未来よりあなたを裁く
その日、私は普段と同じように絵を描いていた。
人々が笑う絵を。
見ているだけで幸せになれる絵を。
少なくとも、それを目指していた。
そんな私のアトリエの扉が突如乱暴に蹴破られた。
悲鳴さえもあげられないまま呆然とそちらを見ると、黒いコートに身を包んだ一人の男が私の部屋の物を踏み抜けながらこちらへとやってくる。
「なんですか?」
こちらを睨みつける男に対して私が言えたのはたった一言だけだった。
その問に返事はなく、代わりとばかりに私は彼に思い切り殴り飛ばされる。
絵の具が辺りに飛び散り無残な色に変わり、そして私が描いた人々の笑顔を汚した。
「何をするんですか!?」
痛みよりも速く疑問が口を飛び出す。
しかし、その口を男は思い切り蹴とばす。
「何をっ……」
そのままひたすらに踏みつけられる。
男は何かを口にしていたが、私には何も聞こえなかった。
痛みが強くて。
それにより呼吸が出来なくて。
そして、何よりもこの状況が理解出来なくて。
やがて、暴行は止んだ。
当然だろうと私は思った。
自分が一番よく分かる。
もう命が失われる寸前であるのだと。
「エデル」
男が初めて口を開き、私の名を呼んだ。
「未来より貴様を裁いた」
奇妙な言葉だと思った。
「お前は後に多くの人々を殺した。お前の言葉に何百万という人間が惑わされ、狂わされた」
意味が分からない。
私はただの画家志望の青年でしかないのに。
「お前が起こした戦争で数千万を超える人間が死んだ。分かるか、エデル。お前は大罪人なんだ」
わけが分からない。
しかし、もしこの男が言う言葉が事実だと言うのであれば。
私は将来、戦争を起こしていたということになるのだろうか?
「清々するぞ。私の一族はお前に殺されたのだから」
男はそう言うと私が描いた笑顔を浮かべる人々の絵を思い切り踏み抜いた。
絵はあっさりと破けて二度と戻らなくなった。
「下手くそ」
その言葉が私の耳に強く残った。
そして、その言葉こそが私が聞いた最後の言葉となった。
・
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男はタイムマシンに乗ってその時代を後にした。
タイムマシンの中に置かれていた歴史書からエデルの名前が消えつつあった。
当然だ。
世界を巻き込み狂わした指導者が強く大きく羽ばたく前に殺された……つまり『なかった』ことになったのだから。
男の強い憎悪が少しずつ消えていく。
これも当然だ。
本来、男が憎んでいたはずの相手が『存在しなかった』ことになっていっているのだから。
それでいいのだと男は思った。
エデルという名の青年が一人、無垢である時分に殺されるだけで世界に戦争は起こらず平和なままの時代が続くのだから。
そう、自分に言い聞かせた途端、男の心には表しようのない罪悪感だけが残っていた。
それが何に由来するのか分からないままタイムマシンは男が生きていた時代へと到着する。
男はもう自分が殺した相手が誰であるか知らないし、彼に何をしたかも分からない。
ただ、どうしようもない罪悪感だけが漂うばかりでそれは生涯解消されることはなかった。
しかし、その苦しみは数千万の命を救った男の功績の勲章としても。
まだ罪を犯していない人間を一人殺した十字架としても。
丁度良い罰であったのかもしれない。