊丸をもらい、この子もわたしにとても懐いてくれて、めちゃくちゃ可愛かったのを覚えている。


 でも幸せはいつまでも続かなくて、景任殿も結局わたしを置いて戦場での怪我が原因で病死。

 まだ後継ぎの御坊丸は小さくて、わたしが代わりに岩村城の女城主として頑張ったのだ。


 それはもう必死に必死に頑張ってたんだけど……

 武田家の将、秋山虎繁に攻められて包囲されて……


 なんか一目惚れされたのよね~(笑)


「おつや殿! 俺の妻になってくだされば、御坊丸殿の命も、領民と兵士の命も保障しましょう。俺が欲しいのは貴女だけです!」


 皆の命もかかっていて、わたしはこの求婚を受け入れざるを得なかった。

 少なくとも、当時のわたしにはそうするしか道はなかったのだ。


 最初は敵ってことで反発もしていたんだけれど、そんな熱烈に愛してもらえると、わたしも悪い気はしない。

 一男一女と子宝にも恵まれた。

 ずっと子どもを授かれずにいただけに、本当に嬉しかった。


 多分あの時が、人生で一番幸せだったと思う。

 このまま子どもたちに囲まれて静かに穏やかに暮らせれば、と。


 けどやっぱり幸せはそう長くは続かなくて……

 夫の虎繁が守る岩村城は天正三年、信長の嫡男、織田信忠に攻められ、包囲されてしまう。


 決死の反撃をするも撃退され、わたしたちは降服したのだ。

 今は敵同士になってしまったといっても、信長は実の血を分けた甥、謝れば許してくれる。

 そう信じていたのだけれど、


「なぜ!? 降伏すれば命だけは助けてくださると!」

「やかましい! この織田家に仇為す疫病神が! 死んでその罪を償え!」


 激怒した信長にずっと仕えてくれていた家臣たちも皆殺しにされ、わたし自身も逆さ磔の刑に処され……


 ぶるっ!


 思わず恐怖に身体が震える。歯がカチカチとなる。

 殺された家臣たちの顔が次々と脳裏に浮かぶ。

 罪悪感と後悔で、胸が圧し潰されそうだった。


 もう二度と、二度とあんな目には遭いたくない。


「って、そんなことにはならない、よね」


 記憶にあるのは幼稚園の年長ぐらいからだけど、それでも今がとても豊かで平和な時代であることぐらいはよくわかる。


 お母さんの作るご飯は美味しいし、お菓子はとっても甘いし、娯楽もいっぱいあって毎日が楽しい。


「せっかく生まれ変わったんだもの。今を楽しもう」


 グッと拳を握り、わたしは誓いを新たにしたのだった。

 そしてその後、普通に大学を出て、普通にOLとして働いて、歴女として充実したお独り様ライフを送っていたのだが……


「って、なんでまたつやになってるのよっ!?」


 気が付くと、また戦国時代に舞い戻っていた。

 ホワイ!?


   ☆


「落ち着け。とにかく落ち着こう、わたし」


 まずは深呼吸して心を落ち着けつつ、わたしは周囲を見渡す。

 懐かしい、実に懐かしい景色だ。


 だが、今のわたし、高尾瑠璃の記憶ではない。

 はるか遠い、今や記憶さえ朧気になってしまった、織田つやの記憶にある部屋だ。


「夢、だよね?」


 思わずほっぺたをつねってみる。


 普通に痛い。

 いったいどうして!?


 記憶を思い返してみる。


 わたしは田舎への里帰りのため車を運転していて、対向車線にいたはずのトラックが雪にスリップでもしたのかいきなりこっちに突っ込んできて……

 そこからの記憶がなかった。


「もしかしてわたし、死んだ? それともこれは死に際に見る夢なのかしら?」


 まったくもって珍妙というしかなかった。

 とりあえず夢ならそのうち覚めるかなとか思って様子見するも、一ヶ月経っても二ヶ月経っても一向に覚める兆しがない。


「どうやらここで、またつやとして生きていくしかないみたいね」


 やれやれとわたしは嘆息する。

 事ここに至っては、そう認めざるを得なかった。


「さて、となると、どうしようかしら」


 頬に手を当てつつ、わたしは考える。

 はっきり言って、前と同じ人生を送る気はさらさらなかった。

 四度夫に先立たれて、忠節を尽くしてくれた家臣を皆殺しにされて、最期は逆さ磔の刑なんて絶対に絶対に嫌である。


「まず何が何でも遠山家に嫁ぐわけにはいかない、か」


 その先にあるのが、あの絶滅エンドだ。

 何がなんでも回避しなければならない。


「どうせならもう、結婚そのものを回避しておきたいところね」


 やっぱり旦那に置いていかれるというのは、つらい。怖い。

 そこに愛はなかったとしても、情はやっぱりできちゃうから。


 これでまた結婚して、すぐに死なれちゃったら?

 自分は本当に夫を呪い殺す疫病神なのでは?

 そう思うと、どうしても結婚に二の足を踏んでしまう。

 だから前世でも、出会いがないわけじゃなかったけど結婚はしなかったのだ。


「とはいっても、信秀兄さまはきっと許してくれないわよね」


 信秀兄さま――織田信秀の顔を思い浮かべつつ、やれやれとわたしは嘆息する。


 この時代、高い身分の娘に恋愛の自由などない。

 家と家の結びつきの為、政略結婚が普通であり、結婚は家長が決めるものなのだ。

 そこにわたしの意思が入り込む余地など一切ない。


 このままでは間違いなく、わたしは最初の夫である日比野清実(ひびのきよざね)の下へ降嫁させられることだろう。

 彼の事は決して嫌いではないけれど、もう夫と死に別れるのはごめんである。


「今七歳で、確か結婚は髪結い後だったから、あとたった五年か」


 その間になんとかするしかないのだけれど、難しい。

 そもそも七歳の女にいったい何ができるというのか!?


 大名の姫といっても、金も領地もない。

 動かせるのは二人の側仕えの女中ぐらいである。


「でも、諦めるわけにはいかないのよね」


 諦めたら試合終了どころか、人生終了である。

 わたしは、自由の楽しさを現代で知ってしまった。

 もう昔の感覚には戻れない。

 この時代でも自由気ままなお一人様ライフを過ごすのだ!


 ならどうすればいい?

