闇に光る
昭和の頃は、お盆になると必ずと言っていいほど、妖怪に幽霊や怪奇現象を扱った2時間番組が放送されていた。
大人になった今なら平然としたものだが、子供の頃は恐怖に怯えながら見ていたものだ。
田舎では墓が墓地ではなく、自宅の間近に建てられている事がある。
工場を経営していた親の実家もその例に漏れず、住宅併設の工場横に墓がある。
工場といっても、木材の骨格にトタン板を貼った築何十年か分からない「こうば」で、出荷に使う扉は木製で、子供の力でも簡単に開くものだった。
両親と3人で墓を参ったあと、「ちょっと挨拶してくるから」と私を工場の前で待たせて、住宅の玄関へ向かった。
大人にとっての「ちょっと」は子供にとって長いもの。早く帰ってテレビを見たいのに、玄関の方向から聞こえてくる会話は終わりそうになく、ただ待つ私は徐々に飽きてきた。
「何か適当な暇つぶしはないかなー」
振り返ると観音開きの工場の扉が目に入る。
大人達の会話は終わりそうにないし、ほんの少し覗くだけなら見つかることは無いだろうと考えて、片方の扉に手をかけ手前にゆっくり。30センチから40センチ程度開いて中を覗き込む。
照明の消えた工場内は真っ暗で奥まで見通す事は出来なかったが、そんな事はどうでもよかった。
中空に光るものがあったからだ。
キラキラ光る6つのそれは、じっと動く事なく私に向いていた。
墓参りに出るまで見ていた怪奇番組を思い出し、「お化けか他の何かか!」と震えて扉を閉める事も出来ず、私もただ向き合い続ける。
どれくらい経ったのか、目が闇に慣れてきた。
気のせいか光の輝きも鈍く見えてくる。
こうなると少しは心に余裕が生まれるもので、扉を閉めようとの思いより、正体を見極めたい思いが強くなる。
じっと見るうちに正体が分かった。
猫だ。3匹の猫が製造機械の上に腰を下ろして、私を見ているのだった。
テレビや図鑑以外で猫を目にしたのはこの時が初めてであり、私の心から恐怖が消え去ると共に少しガッカリもした。
いまだに身動きせず互いに見つめ合うが、私は猫達の視線を断ち切るため、そっと扉を閉ざした。