第35話 マッスル同士は引かれあう
赤い雨がやむ。
ホオズキが後ろを見れば、アセビが不満顔で彼を見ていた。
「ちょっとちょっとぉ~、一人で大物仕留めちゃうなんて。ズルいわよぉ。まだナズナたちも合流してないのにぃ~」
「すまんな。だがあの三匹は最初に潰しておかねば、後々厄介なことになると思ってな」
ちらりと、ホオズキは残りの魔物の群れを見る。
明らかに委縮していた。
圧倒的なまでのホオズキの力が、魔笛によって増幅された彼らの破壊衝動を上回ったのである。
とはいえ、それでも魔物たちは止まる事はないだろうが、格段に戦いやすくはなるだろう。
「アセビ。ナズナたちと合流し、残りの魔物掃討をしろ。我は残る大将を仕留める」
ホオズキの視線の先。
そこには真っ黒な肌の一つ目の巨人が居た。
名をサイクロプス。
ホオズキと同じく三等級に分類される魔物である。
「カハハッ……」
先ほどの戦闘を見ても、サイクロプスの闘志は些かも衰えてはいなかった。
それを見て、アセビは凶悪な笑みを浮かべる。
「あらぁ、生きが良いのが残ってるじゃないの。ねえ、こっちを私に譲ってよぉ?」
「駄目だ」
「えぇー、どうしてよ?」
「コイツはお前では勝てん」
「……」
そう断言され、アセビは少しだけ目の色を変える。
「……それだけの相手?」
「うむ、少々本気を出す。だから、お前にはナズナたちと共に、他の魔物掃討に当たって欲しいのだ」
「……周りに被害が出ないようにね。分かったわ」
やれやれと、アセビは肩をすくめる。
ホオズキが一歩前に出ると、サイクロプスも前に出た。
「……」
「……」
互いににらみ合う。
両者の張りつめた空気に、魔物たちも固唾をのんで見守る。
先に動いたのはホオズキだ。
すぅーっと息を吸い込み、集中。全身に魔力を巡らせ、一気に解放する。
「ハァッ!」
胸の厚みを大胆にアピールするマッスルポーズ。
サイドチェストだ。
おぉ、と魔物たちからどよめきが走る。
キレてる! 実にキレている! はち切れそうな大胸筋!
「ッ……!」
サイクロプスも思わずうなる。
見事な筋肉だった。
ならばこちらも相応の対応をするまで。
サイクロプスもまた全身に魔力を巡らせ解放。
「ゴァァアアアアアア!」
両腕を掲げ、上腕二頭筋をアピールする
大腿四頭筋、カーフの質感も見事。
ダブルバイセップスと呼ばれるマッスルポーズだ。
「ぬぅ……!」
これにはホオズキも思わずうなる。
敵ながら見事だ。
くるりと背筋を見せれば、背中に羽がついているかのよう。
空でも飛べそうだ。実に仕上がっている。
「ぬぅ、これは……!」
「がっはっは! すでに始まっていたか!」
「うっほうっほ!」
ここでナズナたちが合流する。
本来の指示であれば、すぐにでも魔物の殲滅に移る予定なのだが、それどころではない。なにせ敵の大将とこちらの大将が一騎打ちで筋肉を競っているのだ。
この状況で手を出すのは余りにも無粋。その証拠に、魔物達や傷付いたエルフたちですら成り行きを見守っている。
マッスル同士は惹かれあう。そこには敵味方も、種族も、言葉の壁も関係ない。
ただ筋肉だけがあった。
「父上ー! キレてますよー!」
「仕上がってるぞー!」
「うっほうっほー!」
仲間の応援。
その声が、筋肉の力となる。
「ぬぅぅぅん……ハァッ!」
ホオズキ、ポーズ変更。
フロントラットスプレット。
背中の筋肉を左右に広げて横幅を強調するポーズだ。
美しきはその三角筋の完成度。ビューティフォゥマッソゥ(巻き舌)。
「ッ……!」
サイクロプス絶句。
その筋肉に見惚れてしまった。
思わず後ろの魔物たちを見る。
声援だ。声援を掛けろ! デカい目がそう言っていた。
しかし魔物たちは「いやぁ、あれは無理っすわ」と言わんばかりに視線を逸らす。
それ程までにホオズキの筋肉は見事だった。
勝負あった。筋肉対決はホオズキに軍配が上がる。
「ふぅー……、よい勝負だった。では戦うか」