 わたしは考えて考えて考えて、


「よし、決めた。神を降ろそう! うん、それしかない!」


 そう結論付けたのだった。

 もちろん、わたしにはそんな神通力などはない。


 だが、前世の縁もあり歴オタだったわたしには、二一世紀の未来の知識がある。

 これを利用すれば、神のお告げを装うことはそう難しくはないはずだ。

 そうしてわたしの価値を高めて、結婚したら霊性を失うとか言えば、信秀兄さまも他家に嫁がせようとはしなくなるかもしれない。


「今は天文一〇年、だったわね」


 確か天文は二四年まで。

 その最後の年に確か、厳島の合戦があったはずだ。

 はるか遠方の中国地方のことだけど、すごい大勝利だった、西国には毛利元就というすごい大将がいる、と当時評判になっていたのをよく覚えている。


 とあるゲームのシナリオの開始がちょうどその厳島の合戦で、それが一五五五年だった。

 そこから一四を引いて……


「西暦に直すと、今は一五四一年か」


 西暦(こっち)のほうが今のわたしにはなんだかんだ馴染み深いし、わかりやすい。


 うん、ちょうど来年いい事件があるじゃない。

 同じくゲームのシナリオの開始年だったから、よく覚えている。

 これを言えばきっと、信秀兄さまはわたしの言葉を無視できなくなるはず。


 わたしは絶対の確信とともに、にんまりと笑みを浮かべるのだ。


  ☆


「信秀兄さま、つやでございます」


 早速わたしは、信秀兄さまの部屋を訪れていた。

 善は急げというやつである。


「うむ、入れ」


 室内より声がかかり、わたしの女中が障子を開く。

 奥にいたのは、渋さと厳しさを漂わせるダンディなイケオジである。


 その鋭い視線と目が合った瞬間、ぞくっと背筋に寒気が走った。

 さすがは尾張の虎とまで言われた傑物だった。


 その圧に、思わずゴクリと唾を呑み込む。


「失礼いたします」


 動揺を表に出すことなく、わたしはしずしずと入室し、部屋の中央で正座し信秀兄さまと向かい合い、頭を下げる。


「この度は急なお願い、聞き入れてくださり……」

「ああ、よいよい。さっさと要件を言え。儂に直に伝えたいことがあるんじゃったな?」


 信秀兄さまはひらひらと手を振って、続きを促す。

 やはりあの織田信長の父だけあって、ずいぶんとせっかちなひとだった。

 だが、わたしとしても望むところである。


「では早速。昨夜、私の枕元に素戔嗚尊すさのおのみこと様が現れ、言伝をして参ったのでございます」

「ほう、素戔嗚尊とな?」


 わたしは神妙に頷くも、もちろん、ただの方便である。

 今あたしがいるこの古渡城(ふるわたりじょう)の近くにある熱田神宮には、素戔嗚すさのおの持っていた草薙剣(くさなぎのつるぎ)が奉納されているから、丁度いいとその名を拝借したに過ぎない。


 神の名を騙るなど罰当たりもいいところだが、切羽詰まっているのだ。

 余裕出来たら、そのうち寄進とかするんで勘弁してもらおう。


「で、なんと申しておったのじゃ?」


 頬杖を突きつつ、つまらなさげに信秀兄さまは問う。

 興味がないのが丸わかりである。


 信秀兄さまはあの信長の父らしく、合理主義の現実主義者だ。

 おそらく子供の戯言と思ったのだろう。


 う~ん、失敗だったか?

 でも今更言わないのも逆に変だし言ってしまえ。


「はい。素戔嗚尊様は仰いました。この一年の内に、斎藤利政(さいとうとしまさ)が謀反を起こし、国主土岐頼芸(ときよりあき)を追放し、美濃(岐阜)を我がものにする、と」

「っ!? なん、じゃと!? ……さすがににわかには信じられんな。だが、七歳のおなごの言う言葉でもない」


 ううむと、信秀兄さまは眉間にしわを寄せる。

 隣国の大名として、これはなかなかに聞き捨てならなかったらしい。

 ちなみに斎藤利政とは、後の斎藤道三のことである。


「信じる、信じないは信秀兄さまにお任せ致します。ただ、これはお伝えせねばと思いましたので」

「そうか、大儀であった」

「はい、ではこれで」


 わたしはスッと頭を下げて、そそくさと退室する。


 よし、これで任務完了である。

 まだせいぜい半信半疑ってところだろうけど、ここまで具体的に予言したのだ。

 当たればわたしの言葉に耳を傾けるようにもなってくれるはずだ。


 いやぁ、一年後が楽しみだなぁ。

 なんて感じでほくそ笑んで自室への帰路を歩いていたその時だった。


「あいたっ!」


 突如、頭に衝撃と激痛が走り、わたしはその場にうずくまる。


 い、いったい何が起きたの!?

 ふと視界に、半分潰れた柿が目に留まる。

 もしかしてこれをぶつけられた!?


「おい、きさまぁっ! 父上の部屋で何をしていた!?」

「きゃあっ!?」


 激しい怒りの声とともに、髪を引っ張られる。


「痛い痛い! 何すんの!?」


 半ば反射的に、振り返りざまわたしは相手の顔目掛けて平手打ちをかます。

 ばちぃん!


「ってえ! きさま、何しやがる!?」

「それはこっちの台詞! って、あんたは!」


 わたしも怒鳴り返し、そこで相手が誰だか気づく。


 見覚えのある顔だった。

 もう最後にその顔を見てから数十年経つし、その最後に見た時よりはるかに若いが、忘れようはずもない。


 吉法師(きっぽうし)――元服後の名は織田信長。

 前々世においてわたしの一族郎党を殺し、逆さ磔の刑にした張本人だった。


  ☆


「まず考えつくのは誰かを雇って誘拐、かしら?」


 部屋に戻るや、わたしは早速、犯行計画を練り始めていた。

 即断即決、思いついたら即実行。

 それがわたしである。


 できれば自分一人でやりたいところだが、所詮、七つの女の子だからね。

 実力行使は、ちょっと難しい。

 やはり人の力を借りる必要があるだろう。


「庄内川の川原で衆人環視が望ましいけど、この際贅沢は言わないわ。どっかの農家の納屋を借りて、そこで逆さ(はりつけ)ね」


 夜誰もいない空間で独り死が近づくのに怯えるのだ。

 どんなに苦しくても泣き叫んでも誰も来ない。

 助けてくれない。

 あの三日三晩の絶望を、ぜひ信長にも味わってもらいたい。


「……三日三晩かぁ」


 その間、誰にも気づかれずにってのは、ちょっと厳しいよなぁ。

 曲がりなりにも、信長は織田弾正忠家の嫡子だし、行方不明ともなれば領内を大々的に捜索とか行われそうである。

 そうなったら当然、わたしも主犯として捕まって……


 ぶるぶるっとわたしは身体を震わせる。

 ヤバいヤバい。

 これ、どう考えてもわたしのほうが逆に逆さ磔にされるパターンだ。


「この案は却下ね」


 やるならまず身の安全を確保してからだ。

 あの刑に処されるのだけは、もう二度とごめんである。


 うん、なんか磔にされる自分を想像したら、ちょっと冷静になってきた。

 ぷしゅるるるるっと自分の中の怒りが急激に抜けていくのを感じる。

 昔から熱しやすいけど冷めやすいのよね、わたしって。


「まあでも、逆さ磔にするかどうかは別にして、あの馬鹿をどうにかしておきたくはあるなぁ」


 あんな奴が当主じゃ、いつまた処刑されるかわかったもんじゃない。

 正直、何が地雷かまるでわからないし、そのくせ感情的に暴発するし。


 あいつの一挙一動にいちいちビクビクするなんて人生、まっぴらごめんである。

 とりあえずなんとか織田家当主の座ぐらいは剥奪しておきたい。


「あっ、そうだ!」


 信長の敵対勢力に付き、こっそり支援するというのはどうだろう?

 差し当たってはまず、信長の実弟、織田信行あたりだろうか。

 確か信秀兄さまの死後、織田家の当主を巡って対立するはずだ。


「うん、これいい案かも」


 信長は勝利こそしたものの、けっこうギリギリの戦いを強いられたと記憶している。

 わたしの行動いかんで勝敗が覆るなんてことも、十分有り得そうだ。


「となると、やっぱり神託の信用を高めるのが最善ね」


 うんとうなずく。


 いくつも的中させて神託の信ぴょう性を上げた状態で、「跡継ぎは信行こそ相応しい」とか言えば、信秀兄さまは信長を跡継ぎ候補から外して、信行を跡継ぎに指名してくれるなんてこともあるかもしれない。


