第32話 サフラン焦る
世界樹さんの意外すぎる名前が判明した。
マッスール・ジムトレイニーさんというそうだ。
……いや、なんで?
「……えっと、その、とても個性的で素敵なお名前ですね。あ、申しおくれました。自分は井口総助と申します。よろしくお願いします」
『イグチソースケ、ですか。クレマの祈りから貴方の名前は知っていましたが、稀人とは確かに独特の名前を持つのですね。素敵な名前……ふふ、ありがとうございます。この名にとても誇りを持っているので、そう言って貰えると嬉しいです』
名前を褒めらて世界樹――マッスールさんはとても嬉しそうな声を上げる。
自分からすれば世界樹さんのマッスール・ジムトレイニーの方がよほど独特だと思う。
でも、ここは異世界。自分の居た世界とは違うのだ。
少数派は自分なのである。
……変な名前って言わなくて良かった。
『感謝しますイグチソースケ。貴方の秘薬――ぷろていんのおかげで、弱っていた私は、こうして意識を取り戻すまでに回復できました』
「それは良かったです」
とはいえ、まだ完治はしていようだけど。
『クレマになんとか最後の力を振り絞って予言を授けた甲斐がありました』
「予言を?」
『はい。クレマに予言を授けているのは私です。あの子の固有魔法は正確には『予言』ではなく『世界樹との交信』なのです』
「ほほぉ……。となると世界樹さんは――」
『マッスールと呼んでください』
「……マッスールさんは予言が使えると?」
食い気味に名前を呼んでほしいマッスールさん。
『はい。もっともワタシが予知できるのは己とエルフに関することだけですがね』
「その力で、黒腐病を予防することは出来なかったんですか?」
『……病に侵されることは分かっていました。何故病に罹るのかも。分かっていても防ぐことは出来なかったのです。……ワタシは信じたかったから』
マッスールさんはどこか悲しそうな声音でそう語る。
『何故なら、ワタシを黒腐病に罹らせた者は――エルフだからです。その者はワタシのウロに特殊な毒を流し込み、黒腐病を発症させました』
「え?」
意外過ぎる事実に自分は面食らう。
だって世界樹はエルフの根幹だと、クレマさんもガネットさんも言っていた。
ならばその世界樹を病気にかからせるなど、自滅するようなものだ。
そのエルフはいったい何故、そんな馬鹿な事をしたのだろうか?
「いったい何故、そんなことを?」
『……分かりません。ワタシは長い生の中でこの予知だけは信じたくなかったのです。まさか我が子も同然のエルフにそんなことをする者が居るなんて思えなかったから。己が病に罹った時、私は絶望しました』
「それは……心中お察しします」
マッスールさんの悲しい声に、自分は相槌を打つ。
手に持ったプロテインも心なしか悲しんでいるように見える。
『イグチソースケ、お願いがあります。そのエルフを止めてくれませんか?』
「止める……?」
『彼はきっと外部の者に騙されているのです。彼が更なる凶行に及ぶ前に、貴方と仲間の力で彼を止めて欲しいのです』
「何故、そんなお願いを自分に? クレマさんやガネットさんでは駄目なのですか?」
『いいえ、彼女達では駄目なのです。だからアナタにお願いしているのです』
そんなことを言われても自分たちに何かできるとは――いや、ホオズキさんたちなら出来るかもしれないけど。
でもいったい誰が何を企んでいるというのだろうか?