「ゴァ……」
という訳で、今度こそ真剣勝負。
それに合わせて、ナズナたちも魔物の軍勢へと向かってゆく。
筋肉が終われば、そこにあるのは元通りの敵か味方。
次は拳で語り合うのである。
今の勝負は必要だったのかと問われれば、勿論答えは是。
何故なら筋肉とは常に張りつめているからだ。
――一方その頃、世界樹の広間にて。
「……静かですね」
「そうだなぁ……」
自分はモエギさんと共に、大人しくしていた。
今頃、外では魔物と激しい戦闘が行われていることだろう。
「ホオズキさんたち大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろ。外にナズナさんたちも待機させてたっていうし」
「流石、ホオズキさんですよね」
自分は全然気づかなかったが、ナズナさんたちは常に一定の距離を保って自分達を護衛していたらしい。あの空に石を投げたのは、ナズナさんたちへの合図だったのだ。
「むしろ、敵にめっちゃムキムキなヤツが居れば、お互いに筋肉競い合ったりしてるんじゃねーか?」
「流石にそれは無いでしょう……。不謹慎ですよ」
戦場で開かれるボディビル大会とか意味不明すぎる。
自分達を守るために命懸けで戦ってくれているのだ。
流石にそれは無いだろう。
「はは、だよな。わりぃわりぃ。でもアタイもプロテイン飲んでから妙に筋肉が気になって……ん? 誰か来るぜ?」
「おや……?」
扉が開かれる音がした。
見れば、神官服を着たエルフが一人入ってきたではないか。
「おお、救世主様、こちらに居られましたか。探しましたぞ」
「どうかしたのですか?」
「クレマ女王から指令を預かってきました。救世主殿をより安全な場所へ移動させよと。さあ、こちらへ」
「……?」
その言葉に、自分は違和感を覚える。
クレマさんはここがこの里で一番安全な場所だと言っていたけど……?
「安全な場所ってどこだよ?」
モエギさんが質問をする。
……ん?
「この神殿には強力な結界を張った部屋があるのですよ。世界樹の容態が安定しない今は、ここよりも安全です」
「ふぅん……そうなのか。それじゃあ――」
「モエギさん、待って下さい」
そちらへ向かおうとしたモエギさんを自分は手で制する。
「どうしたんだよ?」
「その男についていくのは危険です。……今、この男性の言っている言葉がモエギさんにも分かったんですよね?」
「ああ。だって王国語だったし――あっ」
自分の言葉に、モエギさんも気付いたようで表情が変わる。
そう、この里で使われている言語はエルフ語か古代エルフ語だけ。
ガネットさんのように他種族の言葉が使える人もいるだろうが、わざわざモエギさんに合せて王国語を使う理由がない。
だって自分を通せば、それで済む話なのだから。
なのにこの男はエルフの言葉を使わなかった。
もしくは使えなかったのか。
自分達が距離を取ろうとすると、エルフの男は観念したかのように溜息をつく。
「……成程、聞いていたよりも頭の切れる御方の様だ」
次の瞬間、どろりと、男の輪郭が歪んだ。
黒い霧のようなモヤが発生し、男の体を覆いつす。
やがて霧が晴れると、そこには先程までの神官服のエルフの姿はなく、灰色のローブを纏った若い男が立っていた。
魔法で姿を変えていたのだろう。
「……サフランさんが接触していたという外部の人間、ですか?」
「ほぅ、そこまで知っていたとは。流石、稀人」
あっさりと男は認める。
いや、その程度、ばれても構わないということか。
男はいやらしい笑みを浮かべ、自分へと距離を詰めてくる。
「稀人イグチ・ソースケ殿。共に来ていただきますよ。我ら――転生信仰会の元へ」
なんか聞いた事がない組織名が出てきたぞ。
しかし男の纏う雰囲気はどう見ても友好的な感じじゃない。
いつの間にか手には、魔法使いが持っているような捻じれた杖が握られてる。
どうしよう。これ、控えめにいってもかなり大ピンチな予感。