 そこまでいかずとも、いざ兄弟対立となった時、史実では信長に味方した人間で、信行側につく者も少なからず出てくるだろう。

 敵の味方を削り、自身の味方を増やす、まさに一石二鳥、いや婚姻の自由を得る意味でも使えそうだし、一石三鳥のナイスアイディアである。


「……でもこの先、あんまり大きな事件ないのよね……」


 実際はあったのかもしれないけれど、当時のわたしは子供である。

 ぶっちゃけほとんど覚えていないのだ。


 二一世紀で学んだ知識として、一五四三年の鉄砲伝来と、一五四五年の川越夜戦などは覚えているけど、尾張からは遠方過ぎてちょっとパンチが弱い。

 一五四七年には加納口の戦い、一五四八年には小豆坂の戦いと、尾張でも大きい戦があるんだけど……その辺りにはもう、わたし結婚させられてるしなぁ。


 信秀兄様に伝えた予言だけでは、ちょっと結婚回避や発言力を高めるという点ではまだ弱いだろう。

 ん~~~~~。


「とりあえず、この時代にないものを作って、神託があったってことにするか」


 わたしはパンッと手を打ち鳴らす。

 前世でつやの頃の記憶のあったわたしは、これ戦国時代だったらどうするんだろう? って想像することがけっこうあったのよね。

 それらを実践するいい機会だった。


「よし、そうと決まればまずは市場調査ね!」


 すでにもうアイディアはいくつか思い浮かんでいるが、技術的にも資金的に作れるものは限られている。

 この時代に何があって何がないのかも、よくわかっていない。だってわたし、つやの頃は姫様育ちだし、そういうのにちょっと疎かったのだ。


 この時代にちゃんとあるもので、この時代の技術で作れて、この時代の人々が必要としていて、かつそのアイディアに皆がびっくりするもの。

 それを見定めるには、やはり直に人々の暮らしぶりを見て回るしかない。

 そんな強い決意とともに、わたしは意気揚々と城下へと向かおうとし――


「なりませぬ、姫様。お一人で城下に出るなど危険すぎます」


 門番に却下されてしまった。

 少し押し問答してみるも、全く通してくれる気配がない。


 そっか。そういえばそうよね。

 ついつい二一世紀の感覚だったけど、ここは戦国時代。

 こんないかにも裕福な身なりの子供がひとり町を歩いていたら、誘拐してくれって言ってるようなものである。


「ねえ、ゆき。明日、城下に出たいんだけど、付いてきてくれない?」


 自室に戻ったわたしは早速、側仕えの女中に声をかけてみた。


 ゆきは年の頃は二五歳前後、落ち着いた雰囲気の女性である。

 乳母として生まれたばかりから仕えてくれている、わたしが最も信頼しているひとだ。


「まあ、お珍しい。どうされたんです?」


 ゆきが驚いたように目を見開く。

 まあ、前世の記憶が蘇る前のわたしって、外より部屋の中で遊ぶのが好きなインドア派の子供だったからね。

 (いぶか)しむのも無理はないか。


「別に、ちょっと興味が湧いたの」

「そうでございますか。ここ数日は何やらふさぎ込んでおられたようですし、吉法師様の件もございます。気晴らしには丁度いいかもしれませんね」


 うんっとゆきが頷いてくれる。

 よっしゃあ、これで外に出れる。


「とは言え、さすがに私一人では心もとないですね」

「はいはーい、じゃああたしも行きまーす」


 陽気で調子のいい声が割り込んでくる。


 彼女ははる。

 年は一六歳。昨年から行儀見習いも兼ねて城仕えとなり、わたしの担当になった子だ。


「貴女、仕事をサボりたいだけでしょう?」

「それは否定しません。そっちのほうが明らか楽しそうじゃないスか」


 臆面もなくきっぱり言い切るあたり、バカ正直である。

 おいおい、もうちょっと言葉を選ぼうよ。


「はぁ、貴女って子は……」


 ゆきが額を押さえながら、疲れたようにため息をこぼす。

 教育係でもあるゆきには、はるのこの奔放さはまさしく頭痛の種といったところか。


 まあ実際、前々世でははるのこういうところがわたしもカチンと来て解雇してるしなぁ。

 ただ、わたしも人生経験を経て成長したのだろう、逆に今は好ましくさえ感じていた。

 こういう子は確かに気遣いとかはできないけど、裏もないから実は付き合いやすいのよね。


「だいたい若い女の貴女が加わったところで、余計にカモに見えるだけでしょう」

「ご安心を! これでも薙刀を嗜んでて、そこらへんの男には負けません」


 言って、はるはビュンビュンっとエア薙刀を振る。

 うん、けっこう様にはなっている。

 ただまあ所詮エアなので、あの細腕で今の動きができるのかはちょっと疑問だけど。

 そんな彼女に、ゆきはまた疲れたような嘆息とともに首を振り、


「見た目の問題です。姫様の安全を考えれば、ごろつきを退治できるだけじゃ足りません。そもそも寄せ付けないようにしないと」


 確かに彼女の言う通りだった。

 喧嘩になった時点で、わたしを危険に晒す行為だ。敵が複数って可能性もあるし。

 まずトラブルに巻き込まれないようするってのが防犯としては最善である。

 はるが同行者だと、うん、トラブルが逆に増えそうね。


「じゃあ、ゆき、詰所に行って護衛を一人、回してもらえるようお願いしてきてくれる?」


 あんまり仰々しいのは好きではないが、仕方がない。

 市場調査はやっぱ必要だからね。


 そう言えばわたし、前々世では結局、城にこもりっきりで一度も熱田にいったことなかったっけ。

 どんなとこなんだろう。


 あー、明日が楽しみだなぁ。


  ☆


 翌朝、早速城門に向かうと、仁王像が立ちはだかっていた。


 古渡城(ふるわたりじょう)の城門に、そんな木像は配置されていない。

 実際は人である。

 だが、まさにそうとしか言えない人物だったのだ。


 でかい。いやもうひたすらでかい!

 周りの武士たちより頭一つぐらい高い。


 戦国時代は男性でも平均身長一五五センチぐらいだったって話なのに、普通に一八〇センチ近くあるぞ、これ。

 しかもひょろ長いわけではなく、骨格もがっしりしていて筋肉質だ。


「っ!?」


 目が合った瞬間、ゾクッと背筋に寒気が疾った。

 な、なんて鋭い眼光なの!?

 まるで獲物を狙う鷹のようだった。


 え!? わたしなんかした?

 不躾にガン見しすぎたのが気に障ったとか?

 わたしが戸惑う中、巨漢がズカズカとこっちに近寄ってくる。


「つや姫様とお見受けしましたが、相違ござらぬか?」


 ドスの利いた低い声で問われる。

 近くで見ると、より一層でかい。表情も険しくいかにも不機嫌そうである。


「え、ええ、そうですけど」


 少しだけキョドりつつ、わたしも返す。

 これでも前々世では女城主として荒くれ者どもを率いていたので、けっこう慣れてるつもりだったんだけど、この人はちょっと格が違うかも。


 別に、いかにも強面という風貌ではない。

 むしろ目鼻立ちが整っていて、イケメンの部類である。

 ただ、なんだろう、存在しているだけで人を威圧するような、そんな凄みをまとっているのだ。


 現代でも、一流の格闘家は向き合うだけで、あるいは歩き方や構えを見ただけで、おおよその相手の強さが掴めるという。

 戦国時代は、死が間近な世界だ。当然、その辺の感受性は鋭敏にならざるを得ない。

 昔とった杵塚というか、わたしも多少、そういうのを感じ取ることが出来る。


 その危険センサーみたいなものが、ビンビンに反応するのだ。

 この人はめちゃくちゃ危険だ!! と。


 私の隣では、ゆきとはるも恐怖に顔を引き攣らせ、涙目になっていた。

 さもありなん、と思う。


 正直、虎とか熊とかの猛獣が人の姿をしてそばにいるような感じだった。

 決してこっちを襲ってくることはない。

 それがわかっていても、怖いものは怖いのだ!


「拙者、本日の護衛を承った柴田権六勝家しばたごんろくかついえと申す」

「っ!?」


 思わず息を呑む。

 さぞ名のある武士に違いないと予想はしていたが、それでも想像以上すぎた。


「拙者の名に何か?」

「い、いえ、別に何も」


 慌ててわたしはぶんぶんと首を左右に振る。

 もちろん、嘘である。

 知らないはずがなかった。


 柴田勝家――

 織田信長の覇道を支えた織田四天王の最古参にして筆頭格!

