第5話 筋肉ってやつは困ってる相手を見過ごせないんだ
崖の下にうようよ居る緑色の生物を見つめる。
「あれは……?」
「芝狼と呼ばれる魔物だ」
「しばおおかみ……? あれ、狼なんですか?」
「魔物だ。アイツラは普段はおとなしいが、繁殖期になると餌を求めて他の魔物に襲い掛かる。数が多く、前は我々の群れも被害に遭っていた」
「それは大変ですね……」
「だが今の我々なら勝てる。この肉体なら負けるはずなどない
でも人間を守りながらだとちょっと厳しいかもしれない」
「それは……」
確かに自分には戦う力はない。芝狼とやらにとっては格好の獲物だろう。
……いやだ。獣に食われて死ぬとか絶対に嫌だ。
「それに芝狼は森を豊かにする。なるべくなら相手をしたくない」
「森を豊かにする?」
「さっき朝食で食べた果物も芝狼がいないと実らない。アイツラの存在は森の実りに欠かせない」
「ほほぅ、なるほど……」
いわゆるミツバチみたいに植物の受粉する役割的なやつか。益虫ならぬ益獣みたいな。
「人間、すまない。でも約束は守る。もう少しすればアイツラ大人しくなるから、その時に森から出してやる」
「いえいえ、そんな。こちらの都合ですのでお構いなく。……ちなみにどれくらい先になるんでしょうか?」
ゴブリンさんはちょっと気まずそうに目を逸らした。
「……人間の時間で二カ月くらい」
「おっふ……」
それはまた結構な長さである。
二か月……二か月かぁ。長いなぁ……。いや、でも今は彼ら以外に頼れるアテもないのも事実。
こんな訳の分からない世界で、自分の話を聞いてくれた存在だ。
そのくらい我慢しますとも。
まあ、それに二か月もあるなら、自分も筋トレでもして筋肉を付けよう。やはり大事なのは筋肉なのだから。
『――タ……』
「……ん?」
今、なにやら声が聞こえたような……?
「どうした人間?」
「いえ、今何か声が……。空耳でしょうか?」
『――イタ。オ腹空イタ……』
あ、空耳じゃない。今度はよりはっきりと聞こえた。
きょろきょろと周囲を確認するが、ここに居るのは自分とゴブリンさんだけである。
『オ腹空イタ……。土ノ栄養ダケジャ全然足リナイ。獲物モ少ナイ。コレジャ子供作レナイ……。困ッタ。ドウシヨウ。オ腹空イタ……困ッタ』
今度は先ほどよりもはっきりと、なんというか、崖の下の方から聞こえた気がする。いや、気がするじゃない。これ聞こえる。崖の下から声が聞こえてくる。
「……」
もう一度、丘から森を見下ろす。そこには無数の芝狼の姿。
そして先程から、聞こえてくる声の内容は、ゴブリンさんが話してくれた内容と一致する。
『………す、すいませーん。この声って、ひょっとしてアナタ達の声ですかー』
「お、おい、人間! 何をしている」
ゴブリンさんが驚く。自分でも驚いている。自分は何をやっているんだろう?
やまびこでもする感じに、口に手を当てて、芝狼さん達へと声を掛けてみると反応があった。
『! 聞コエル。コノ声、誰……? 仲間ノ声ト違ウ……?』
一匹の芝狼がこっちを見た。
あ、こうして見ると確かに狼っぽい。色は緑色だけどすっごく狼。つまり怖い。
『獲物! 獲物ガ居ル! 皆! アイツラ喰ッテ栄養ニスルゾ!』
『え、いや、ちょっと待っ――』
『『『『ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』』』』
芝狼たちが一斉にこっちを見た。
ガリガリとその爪を立てて、崖を登ってこようとする。
だが流石に垂直の崖は登れないのか、普通に落ちる。
よ、よかった。普通に登って来られたらどうしようかと思った。
『登レナイ……』
『オ腹空イテ力出ナイ……』
『ウゥ……スグソコニ獲物居ルノニ……』
芝狼たちは自分を食べれないと分かると、すごくがっかりしている。尻尾がだらーんってなってる。その仕草がちょっとだけ可愛い。ほんのちょっとだけ。怖いけど。
『あ、あのー、話を聞いてもらえませんかね?』
自分が声を掛けると、先程最初に反応した芝狼が上を向く。
『話ッテナニ?』
『他の生き物を襲うのを止めて頂けませんか?』
『別ニ食ベタクテ食ベテルワケジャナイ。栄養足リナイト子供作レナイカラ食ベテルダケ』
『つまり別の栄養さえあれば他の生き物は襲わなくてもいいと……?』
『ウン。デモコノ森、魔力ハ多クテモ、栄養ノアルモノ少ナイ。ダカラオ腹スク。子供作レナイ。子孫残セナイ……困ッタ』
ゴブリンさんといい、この芝狼さんらといい、ちゃんと子孫を残そうと頑張っている辺り、自分なんかよりずっと凄いと思ってしまう。
未だに独身のアラサー野郎は、結婚とか子供とかそういうのに弱い。
あと動物園とかの出産ニュース。
カワウソの赤ちゃんが生まれたとか、ああいうの凄く好き。
朝の仕事へ行く前の憂鬱な自分は、ああいうニュースで癒されるのだ。
それにしても栄養のあるものか。
……栄養。
頭に浮かんだのはあの栄養補助食品。
ふと、これひょっとしたらまたアレが活躍するんじゃないだろうか?
「あの……栄養になるものが必要であれば力になれるかもしれませんよ?」
――そう、プロテインである。