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新婚生活が始まって一ヶ月が経った頃、イーディスは国王ダレルに呼び出された。
呼び出しの内容も明確ではない状態で、とにかく来てほしいという文面であったので、何かやらかしただろうかと考えた。
普通は、こんな風に呼び出されることもめったにないはずであるし、いくら元従者だとしても、よほど急を要する事態であるか、イーディスが何かやらかしたかのどちらかだ。
滅多なことがない限りはよほどの急な事態は起こらないと思うので、後者だと考えて、アルバートに何かあった時にすぐに使えるお金のありかとルチアの面倒だけを頼んで至急、王宮へと向かった。
突然、何らかの罪に問われて拘束なんてことは実は貴族社会には割とある。
情勢をよく見てうまく立ち回らないと、妙な抗争に巻き込まれたり、反逆を企てていたなんて罪をなすりつけられたりもする。
しかし、オルコット侯爵家は代々、王族に仕える家臣を多く生み出している家系だ。
よっぽどのことがない限り、その後継ぎと認められているイーディスが罪に問われることは無いと思うが、とにかく心臓に悪かった。
……思いつくことといえば、私が抜けた穴に変な人が入り込んでひと悶着なんてことぐらいかしら。
そんな風に悩みながら馬車に揺られて、王宮に到着する。
謁見の間に通されて、何らかの申し渡しがあるのではと考えていたが、それはまったくの杞憂だった様子で、応接室に通され、しばらく待っていれば国王夫妻はそろって現れた。
すぐに立ち上がり、彼らに跪こうとすると軽く制されて、お互いに向かい合ったソファーにつく。
「其方と私たちの間柄だ、堅苦しい挨拶も礼儀もなしにしよう。それに礼を欠いてイーディスを急遽呼び出したのは私たちだ。其方はゆるりと過ごしてくれてよい」
「すぐに来てくださってありがとう、イーディス。やっぱり貴方はとても頼れる従者ですわ」
ダレルは緩慢な仕草でソファーに座り、その隣に王妃ラモーナが寄り添うように腰かける。
彼らはどちらも美しい金髪をしていて、上品で仕立ての良い衣類を身にまとい身分が高い人特有の風格がある。
久々に目の前にそろっているところを見ると、眩しいほどに高貴な方々だが、今日ばかりはなんだか少しやつれている様子で、何かあったのだと察せられた。
「勿体ないお言葉です。ラモーナ王妃殿下。私としても様々な配慮をいただき、お引き立てしていただいた恩を返す機会がめぐってきたことを嬉しく思います」
失礼にならないように、丁寧に言葉をつむぐ。
仕えていたこともある相手であるし、イーディスはそれが板についているので特段意識せずとも彼らを敬うことが出来た。
「貴方がまた従者として帰ってきて下さる日を心待ちにしていますわ」
「ありがとうございます」
イーディスの返事にラモーナはとても柔和な笑みを浮かべ、それから隣にいるダレルを見やった。本題は彼の方が話すのだろう。
「さて、イーディス。新婚生活の真っただ中だというのに、職務の関係で呼び出してしまったことについては謝罪をしよう。……それから、もう一つ。この機会に報告として、ウォーレスは無事に養子入り先に到着した。見張りもつけているし、もう其方に危害は加えないであろう」
「……はい、これで安心して生活を送ることができます。ダレル国王陛下」
「ああ、父上から愚息が迷惑をかけたこと謝罪するという言葉をいただいた。今の相手と夫婦として試練を乗り越え、幸多き生活を送ること祈っている」
……試練……。
言い方に少し引っかかりを覚えつつも、ありがたい言葉を受け止めた。
王族の末席に名を連ねることが出来る名誉を、理由があったとはいえ蹴ったイーディスにきちんとした配慮をしてくれて、最後までウォーレスの件に決着をつけてくれた。
それだけ誠実に対応してもらえたからこそ、彼らにはやはり、イーディスも信頼と尊敬の念を持っている。
「……そろそろ本題に入ろうか」
話が一区切りつくと彼は、一息置いてから真剣な表情をしてイーディスを見つめる。
ごくりと息をのんで彼の話に耳を傾けた。
「これは、決して命令ではない。ただ、私たちも正直なところ困っていてね。其方を頼ることにしたのだ。あまり気負わずに聞いてほしい」
「はい」
そうは言われても、国王夫妻がそろってイーディスに相談事というだけで正直一大事なのだが、口には出さずに返事をした。
「……ついにこのベルガージア王国にも聖女が召喚された。この世代には、きちんと協会に登録され活動している聖者はいない、そういう事態もあるだろうと予想はしていたが、彼女がとても……何というか困った性質をしている」
ダレルの言葉に隣にいたラモーナもはぁとため息をつく。
普段からほんわかしているおおらかな人なのだが、今回ばかりは気落ちしている様子だった。
「……困った性質ですか」
「ああ、性質というか性格というのが正しいか。とても聡明な大地の女神の加護を持つ力の強い聖女なのだが……元の世界へと戻る事に執着し、そうでなければこの国を亡ぼすとまで口にした」