 幾多の戦で勇猛果敢に先陣を切り、付いた異名が「かかれ柴田」や「鬼柴田」という家中随一の猛将だった。

 そりゃ身にまとう空気が別格だわ!


「今日はよろしくお願いしますね」


 内心の動揺を惜し隠し挨拶するも、ちょっと声が硬かったかもしれない。

 いやだってまさか、たかだかわたしの熱田見物の護衛に、こんなビックネームが来るとか思うわけないじゃん。

 そりゃ焦るって!


「はっ、では案内致します。付いてきてください」


 くるりと踵を返し、勝家殿はスタスタと歩き始める。

 こっちを振り向きもしない。


「なんか……怖い人ですね」

「あまり機嫌を損ねないよう、静かにしていましょう」

「そ、そうね。何が気に障るかわからないし」

「です。くわばらくわばら」


 ゆきとはるが、こそこそと囁き合う。

 途端、くるりと勝家殿が振り返り、


「別に好きにしゃべってもらってかまわぬぞ」


 表情一つ変えず、淡々と言う。


「「ひっ! すみません! すみません!」」


 まさか聞かれていたとは夢にも思っていなかったのだろう。

 ゆきとはるは、悲鳴じみた声とともに何度もぺこぺこと頭を下げる。


「……別に怒ってない」


 そんな二人に勝家殿は面倒くさそうな嘆息をして、勝家殿は再びわたしたちに背を向け歩き出す。

 ゆきとはるはすっかり委縮してしまい、黙りこくってしまう。

 しばらく何の会話もなくてくてくとわたしたちは歩き続けるが、


(さすがに退屈ね)


 速攻でわたしは飽きてしまった。


「そういえば柴田様は、今おいくつなのですか?」


 意を決して、わたしは目の前を歩く巨漢に声をかける。


「「っ!?」」


 ゆきとはるが非難がましい視線を送ってくるが、熱田まで徒歩で半刻(一時間)もかかるのである。

 その間、ずっとこの気まずい空気の中にいるのは正直、わたしは退屈で我慢できそうになかった。


「は?」


 振り返った柴田様は意外そうな顔をしていた。

 まさか声をかけられるとは露も思っていなかったようだ。


「……今年一五になります」


 すぐにぶすっとした不愛想面に戻り、淡々とした声で返す。

 だが、その程度でめげるわたしではない。


「へえ。初陣はもうされたのですか?」


 この時代の男子は、一四か一五歳ぐらいで元服(成人)する。

 そして、武士の子ならばそう時を置かずして初陣、すなわち初めて戦場に立つことになる。


「昨年、安祥で」

「へえ、やはり緊張したりするもんなんです? 初陣はそうなると耳にしたのですが」


 というか、前々世での実体験だったりするのだが。

 あの戦特有の空気感が焦燥感や不安を煽るし、いきなり城主なんてのも重圧がやばいしで、ガチで地に足つかなくて、テンパりまくってパニクりまくったものだった。


「まあ、それなりに」

「それなりで済むのですか!? 肝が据わってらっしゃるのですね!」

「らしいですね。殿にもそう言われました」

「どうすれば勝家様のように、豪胆でいられるのでしょう?」

「生まれつき、なのでわかりませぬ」


 何を質問しても、勝家殿は仏頂面のまま端的に返すのみ。

 まるで会話が弾まない。

 もしかしなくても、鬱陶しいと感じていそうである。


 だが、最初は別にそれでいいのだ。

 まず相手の人となり、関心事がわかれば、今後、適切な対応ができるようになる。

 敵を知り、己を知らば百戦危うからず、だ。


 また質問するということは、貴方に興味がある、と暗に伝えることでもある。

 心理学では返報性の原理というのがあり、好意を示せば、相手からも好意が返ってきやすいという。 

 何度も好きです、とアタックすれば、最初は断っていた異性もほだされてオーケーするのはこういう理屈だ。


 多少うざがられても、攻撃あるのみである!


「豪胆と言えば、源義経の崖下りは凄いですね」

「そうですね」

「弁慶の立ち往生も、立派です。あれぞ武士の鑑かと」

「はい」


 むぅ、これも反応が薄い、か。

 これぐらいの年の子、それも将来の猛将なら、過去の英雄とかに強い憧れとか抱いていそうなものなんだけどなぁ。


「でも、個人的に許せないのは、源頼朝です。あれほど戦功のあった者を、しかも実の弟を処刑するなんて」


 これは探りではなく、ぽろっと出たわたしの本音だ。

 わたしも甥である信長に裏切られて、処刑された身である。

 義経ほど功はなかったけど、他人の気がしない。


「仕方がなかったのでしょう。将来の禍根は断たねばなりません」


 勝家殿は淡々と感情のこもらない声で言う。


 まあ、彼の言ってることは、正論ではある。

 平家討伐で多大な戦功のあった義経は、頼朝からすれば、自らの地位を脅かす存在だ。

 頼朝に不満を持つ者たちが、旗頭として担ぎ上げる可能性もある。

 政権の安寧を考えるなら、そういう存在を排除するというのは理にかなっている。

 叶っているが、それでも何か別に方法があったのでは、と思ってしまうのだ。


「それは……いざとなれば勝家殿も兄弟でも殺す、ということですか?」


 ちょっとだけ、意地悪な質問だったのかもしれない。

 だけど、わたしの中にいる前々世のわたしが、問わずにはいられなかったのだ。


「……ええ、それが必要なことならば」


 遠くを見据えるその目からは、断固とした覚悟がひしひしと伝わってきたのだ。

 ゾクッと背筋に冷たいものが疾る。

 その言葉に嘘偽りは、一切ないのだろう。


 さすが鬼柴田、情け容赦ない。


 ……と思う人もいるかもしれないが、私の感想はちょっと違った。

 身内を斬ることに何の感情も抱かないのであれば、そもそも覚悟などいらないのだ。

 わずかだが、返答するまでの間もいらなかったはずだ。


 言い換えるなら、断固とした覚悟が必要なほど、できることならしたくない、ということである。

 ようやく人間らしいところが垣間見えて、わたしはホッとする。

 気難しい人ではあるが、決して血の通わぬ人間と言うわけではなさそうである。

 これならなんとか付き合っていけそうだった。


  ☆


「へえええ、ここが熱田かぁ!」


 目が輝いているのが、自分でもわかった。


 熱田――

 信秀兄さまの居城、古渡城から南に徒歩で半刻(一時間)ほどのところにある、三種の神器の一つ草薙の剣が奉納された熱田神宮の門前町にして、伊勢湾に面した港町である。


 東海道でも三指に入るほどに栄えた大きな町で、織田家の分家筋であり奉行の一人に過ぎなかった信秀兄さま――織田信秀が、今や主家を上回るほどに強大な勢力を誇るまでになったのは、この熱田と津島という二つの商業港を押さえたことで得られる潤沢な資金のおかげだったと言われるほどだ。


 勿論、二一世紀の東京とかと比べると、人混みは大したことはないのだが、なんというのだろう、掛け声があちこちから飛び交い、まるでお祭りのような活気が、この町には満ち満ちていた。


「よし、皆、早速いろいろ見て回りましょう!」


 心がワクワクと踊り、いてもたってもいられず、わたしは走り出す。

 向かったのはまず熱田神宮のほうである。

 道すがらに立ち並ぶ家々の店先には、食べ物や飾り物、衣類に鍋やお玉のような日用品まで、実に様々なものが並んでいる。


 へえ、こういうかんじなんだ。

 おっ、あっちにあるのはもしや!

 わあ、もしかしてあれってあれじゃない!?

