第8話 馬に乗った時の視界って全然違くてびっくりする
ゴブリンさんと芝狼さんが共に暮らし始めて一週間ほどが経過した。
芝狼さん達の子育てはとても順調だ。
芝狼の子供は種で生まれてくると、長さんが言っていたが、実際にその眼で見ると、想像以上に奇怪な光景だった。
ゴブリンさんたちの洞窟の奥に植えられているのは、自分の身長ほどもある巨大な植物だ。バナナのような極太の草本で、その先端部分に直径三十センチほどの緑色の果実が一つだけなっている。
この果実の中に、彼らの子供がいるらしい。
果実の中には彼らの子供が育つための栄養も含まれているらしく、それを吸収して子供たちは育ち、やがて果実を破って出てくるんだとか。
なんとも摩訶不思議な生態だ。
ちなみにこの果実が、他の魔物たちにとっては非常に美味なご馳走らしく、食べられないように常に彼らは神経をとがらせる必要がある。
しかし、今回はゴブリンさんたちの巣穴を利用しているため、外敵から襲われる心配は一切ない。
ちゃんとゴブリンさんたちにも果実を食べないように言い含めてあるので安心だ。
まあ、それぞれの群れに事情を説明するには大変だったが、結果は上々である。
最初はギスギスしていた双方も、意外とあっさりと打ち解けることが出来た。
自分が間に立って、それぞれの言葉で説明することで、溝を解消できたのが大きいと思う。
言葉が通じないってのは、やはり想像以上に両者の壁を深くしてしまうのだろう。
やっぱり会話って大事。
「で、ではよろしくお願いします……」
そして自分は今、とても緊張しながら、一匹の芝狼さんの背中に乗っている。
「それじゃあ、人間いっくよー!」
「は、はいっ」
「それー!」
「う、うわぁあああああああああああああああああ!?」
一気に加速する芝狼さんのスピードに自分はもうついていく事すら出来ない。
手綱代わりの蔦を離すまいと必死。それでも圧倒的なスピードが生む空気抵抗は三十代を目前に控えたアラサーのお肌をこれでもかと直撃する。寒い。というか、痛い。皮膚が削れるという感覚をリアルに味わい尽くす。こんなの知りたくなかった。
「あっ――」
と、思っていたら手を離してしまった。
それでも安全策として腰に巻きつけられた蔓が自分が振り落されるのだけは守ってくれる。
しかしそれは振り落とされないと言うだけで、空気抵抗が消えたわけでも、ましてや体の自由が効くわけでもない。
芝狼さんの背中で、万歳状態でぶらぶらである。
ああ、景色が矢のように飛んで――。
「――おごっふっ」
木の枝に激突。
手綱さえ握っていれば、避けられたかもしれない危険物に、自分は気を失った。
「人間? おーい、人間。だいじょうぶー?」
「…………」
結果、自分は気を失ったまま、しばらく芝狼さんに運ばれることとなった。
おでこに出来た大きなこぶを冷やしながら、ついでに汚れも拭く。
「ハァ……ハァ……死ぬかと思いました」
「人間、全然うまくならないねー」
「面目ありません……」
もうお分かりかと思うが、自分がさきほど行っていたのは、芝狼の騎乗訓練である。これが滅茶苦茶難しい。そもそも普通の乗馬ですら経験なんて全くないのだ。なんというか、生き物の上にまたがるだけでもめっちゃ緊張した。
それでいて初めて乗った時の視界はすごく高くて、なんか感動した。壮大さが増すというのだろうか。自分が見ている景色がすごく綺麗になった気がした。
そして次の日は予想通り筋肉痛になった。おまたとお尻がすっごい痛かった。
普段使わない筋肉を使ったって感じがする。
そんな感じで騎乗訓練を行うこと数日、上達の見込みは未だ見えない。
「もう少し、速度を緩めて貰えると助かるんですが……」
「……あれでも十分、加減してるんだよ。本当なら、ほら」
芝狼さんはある方向に目を向ける。
そこには別の芝狼さんに乗ったゴブリンさんの姿があった。
「はぁ! ハイヤアアアアア!」
「ふはははは! いいぞ! 良いスピードだ! 俺様に続けえええええええええ!」
「うっほ! うっほおおおおおおおおおおう!」
「あははははっ! これ、とっても楽しいわねぇー!」
マッチョゴブリンさんたちを乗せた芝狼は凄まじい速度で走り回っていた。
たぶん、あれ、自分が乗っていた時の倍……ひょっとしたら三倍近くのスピードが出てるかもしれない。
「ボクも早くあれくらいのスピードで走りたいなぁ。体が鈍っちゃうよ」