「その人物は誰なのですか?」
『ええ、お教えします。彼の名は――』
――サフランは焦っていた。
クレマ女王が予言を授かった日から、いつかはこの日が来ると思っていた。だが、それは彼の予想よりもずっと早かった。
「くそっ、くそっ、くそっ……まずい。このままではまずいぞ……」
クレマ女王の予言は絶対だ。
その予言は必ず的中する。
間違いなく世界樹の病気は、あの人間達の手によって完治するだろう。
それは本来であれば喜ぶべき事だ。
しかしサフランには素直に喜べない理由があった。
「くそっ、捜索班の無能共め……! 何故、ガネットより先にあの人間を見つけれなかったのだ……! 我々が先に見つけていれば、いくらでも手を打てていたものを……。このままでは我々の計画が……どうする?」
彼の計画では世界樹を治療するのは、あと半年は先の予定だった。
クレマ女王の予言は必ず的中するが、その『時期』までは定かではない。
予言の内容が成就するのは早ければ数か月、遅ければ数年ということも珍しくなかった。
だからこそ、サフランもそこまで焦っていなかったのだ。
そもそも予言の人物が早々簡単に見つかるとは思っていなかったのも大きい。
なにせ最果ての森は広大だ。
その中から件の人物を探すなど、砂漠の砂粒を一つ一つ確認するようなものだ。
それがまさか予言を受けてから僅か一ヶ月も経たずに見つけ出すなど、誰が予想出来ようか。
「ガネットめぇ……! 普段はド変態の変わり者のくせに、何故こういう時だけ無駄にその優秀さを発揮するのだ……!」
ガネットはエルフの中でも優秀だが、とびきりの変わり者でも知られていた。
見え見えの罠に引っかかったり、何もないところでこけたり、その奇行にはいとまがない。
だが、エルフの中でも数少ないクレマ女王が心から信頼を寄せる人物でもある。
「なんとか世界樹の治療を遅らせるように女王陛下へ進言せねば……!」
ガリガリと親指の爪を噛みながら、必死に考えをめぐらすが、良いアイディアは浮かばない。
本音を言えば、今すぐにでもあの人間達を始末したい。
だが、この状況で騒ぎを起こすのは愚策すぎる。
『――どうした? 何を焦っている?』
サフラン以外誰もいないはずの部屋に声が響いた。
だがサフランは慌てる様子もない。
その声は、彼の机の上に置かれた水晶から発せられていた。
「……マズイ事になった。予言の人物が見つかった。このままでは、我々の計画は大いにくるってしまう」
『お前の話ではまだ半年は先だったのではないか? まさかすぐに見つかるはずはないと高をくくっていたのではあるまいな?』
「ッ……」
まさに図星を突かれ、サフランは渋い顔をする。
水晶から僅かに舌打ちをする音が聞こえた。
『まあいい。それなら計画を変更するだけだ。今から指定する場所へ向かえ。そこにある魔道具を隠してある。それを使え』
「……どんな効果なのだ?」
『使えばわかる。安心しろ。万が一にも、お前の身に危害が及ぶような代物ではない。どの道、お前に選択肢などない。いいな』
「……分かった。場所を教えてくれ」
そしてサフランは指定された場所へと向かった。
彼が去った部屋で、水晶が僅かに怪しく光った。
『……役立たずが。まあいい。精々、最後に役に立ってもらおうか……』
その声がサフランの耳に届く事は無かった。
世界樹の広間にて――。
なにやら奇妙な気配を感じ、タンポポは首をひねる。
「――んー……?」
「どうした、タンポポ?」
「今、なんか変な感じがした気がして」
「世界樹からか?」
「いや、なんかもっと別のところからかな? いちおう、ボクからも伝えておくねー」
「ああ、そうしてくれ」
「二人ともぉ、話はそれくらいにしなさいよぉ。ソースケが頑張ってるんだから」
アセビに窘められ、ホオズキとタンポポもソースケが居る世界樹のウロへと視線を戻す。とはいえ、その表情に緊張の色はない。
これまで幾度となく魔物たちを強化し、病気を払い、全てを解決してきたプロテインである。
彼らはその効果に絶対の信頼を置いていた。
無論、それを扱うソースケにも。
「でもなんかいつもよりも長引いてない?」
「そうねぇ……。いつもならすぐにこう、ぐあーってなるわよねぇ」
「かっとなってぐあーだよな。アタイもじーちゃんもそうだったし」
アセビとモエギは当時を思い出して、何故かマッスルポーズをとる。
タンポポもついでにコロンと転がった。へそ天。特に意味はない。
「――ぇ? はぃ……ました……ぇぇ……」
ポーズをとっていると、ウロの方からソースケの声が微かに聞こえてくる。
「……? ソースケは誰と話をしているのだ?」
「女王様じゃないの?」
「いや、女王様ならそこに居るぜ? ガネットも一緒に」
つまりウロの中には今、ソースケしかいない。
ならば彼は今、誰と話をしているのか?
「……魔力は感じないわねぇ」
「女王の予言が関係してるのだろうな。しかしそうなるとソースケと話をしているのはもしや……」
気にはなるが、ウロに近づいてはいけないとのお達し故にここを動く事は出来ない。もどかしさがマッスルポーズとなってあふれ出る。はい、サイドチェスト。
「あら、良い筋肉の張りね」
「流石、ホオズキの旦那だな」
アセビとモエギも手持ちぶたさから、再びマッスルポーズ。
ついでにタンポポももう一回、へそ天。特に意味はない。
「ガネットよ、彼らのあのポーズはいったいなんなのじゃ?」
「……分かりません。しかし見ていると妙に心が熱くなるのを感じます」
「うむ。あとでソースケ殿に訊ねてみるとするか」
彼らのマッスルに、エルフが引っ掛かってしまう。
マッスル同士は惹かれあう。彼女達の心のマッスルが反応してしまったのだろう。
そんな感じで時間が過ぎ、やがてその時はやってくる。
――どくん、と。
世界樹が大きく脈打ったのだ。