 ふぅん、ふむふむ、なるほどなるほど。

 やっぱり実際に自分の目で確かめると、何があって何がないのか見えてくるわね。


「ってあれ?」


 気が付けば、周りにゆきもはるも勝家殿もいなくなっていた。

 しまったぁ!

 つい夢中になるあまり、三人を置いてきぼりにしてしまったらしい。

 何かに没頭すると、我を忘れてしまうのよね、わたし。


「ゆきー? はるー? 勝家殿ー?」


 キョロキョロしつつ、名を呼ぶも返事はやっぱりない。


 うーん、どうしよう?

 二一世紀みたいに迷子センターがあるわけじゃないだろうし。

 スマホとかなしにこんな雑踏の中を探し回るのもなかなか現実的じゃないし。


 なんてわたしが途方に暮れていると、

 ガシッと後ろから腕をつかまれる。


「勝家殿?」


 力強さからそう判断し振り返ると、


「ひひっ、お嬢ちゃん、こんなところで一人じゃ危ないよ~」


 いかにもガラの悪そうな若い男だった。

 後ろには似たような感じのが三人ほどいて、いわゆるゴロツキだった。


「けっこういい着物を着てるねー」

「どこの子かな?」

「くくっ、お兄さんたちが連れて行ってあげるよ」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて話しかけてくる。

 実はこう見えていいひとたち……なんてことはなさそうである。


 やらかしたなぁ。

 ここは治安のいい二一世紀の日本じゃない。

 戦国時代だ。

 身なりのいい子どもがいたら、そりゃさらおうとする輩がいても全然おかしくなかった。


「たすっ……っ!」

「おっと!」


 大きい声で助けを呼ぼうとしたが、腕を強引に引っ張られ、口を塞がれる。

 くっ、このままじゃほんとにさらわれる。


 がりっ!


「いてえっ!」


 思いっきり手を噛んでやると、さすがに痛かったのか拘束が解ける。

 よし!

 そのまま地面に着地するや、ダッシュする。


 が、


「逃がすかよ!」

「ぐぇっ!?」


 すぐに襟を掴まれ、吊り上げられる。

 これだから子どもの身体は!


「くそっ、離せ! 離せぇっ!」


 手足をばたばた振り回すも、びくともしない。


「ったく、よくもやってくれたな、がきぃ。覚悟はできてんだろうなぁ?」


 さっき手を噛んでやったゴロツキが、忌々しげに顔を歪ませながら近づいてくる。

 くそっ、万事休すか!?


「おい、あんまり傷つけるなよ? 売り物だ」

「わぁってるよ、ちょっと大人への礼儀ってやつを教えぐふぇっ!?」


 嫌らしい笑みを浮かべたゴロツキの頬が突然歪み、吹っ飛んでいく。


 そこには、巨大な拳があった。

 ついでブゥンと風切り音がして、


「がふっ!」


 わたしを掴んでいた男の顎が跳ね上がる。

 ふわっと一瞬の浮遊感の後、がっしりとした腕に抱きとめられる。


「はあはあ……ご無事ですか?」

「勝家殿!」


 そこにいたのは、仏頂面の仁王様だった。

 初対面の時はちょっと怖かったが、今はこれほど頼りになる人もいない。


「危険なので、下がっていてください」


 わたしを地面に降ろしつつ、勝家殿が言う。

 その息が上がり、顔が汗ばんでいる。

 おそらくわたしを探して走り回ってくれたのだろう。


「てめえ、何しやがる!?」

「よくも佐吉たちを!」


 残ったゴロツキの二人が、叫びながら刀を抜く。

 瞬間、ぶわっ! と勝家殿から噴き出る『圧』が、跳ね上がる。


「っ!」


 思わず息を呑んだ。

 出会った時も、存在の圧を感じたものだが、そんな比ではなかった。


 ただでさえでかかった体が、さらに大きく見える。

 カチカチと我知らず歯が鳴り、体が震え出す。

 これが……これが織田四天王、鬼柴田の本気か!


「刃物を出す以上、覚悟はできているんだろうな?」


 にぃぃぃっと勝家殿が口の端を吊り上げ、腰の刀を抜き放つ。

 殺気がさらに膨れ上がっていく。

 まだ上があるの!?


 もはやそこにいるのは人ではなく、『鬼』そのものだった。


「ひっ!」

「あ、あわわ……」


 ゴロツキたちが短い悲鳴とともに、よろめくように後ろに下がる。

 その表情は完全に恐怖に歪んでいた。


 味方であるわたしでさえ、これだけ怖いのだ。

 その殺気をもろに受けた彼らは、痛いほどよくわかったのだろう。

 待っているのが絶対的な死であるということを!


「き、今日の所は見逃してやらぁっ! い、いくぞ!」

「お、おう。覚えてろよ!」


 ゴロツキたちはいかにもな捨て台詞とともに、そそくさと逃げ出す。

 のびてる仲間二人を置いて。


 よっぽど慌てていたんだろうけど、さすがにちょっと薄情すぎないか?

 まあ、ゴロツキやるような奴らにそういう倫理を求めるのも酷なんだろうけど。


「……ふう」


 ゴロツキたちが去るのを確認してから、勝家殿は一息つき、ギロリとわたしを睨み据える。

 思わず心臓が跳ね上がった。

 もちろん恋とかではなく、恐怖で。


「一人勝手に走り回らんでください!」

「は、はいっ!」


 思わず直立不動になって答える。

 そんなわたしの様子に、勝家殿はどこかバツが悪そうな顔で、ポリポリと後頭部をかく。

 先程までの不動明王もかくやという圧は薄れ、どこか途方に暮れているようにも見えた。

 おそらくわたしたちの怯えを感じ取ったのだろう。


「……あ~」


 勝家殿が何か口を開きかけ、閉じる。

 なんと声をかければいいのかわからないのだろう。

 そんな様子を見た瞬間、さっきまでの恐怖は嘘みたいにかき消えていた。


 ここにいるのは、昔話の「優しい赤鬼」だ。

 体はでかくてごつくてパッと見怖いけど、多分いや絶対、この人、実はすっごく優しい人だ!

 かなり不器用で不愛想なだけで。

 よくよく思い返してみれば、柴田勝家って、すっごい部下の面倒見がいいって逸話、枚挙に暇がなかったしなぁ。


 トコトコっと彼に近づいていき、ペコリと頭を下げる。


「ありがとうございました。勝家殿がいたおかげで助かりました」


 顔を上げるや、にっこりと笑いかける。

 怖がっていないよ、と。本当に心から感謝しているよ、と伝えるために。

 そんなわたしに、勝家殿のほうがうろたえているようだった。


「……俺が怖くないのですか?」

「怖かったです。それはもう」


 ここで下手に嘘をついても、きっとろくなことにはならない。

 だから正直に言う。


「なら、なんでそんな笑っているのです?」

「こんなに強くて怖い人が味方なら、逆にこれほど頼もしいことはないじゃないですか」


 あっけらかんとわたしは言う。

 勝家さんはきょとんと目を丸くし、ついで吹き出す。


「くっ、くくく、ははははははっ! 確かにその通りですな。賢い! それに肝も据わっておられる。さすがは殿の妹君です! はははははっ!」


 何がそこまでおかしいのか、しばらく勝家殿は爆笑し続けていた。


 その後――

 ゆきやはると合流し、泣きながらお説教をくらったのは言うまでもない。

 反省反省。


  ☆


 柴田権六勝家は、尾張国愛知郡上社(かみやしろ)村を治める土豪(どごう)、柴田勝義の嫡男(ちゃくなん)として生まれた。


 大永七年(一五二七年)のことである。

 幼少の頃より体が人一倍でかく剛力であり、そして武芸の才に恵まれた子供であった。

 そして彼自身、武芸を心から愛していた。


 毎日のように槍を振り続け、齢一〇を数える頃には、大人たちも含め、村では彼に勝てる者は一人もいなくなっていた。

 そのあまりの人間離れした強さと、そして戦っている時の人の変わりように、村人たちは彼を畏怖した。


 鬼子、と。


(まあ、俺自身、そう思うしな)