「そ、それはまた苛烈な」
「ああ。私たちも彼女には戻る手段がない事や、身元を保証する代わりに聖女の力を国の為に役立ててほしいと話をした。……しかし、納得するどころか、自分を誘拐した上に利用しようとしていると勘違いをして暴れだし手が付けられない」
……手が付けられない……ですか。
召喚された聖女に色々と困った問題が出てくるのは、大概どこの国でも同じだが、それは大方、王族側に問題がある場合がほとんどだ。
数多いる女神の中であまり有用ではない女神の加護を受けた聖女であれば、教会に入れて軟禁するような形にして意思をまったく尊重しなかったり、幸運の女神の聖女なら、王族が勝手に囲い込んでその恩恵を独り占めしたり。
そういう事がある場合には、後から何らかの問題に発展する場合が多い。
それだけ、召喚された聖女というのはトラブルの元となる存在だ。だからこそこの国では昔から、教会権力が強く聖女、聖者への保護も手厚い。
それに他国に比べると魔獣の数も多く魔力が豊富な土地なので、よその国にはいない聖者や聖女の伝説が多く残っている。
そしてその伝統を受け継いで、彼らはきちんと聖女と対話をし取引によって対等に接そうとしているのだろう。
だからこそ、二人ともやつれている様子だ。
……でも、だからと言ってどうして私にその話を? まだ王族以外が知らない機密情報のはずなのに……。
「たしかに、我らが女神によって異世界に連れ込まれもう二度と帰ることが許されないというのは、彼女にとって理不尽であると重々承知している。……しかし、戻れぬからこそ自らの基盤というものがなによりも大切だ。彼女の振る舞い次第では、我々の養子にと提案したが、聞く耳を持たず、罵るばかりだ」
ダレルの言い分には一理ある。もちろんその通りだと思うし、王族だと名乗る相手を罵り続けるとは、とんでもない聖女なのかもしれない。
そちらの方が気になって、イーディスは頭の中で剣闘士のような聖女を思い浮かべた。
「わたくしも、説得に何度も聖女ミオのところへと向かったのですけれど、嫌われてしまったようで、わたくしの事を見向きもしませんわ」
「このままいけば、聖女ミオは……あまりよい生活をさせてやることは出来ない。私たちの元にやってきた初めての聖女だ。できる限りの助力をしてやりたい」
ダレルの言う、私たちのところにやってきた初めての聖女というのは、きっと自分の世代になってやっとこの国に現れてくれた娘という意味だろう。
この国には今のことろ、教会に登録されて公に活動している聖者も聖女も一人もいない。
それが国の為になるからという意味での配慮と助力なのだとしても、ダレルたちの心意気は立派なことだと思う。
「……そこでイーディス其方だ。勝手な話だということは私も理解している。しかし、聖女ミオの警戒と疑心をとく手伝いをしてくれないだろうか」
……つまりは聖女と接してどうにかしてほしいと。
要件は理解できた。たしかにこれは急を要する一大事だろう。
一人の女の子の将来がかかっているのだから仕方ない。しかしそれでもイーディスはやはり腑に落ちなかった。
「歳周りも、イーディスの方がわたくしよりもずっと近いですから、きっと心を開くと思いますわ」
添えるようにラモーナがそういって、イーディスは一つ頷く。しかし、聞くだけ聞いてみた。
「わかりました。私でお役に立てるのでしたら、協力いたします。……しかし、一つ伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、言ってみなさい」
「……聖女ミオの警戒を解くにしても、私以外に城に仕えている似た年頃の女性は多くいるはずです。わざわざ私を選んだことには何か理由があるのでしょうか」
なんとなく理由はないと言われたら、それはそれで納得するつもりだった。
しかし、ダレルは少し難しい顔をしてそれからラモーナと視線を交わしてから、重い表情で言った。
「其方であれば、聖女ミオが心を開いた場合その後まで、責任をもって寄り添ってやれるだろう。……なにより、不条理に苦悩しているものを打算なく救おうとする。そういう其方だからこそ、任せてみてはどうかという結論に至ったのだ」
「カラスの魔獣においても……今の配偶者の件についても」
あまりピンとこない返答に首をかしげていると、ラモーナが補足するように口にした。
ルチアの事については、たしかに、そういわれてもおかしくないかもしれないが完全に自己満足だ。
そしてアルバートの件についてはいまだに真相もわからないし、ルチアの件以上に自己満足だ。しかしそう見えていたというのならば、わざわざ彼らの評価を否定しなくてもいいだろう。
「過分な評価を恐れおおいとは思いますが、承知いたしました。謹んでお受けいたします」
「よろしく頼む。さっそく聖女ミオの部屋へと案内をしよう」
イーディスが頭を下げると、ダレルはそういい、使用人を呼び寄せて案内をさせるのだった。