「も、申し訳ないです。もう少しだけ我慢して頂ければ……」
「いいよ。人間には借りがあるし、これくらいは付き合ってあげる」
芝狼さん、とてもいい獣さんである。
「あ、そう言えば、芝狼さんたちには名前はあるのでしょうか?」
ふと気になったので、訊ねてみた。
すると芝狼さんは、頭に「?」を浮かべるような感じに首をひねる。
そういう可愛い仕草、ギャップがあるから凄く良い。無条件でモフモフしたくなる。前にたてがみや尻尾を撫でさせてもらったがあれはいいものだ。また触らせてもらいたい。とても癒される。
「なまえって何?」
「我々一人一人を識別する単語みたいなものですよ。ちなみに自分は井口総助と申します」
「イグチ・ソースケ。ニンゲンはイグチ・ソースケっていうのか。じゃあボクは何って言うの?」
「なにと言われましても……。例えば、親や群れの長から名付けられたりはしないのですか?」
「ないよ。長はみんなから長って呼ばれてるから長が名前になるの?」
「それはどちらかと言えば、身分を示す単語ですね……」
「ふぅん……」
どうやら彼らには名前って文化そのものがないみたいだ。
「ちなみに自分を呼ぶときはソウスケで構いませんよ」
「イグチソースケが名前じゃないの?」
「そうなのですが、親しい者には名前全てではなく、愛称や略称だけで呼ばせるという風習もあるのですよ。その方が呼びやすいですしね」
「……ボクとソースケは親しいの?」
「……少なくとも自分はそう思っております」
そう言うと、芝狼さんはブンブンと尻尾を振った。
「ボクもソースケ好きだよ! 嬉しいな! あ、そうだ! じゃあソースケがボクに名前を付けてよ! いいでしょ?」
「え? じ、自分がですか?」
「うんっ。はやく、はやく!」
「そう言われましても……うーん」
いきなり名前を付けろと言われても、どんな名前を付ければいいものか?
「……ん?」
考えていると、ふと視界の端にある植物が目に留まった。
どうやらこっちの世界にも、これは存在しているらしい。
「これ蒲公英ですか。綺麗な花が咲いてますね。こっちの世界にもあるとは驚きです」
「へぇー、これタンポポっていうんだ。ボクもこれ好き」
芝狼んさんもタンポポがお気に入りのようだ。
「あ、それではタンポポというのはどうでしょうか?」
「タンポポ……」
「あ、勿論、嫌であれば別の名前を考えますが」
「いや、すごくいい。うん! 決めた! 今日からボクはタンポポだ!」
芝狼さん改め、タンポポさんは嬉しいのか、尻尾をぶんぶん振っている。
どうやら気に入ってくれた様子。
ちなみに後から知ったのだが、彼らの尻尾は植物で言うところの根っこに当たるらしい。
「あら? ニンゲンどうしたの? そっちの芝狼、すごく嬉しそうだけど?」
すると、自分達の様子が気になったのか、女性のマッチョゴブリンさんとその芝狼さんがこちらに近づいてくる。
「おい聞いてくれ! 今日からボクの名前はタンポポだ! ボクを呼ぶときはそう呼んでくれ!」
「タンポポ……?」
「そうだ! ボクはタンポポだ! へへーん♪」
タンポポさんは仲間の芝狼さんに凄く嬉しそうに自分の名前を報告している。
「名前一つでそんな大げさな……」
「あら、なんかずいぶん楽しそうなことしてるわねぇ。ニンゲン、名前ってなぁに?」
女性のゴブリンさんが訊ねてくる。
タンポポさんにしたのと同じ説明をすると、彼女も興味津々になって顔を輝かせた。
「じゃあ、ソースケ! 私にも名前を頂戴! いいでしょ? ね?」
「え、いや、それは、その……」
「なによぉ。その芝狼は良くて、私は駄目なの? ねぇ、良いでしょう?」
女性のゴブリンさんは体を密着させてくる。こういうおねだりって人間でもゴブリンでも変わらないんだな。胸がとても豊かで、それでいてとてもマッスルしている。理想的な硬さと柔らかさかもしれない。つまりナイスバルク。
「なんだなんだ?」
「何かあったのですか?」
「うっほ、うほー?」
すると他のマッチョゴブリンさんらもやってくる。
同じ説明をすると、同じように皆が名前を欲しがった。
……自分で考えた方がいいのでは? と思ったが、この感じだと言わない方がいいのだろう。
というわけで、マッチョゴブリンさんらと芝狼さんの名前を考えることになった。
あとがき
芝狼さんの子供はダンジョ◯飯のバロメッツみたいなイメージです
つまりカニ味