 感じるのだ。

 自分の心の奥底に、一匹の鬼が棲んでいる、と。

 ただただ戦いを求め、戦いに血沸き肉踊る。

 そんな自分が確かにいるのだ。


 とは言え、そんな自分を別に嫌っているわけでもない。

 この鬼の心と力はきっと、主君を、領民を守る力になると確信しているからだ。


 だからむしろ好み、誇りにさえ思っている。

 思っているのだが、一抹の寂しさを覚えていたのも事実である。


 鬼の自分を見せれば、人々は恐れ、彼のそばから離れていく。

 許嫁だった女も、自分にはいつも怯えていて、先日、別の男と駆け落ちしてしまった。

 

 追う気にもならなかった。

 仕方ない、と自分でも思うのだ。

 家族でさえ、どこか自分に怯え、びくびくしているのだから。


 唯一、そんな自分に怯えることなく、頼もしいと言ってくれたのが、現在の主君である織田信秀だった。

 さすがは『尾張の虎』と言われる傑物であり、大した胆力だった。


「だと言うのに、まさか妹君までもとは」


 思わず笑みがこぼれる。

 勝家の『鬼』を見ても、すんなりその場で受け入れてくれるなど、信秀以外にはいないと思っていた。

 だと言うのに、次に現れたのがたかだか七つの女の子とは……。


「案外、俺の思い込みだったのかもな」


 草っ原に大の字になり、夜空を見上げてつぶやく。

 両親にさえ距離を置かれた自分は、きっと誰にも受け入れてもらえないのだろう、とそう思っていた。

 特に女性には難しいだろう、と。


 事実、許嫁にも逃げられた。

 だから結婚というものをどこか諦めていたのだが……


 その価値観が、今日、根底から覆えされたのだ。

 鬼の自分を見ても、あっさり受け入れ笑いかけてくれたつやのおかげで。


 世界は広い。この夜空のように。

 確かに、自分に怯える人は多いのだろう。

 だが、つやのような図太い女も、他にいっぱいいるはずだ。


 そう思えた瞬間、胸のつっかえがとれ、心がスッと軽くなったような気がした。


  ☆


「姫様、できやしたぜ!」


 ゆきの夫、岡部又右衛門(おかべまたえもん)がソレを持ってきたのは、熱田観光をした一週間後の事だった。


 聞いてびっくりしたのだが、岡部又右衛門と言えば、あの信長の居城、安土城を作った大工の棟梁の名である。

 それがまさかわたしの女中の旦那だったとは……。

 世間は狭い。


 このコネを使わぬ手はないと、あるものの製作をお願いしたのだ。

 それがどうやら完成したらしい。


「へえ、ちょっと見せてもらえる?」

「へい」


 早速、差し出された物を手に取って、確認してみる。

 うん、形はほぼわたしのイメージ通りね。

 ちょっと玉の形が粗いけど、そこは仕方ないだろう。


「じゃあ、後は実用に耐えられるか、ね」


 早速、前もって用意していた紙を見ながら、動かしてみる。

 パチパチパチパチ……。

 うん、問題ない。耐久性に関してはまだ要検証、改良の余地があると思うけど……


「ほぼ完璧よ、これぞわたしが求めていたものだわ! 約束の報酬よ」


 言って、わたしはパチンっと指を鳴らす。

 はるが頷き、しずしずと糸つなぎの銅銭の束を持ってきて、又右衛門の前に置く。


「約束通り、報酬の一貫文よ」


 二一世紀の貨幣価値に直せば、一文一二〇円ぐらいだったはずなので、一貫文が一〇〇〇文だから、ざっと一二万円といったところか。

 これ一つにその値段はちょっと割高ではあるんだけど、わたしの描いた下手な図案を実際の形にするにはいろいろな試行錯誤があったはず。

 その手数料込みの値段である。


 まあ、七歳の女の子にはけっこうな大金だったのだが、わたしも一応は大名家の姫様である。

 手持ちの着物を一着も売れば、これぐらいは簡単に用立てることができるのだ。


「おおっ、有難く頂戴いたします」

「なかなかいい仕事だったわ。また何かお願いするかもしれないから、その時はよろしくね」

「へい、よろこんで。今後ともごひいきに! ゆき、いい仕事紹介してくれてあんがとよ!」


 又右衛門は揉み手で頭を下げて、愛妻にも笑顔で声をかけて、一貫文を抱えてほくほく顔で帰っていく。

 まあ、一週間で一二万円の収入だからね。

 割のいい仕事だったのだろう。


 さぁて、後はこれを……


「ん? なんじゃそれは?」

「っ!?」


 突然、ひょいっと現れた信秀兄さまに、わたしはびくっと身体を強張らせる。

 ゆきとはるも驚いた様子で、その場に平伏する。


「の、信秀兄さま、ど、どうされましたか?」


 若干挙動不審気味にわたしは問う。

 だって仕方がないだろう。

 これまで信秀兄さまがわたしの部屋を訪れることなど、一度としてなかったのだから。


「ん~、ほれ、先日、吉法師がおぬしに乱暴しおったじゃろう。顔に痕などが残っておっては大変じゃからな」


 一見わたしを心配した優しい言葉に聞こえるが、違う。


 大名家の娘は、政略結婚の道具である。

 顔に痕など残れば、その価値は大きく下がる。

 それを確認に来たということだ。


 もっともその無情を責めるつもりはない。

 一国を預かる大名として、その冷酷な判断力は必要なものでもあるのだから。


「ご安心ください。この通り、まったく痕など残っておりません」

「で、あるか。それはよかった。これは息子の不始末の詫びじゃ」


 信秀兄さまは、畳にスッと櫛を置く。

 光沢のある黒に金の鳥が描かれた、なんとも高そうな櫛だ。


 きっとこれ一つで、一貫文ぐらいするのだろう。

 これで水に流せ、といったところか。

 だが、そうは問屋が卸さない。


「わざわざありがとうございます。ですが、あの程度でこんな高価なものは頂けませぬ」


 スッとわたしは櫛を信秀兄さまのほうへ押し戻す。

 目上の者が下賜した物を突き返す。

 無礼以外の何物でもなく、信秀兄さまもムッと顔をしかめる。


「気にするな。こういうものは黙って受け取っておくものだ」

「いえ。お詫びというのであれば、これを見て頂くだけで十分にございます」


 言ってわたしは、又右衛門の持ってきてくれたソレを目の前に置き、


「これはソロバンと申します。神託により素戔嗚尊すさのおのみこと様よりお教えいただいた道具にございます」


 そう、これがわたしの考えた、商品第一段であった。


 尾張は商業の盛んな地域だ。

 しかし、どれだけ熱田の町を見渡しても、ソロバンを使っている様子はない。


 そりゃそうだろう。

 一応、すでに日本に伝来こそしてはいたのだが、実際に民衆の間に普及したのは豊臣秀吉の時代、明に留学して算術を学んだ毛利重能(もうりしげよし)が京都にそろばん塾を開いてからである。

 物自体はあっても使い方がわからねば広まる道理はない。

 つまり、現時点では五〇年ぐらい時代を先取りした代物だった。


「ふむ、つまり祭器か」


 あからさまに興味のない様子で、信秀兄さまは言う。

 このあたりはやっぱり信長の父親というか、合理的で現実的なひとなのだろう。

 わたしはふるふるっと首を振り、


「いえ、これは計算をするためのものでございます」

「計算、とな?」

「はい、論より証拠。こちらを」


 言って、わたしは一枚の紙と筆を信秀兄さまに手渡す。


「こちらにお好きな数字を一〇個、適当に書いてくださいませ。わたしは後ろを向いておりますので、書き終わったら読み上げてください」

「ふぅむ、まあ、よかろう。余興に付き合ってやる。……よしできたぞ、九、六、二、七、五、一、七、三、八、十」

「五八」


 信秀兄さまが読み上げるのとほぼ同時に、わたしは答えを言い放つ。

 まあ、ソロバンがあれば造作もないことである。

 というか実は、これぐらいなら頭の中のソロバンを弾いて暗算でできるのだが、そこはデモンストレーションだ。


「……むう、正解じゃな」


 信秀兄さまが紙を使って計算し終えてから、難しい顔で唸る。


「十や百単位の計算でも、ほぼ同じ速さでできますよ」

「っ!? 真か!?」

「ええ、このソロバンを身に着ければ、造作もないことです」

「ふぅぅぅむ」


 信秀兄さまがソロバンを凝視しつつ唸る。


 領地経営なんてやっていれば、計算とは切っても切れない関係だ。

 その頭の中では、ソロバンが使える場所が次々と思い当たっているはずだ。


「……うむ、大したものじゃ。よくやったぞ、つや!」


 ぽんっと頭に手を乗っけられ、ぐしゃぐしゃっと撫でられる。

 女の子の頭を! とも思ったのだが、一方で胸の奥と目がしらがジンっと熱くなった。


 ……お父さんに褒められるってのは、もしかしたらこういうものなのかもしれない。

 前世でも前々世でも、わたしにはいなかったからなぁ。


「これを官吏たちに習得させれば、領内統治も大幅に捗ろう。戦の時にも兵糧や人員の計算に役立ちそうじゃ」

「はい、仰せの通りかと思います」

「どれぐらいで習得できる?」

「二桁の足し算引き算ぐらいでありましたら、一日半刻(一時間)ほどの鍛錬で、一ヶ月ほど。掛け算割り算を含めれば半年ほどでしょうか。わたしがそうでしたので」

「ほう、素戔嗚すさのおのとこで習っていたのか?」

「はい」


 しれっとわたしは嘘をつく。

 もちろん、普通に現代でソロバン塾で習いました。

 だがここは嘘も方便である。


「よし、では早速、明日から何人かお前のところに回す。叩き込んでくれ」

「…………それは構いませんが、報酬はいかほど頂けますか?」


 ちょっと言うかどうか迷ったのだが、結局言うことにした。

 前世では安い給料でこき使われたし、サービス残業もしこたまやらされた。

 ただ働きは死んでもごめんである。


「…………」


 信秀兄さまがパチパチっと目を瞬かせる。


 もしかして、怒るか?

 前世だとけっこういたんだよなぁ。無料でやるのが当たり前で、金がかかると知ると怒り出すやつ。

 他にもいきなりお金のことを持ち出すなんて意地汚いやつとかあさましいとか言うやつ。

 正直、くそくらえって思うけど、そういう上司に責められたことが何度もあるのだ。


 信秀兄さまがもしそうだったら、と内心びくびくものだったのだが、


「ふっ、ふはははは、そうじゃな! これほどのこと、ただというわけにはいかぬな」


 どうやら杞憂(きゆう)だったらしい。

 まあ、尾張は商業の盛んな土地で、信秀兄さまはその財を掌握してのし上った人だからね。

 そのあたりの目端はきちんとつくのだろう。


 ふう、でも安心した。

 これが現状、わたしにとっては唯一の収入源だったのだから。


「そうじゃな。一日一貫文でどうじゃ?」

「っ!?」


 い、一貫文!?

 つ、つまり日給一二万!?


 さすがは大名、な、なんて破格な条件だ。

 とはいえ、そう安易には食いつかない。

 おいしい話には裏があることも多いからね!


「一日とは具体的にいつからいつまででしょうか? 朝から晩までとなるとさすがにきついです」


 いくら日給がいいといっても、あんまり時間を拘束されるのはごめんである。

 他にやりたいこともあるし、のんびりする時間だって欲しい。

 わたしは単純な金銭の多寡より、クオリティオブライフを重視する人間なのだ。


「ふむ、しっかりしとるのぅ」

「この辺でふわっとしてると、後でモメる元ですので」

「ふっ、一理ある。なら……そうじゃな。あんまり一度に詰め込んでも覚えられるものでもなし。一回の講義は半刻(一時間)、午前と午後の二回でどうじゃ?」

「……え?」


 思わずわたしの口から間の抜けた声が漏れた。

 そんだけ? たったそんだけでいいの!?


「なんじゃ、何か不満があるのか?」

「いえ、それでよろしゅうございます」


 下手に値引きされる前に、とっとと請け負うに限る!

 一日二時間で一二万円とか、時給六万!

 うわぁ、ボロいなぁ。むしろぼったくりじゃね?


 けど提示してきたのは信秀兄さまだしね。

 もらえるもんはもらう主義である。

 いやぁ、儲かった儲かった。


「さて、それとは別に褒美もやろう」

「褒美、ですか?」

「うむ、このソロバンは、間違いなくこの尾張を潤わすじゃろう。たいていの願いなら聞いてやるぞ」

「えっ!?」


 た、たいていの願い事!?

 今一番わたしが欲しいものと言えば、それはもちろん結婚の自由である。

 だがこの戦国の世、武家の女の最大の役目は、結婚し有力な家と実家との結びつきを強めることである。

 それが織田家にもたらす莫大なメリットとソロバン一つではまだちょっと釣り合わない気がする。

 まだ了承してもらえる可能性は低い。


 なら今のわたしに一番必要なものは――


 ☆


「では、加藤順盛(かとうよりもり)殿をご紹介していただけませんか?」


 考えに考え抜いた末、わたしは願い出る。


 この尾張で加藤と言えば、加藤清正が有名だが、そもそもまだ生まれていない。

 その関係者……でもまったくない。


 むしろ関係があるとしたら、徳川家康だ。

 まだちょっと先の話になるけれど、徳川家康が家臣の裏切りに遭い、この尾張で人質生活を送っていた時、その身柄を預っていたのがこの人である。


 まあ、今のわたしにはそんなことはどうでもいいんだけどね。

 彼の名を挙げたのは、別の理由である。


「ほう、なるほどの。こいつを売りさばくつもりか」


 私の申し出に、信秀兄さまが楽し気に口の端を吊り上げる。


 そう、今のわたしにとって重要なのは、彼が熱田を取り仕切る豪商だ、ということだ。

 世知辛いことに、たとえどんなにいい物を作ったとしても、売れるとは限らない。

 販売戦略や販売網、ブランド力などなどが重要となる。


 塾とかも同時並行する必要があるだろう。使い方がわかって初めてその利便性が分かる商品だし。

 そんな諸々を考えると、今の何も持っていないわたしがやるより、熱田一の豪商に取り仕切ってもらってマージンを取ったほうが、はるかに楽だし売れるし儲けが出る、と判断したのだ。


「確かにせっかく作ったのだ。売りたいというのは道理である。だが待て。大名としてそれは容認できん」


 眉間にしわを寄せ、難しい顔で信秀兄さまはわたしのお願いを却下する。


「なぜでしょう?」

「これが広まれば、やがて近隣の大名家にも伝わるじゃろう。今、他家に栄えられては困るのだ」


 なるほど、信秀兄さまは近隣の土地を戦って奪い取る拡大戦略をとっているし、敵が強くなってはそれもおぼつかなくなる。

 それは困るということだろう。

 だが、それはすでにわたしも想定済みの問いだった。


「問題ありません。ソロバンを普及させれば、最も儲かるのは信秀兄さまです」

「ほう?」


 信秀兄さまが、興味深そうに目を光らせる。


「商人たちは目ざといものです。このソロバンの価値を理解し、こぞって手に入れようと集まってくるでしょう」

「じゃろうな」

「ソロバンを身につけるため、尾張に滞在もするでしょう」

「そこで、尾張にさらに金が落ちる、という寸法か」

「しかりでございます」

「だが、それは一年かそこらであろう? 一国の大名たるもの、長い目で見ねばならぬ」

「それも問題ありませぬ。信秀兄さまは熱田、津島と二つの大きな港町を押さえております。ソロバンが普及し商売が盛んになれば、確かに他家にも恩恵はありましょうが、信秀兄さまの利益はそれ以上のものになるかと」

「ふむ。他家に益をもたらしても、相対的にわしのほうが力がつく、か」

「しかり」


 わたしは頷く。


 さすがは信秀兄さまである。こちらの意図をあっさりと理解する。

 打てば響くとはこのことだった。


「……ふむ、筋は通っておるな」


 ふうっ、信秀兄さまも納得してくれたようである。

 良かった良かった。

 せっかく作ったのに、大っぴらには売れないとかなったら泣くわ。


「むしろ通り過ぎておる。弁が立ちすぎる。先に会った時から違和感は覚えておったが、決定的じゃな。とても七つの童の言とは思えん」


「あっ……」


 思わず絶句して二の句が告げなくなる。


 しまったぁ!

 そういえば今のわたしってまだ七歳なんだった。

 しかも数え年だから、実際は六歳、幼稚園年長の年である。


 ついうっかり以前の感覚で話していたけど、これは確かに怪しい。

 てか怪しいを通り越してこれはもう気味が悪い。

 もう少し自重すべきだったか?


「おぬし、何者じゃ? つやではあるまい? 素戔嗚の遣いか? それともそれを語る化け物の類か?」


 信秀兄さまがじっとこちらの目を覗き込み、問うてくる。

 先程までの可愛い姪に向ける優しい目ではなく、鷹のごとく鋭く厳しい乱世を生き抜く戦国大名の目であった。


(どうする? どうする!?)


 向けられた疑いの目に、わたしは必死に考えを巡らせていた。

 これもしかしなくても、けっこうヤバくない?


 ここで化け物だと判断されたら、本物の姫と入れ替わった不埒者として処刑される?

 まさか……また逆さ磔の刑とか?

 いやだ! あれだけはもう二度と絶対ごめんだった。


 わたしは緊張と恐怖からゴクリと唾を飲み込み、慎重に口を開く。


「わたしは、間違いなくつや本人でございます。信秀兄さまの父上、信定の娘の。ただ……」

「ただ?」

八百万(やおよろず)の世界とこちらでは、時間の流れが違うのです。わたしの身体はたしかに未だ七つにすぎませんが、すでにわたしは夢の中で五〇年以上の時を生きているのです」


 今さら神託なんて嘘でーすとは言えないので、とりあえず即興で思いついたことを口にする。

 とは言え、あながち嘘というわけでもない。


 二一世紀の文明は、今の時代から見ればまさに神々の世界のようなものだろう。

 若い肉体に引っ張られているのか心も若返ってる感じはするけど、わたしがすでに前々世、前世と合わせれば五〇歳を超えているというのも確かだ。

 なにより、こういうのはあんまり嘘をつかないほうがボロが出にくいものだし、ね。


「ふむ、五〇年か。にわかには信じられんが、今のおぬしが異質であることは確かじゃ。とりあえず仮にそれが正しいとして、五〇年も素戔嗚の下におったのなら、これ以外にも何か教えてもらっておるのではないか?」


 言って、ジャラジャラっとソロバンを振りながら、信秀兄さまはじっと探るようにわたしの目を見据える。


 ううっ、完全に見透かされてるような気がする。

 これは後々のためにも、下手に言い逃れはしないほうがいいだろう。


「はい。左様にございます。まだ人が知り得ぬものをいくつかお教え頂いております」

「ふむ、たとえば?」

「しいたけの栽培法などでしょうか」

「ほう!」


 信秀兄さまが興味津々にその目を輝かせる。

 このあたり、熱田と津島の経済力を基盤にのし上がっただけに、利に敏い。


 椎茸といえば二一世紀では一パック二〇〇円、安い時には一〇〇円で売られていたりする安価な大衆食材だが、この時代ではまだ栽培法が確立しておらず、二一世紀における松茸並の高級食材なのだ。

 前世で普通に一般庶民の食卓にポンポン出てきたときにはびっくりしたものである。


「吹かしではあるまいな?」

「誓って」

「他にもなにかあるか?」

「あるにはありますが、言葉では説明しがたく。実際に作ってお見せするほうが早いかと」

「どれぐらいかかる?」

「さすがにすぐというわけには。それなりの広さの土地と人手、相応の先立つものも必要ですし」


 ソロバンであれば又右衛門さんのところで受注生産してもらえばいいし、しいたけぐらいであれば、その辺の軒先でそこそこ大量生産も可能だが、例えば火薬とかになるとそうはいかない。


 火薬の原料である硝石の生成には糞塚を作る必要がある。

 まあ、あんな危険なもの、作る気ないけど。


 とりあえずはソロバンやしいたけを売って、そのお金でどこかに土地を借りて、って感じかな? いったいどれだけかかることやら。


「ふん、なるほど。もっともである。よかろう。つや、貴様に五〇貫ほどの土地を与える。別途、当座の資金として銭一〇〇貫文もつけてやろう」

「……へ?」


 わたしの口から、なんとも間抜けな声が漏れる。

 今このひと、なんて言った?


「なんじゃ、これではまだ足りぬと申すか?」

「い、いえいえいえいえ! じゅ、十分にございます! ま、まさかそんなに過分の物を頂けるとは想像しておらず……」

「ふん、このソロバンとやらは、なかなかの品じゃ。シイタケも興味深い。他にもあるというのなら、投資してみるのも悪くないと思ったまでじゃ。大した額でもないしな」


 いやいやいやいや!

 五〇貫の土地って石高で言えば一〇〇石、現代貨幣価値にすれば年商六〇〇万円ですよ?

 それに加えて当座の資金として一二〇〇万円!

 とんでもない額でしょ、どう考えても!?


 ……まあでも一国の大名としてみれば、決して高くもない、か。

 今の信秀兄さまはその所領の貫高だけを観ても七万貫、さらに別途津島や熱田から上がってくる金は一三万貫を越えるという。

 計二〇万貫、現代貨幣価値にするとなんと年商二四〇億円!


 そんな信秀兄さまからすれば本当にこの程度、端金に過ぎないんだろうな。

 う~ん、経済感覚が違い過ぎる。


「だが、ただでやるつもりはないぞ」


 あ、やっぱり。

 そんな甘くもないですよね。


 いったいどんな条件を突きつけられるやらとわたしが戦々恐々とする中、信秀兄さまはピッと指を三本立て、


「三年じゃ。三年以内にこのソロバン並みのものを三つ用意せよ。一つも作れなければ領地は召し上げじゃ。逆に結果を出せば、加増も考えよう」

「へ……?」


 た、たったそれだけ?

 な~んだ、その程度か。ビビって損した。


「なんじゃ、さすがに難しいか?」

「い、いえ! か、必ずやご期待に応えてみせます! 頑張ります!」


 慌ててわたしは声を張り上げる。

 こんだけの資金に三年もあれば十分すぎるぐらいに勝算あるし、これを受けない手はなかった。


 こうしてわたしは七歳にして領主(仮)になったのである。

ここまで読了ありがとうございます。

これにて短編版は終了。

つやちゃんは領主として、順調に立身出世し、楽しく人生を謳歌しましたとさ。


もし続きが読みたいという方がおられましたら、連載版のほうか、

3/14に発売される書籍版をお買い上げください。

月戸先生の美麗イラストによるつやちゃんの華麗な衣装などが堪能できます。

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