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イーディスはソファーに座ったジェーンの前に跪いて、彼女を見上げることもなく頭を垂れて、ジェーンの高いヒールを見ていた。
「ようやく、立場が分かって来たようでわたくしもうれしいわ、イーディス。でも、お前の提案はあまりに望みすぎではなくて?」
そんな声が上から降ってくるが、声音には優越感がにじんでいて、自分より立場が上の女を跪かせて、自分にすべての決定権がある事がよっぽどうれしいのだとわかる。
「……本当に申し訳ないと思っていますっ。貴方様からアルバートを奪って返す代わりに情報が欲しいなんて不快に思われても仕方ありません」
イーディスはあえて焦った声でそう口にして、肩を震わせて恐れているかのように演技をした。
ふふっとかすかな笑い声が聞こえてきてこの人は本当に単純な人だと思う。
「ですが、このままではダレル国王陛下に私は何と申し上げて、彼らをジェーン様の元に返したといえばいいのかっ、国王陛下に失望され、爵位の継承もままならないかもしれないっ」
「……それは可哀想ねぇ」
「だからどうかお願いします。ジェーン様、私、ダレル国王陛下の命でアルバートと結婚したけれど愛のない結婚生活にもう耐えられないんです。どうか、獣の女神の文献を一目だけでもっ」
もったいつけていう彼女に切羽詰まった声でイーディスは言う。どの言葉だって本音ではなかったし彼女がただ信じ込んで、満足できてそのぐらいならいいかという妥協を引き出すための妄言だ。
演技などやったことは無かったが、他人の望む言葉を言うのも、行動をとるのもイーディスの特技だ。
「そうね、お前はただの駒、王族の使い捨ての操り人形ですものね。両親ともに領地を治める貴族としての矜持も忘れて付き従う家畜も同然」
「っ、……」
さらにウォーレスの件もあって、多少傷ついた演技もうまくなった。人を故意に傷つけるような人たちはその反応を見て自分の価値を再認識する。
だから平然としているよりも、多少大袈裟に反応した方がいい。
……それに王族の事をいくら言われても、そんなのありきたりな悪口ですもの。
今までだって王族に苦い思いをさせられてきた貴族たちには同じような言葉を沢山投げかけられた。
「それでも、幸せな結婚を望んで、アルバートをわたくしに返す判断をできるだなんてお前はまだ見込みがありますわ」
「あ、ありがとうございます、ジェーン様っ」
「辛いわよね。こんなに惨めな思いをさせられているのに、当のアルバートは屋敷で一人のうのうと今も暮らしているんでしょう? お前がやつれても毎週わたくしのところに来ていても何もしてくれないんですものね」
「ええっ、そうなんです」
「お前だって一人のレディだもの、大切されて心を通わせた相手と幸せな結婚をしたいわよね。他の女に気のあるアルバートとともにいるのはつらいでしょう」
王族の件についてはいくら言われても、イーディスの心には響かない。
しかし、アルバートの件については少し違って、まったく合っていないはずなのに、毎週この話をしてひたすらに彼女を肯定しているからか、苦しくなる気持ちもある。
それに、来るたびに今日も彼はイーディスを守ってくれなかったのだと言われて、そのたびにジェーンはアルバートはジェーンを愛しているからだと必ず断言する。
その声をイーディスは心の中でも完全に否定できなくなっていた。だって、そうだろう。こんなに彼女は自信をもってそういえて、たしかに彼女の言っている通りイーディスは愛のない契約結婚をアルバートに持ち掛けた。
アルバートがイーディスについてきたのは、都合がよかったからだ。愛だの情だのではない。
……ずっとわかっていたはずなのに。……人に言われるとそのたびに、現実味を増していくようで、私のアルバートに対する気持ちが希望などないと冷えて固まっていく。
「初めて会った時はお前の事を目の敵にしていたけれど、ここまでくれば哀れで利用されただけの女だとわかるわ」
勝ち誇ったような声で彼女はそういって、イーディスの顎を閉じた扇で掬って顔をあげさせた。
「いい顔ですわ。……負け犬らしくて、愛嬌がある」
そんな表情を作っているつもりもなかったのに、彼女を見上げたイーディスはそんな風に言われて、自分が苦しげな顔をしていることを自覚した。
これだって作戦のうち、彼女は自分の術中にはまっていると心の奥底では理解しているのに、それでも、こうして跪いていると心は勝手に勘違いする。
「……少しぐらい、温情を与えてもいいような気がしてくる……でもそれにしてはわたくしに対するリスペクトが足りませんわよね」
うっそりと笑いながら彼女は組んでいた足を持ち上げて、どすっとイーディスの肩に置いた。蹴られたというほどでもないがじんと肩が痛む。
「ねぇ、イーディス。靴を舐めなさい、そしたら仕方がないからお前の条件を吞んであげる」
「……」
「それに王族の情報も色々と流すのよ? こんな情けない事をしてわたくしから情報を得たって言いふらされたくなければね」
取ってつけたように彼女はそう付け加えて、イーディスの眼前に靴を差し出して「ほら、早くなさい」と催促するように言う。屈辱を味わわせるにしては随分と綺麗な靴だ。
可愛い高いヒールで、ピンク色をしている。これを舐めるだけで、イーディスの目標のものが手に入る。それさえ手にしてしまえば、後はどうとでもなる。
……抵抗がないかと言われれば嘘になる。流石に膝を折るよりもずっとやりたくない。
「できないの? あーんなに情けなく懇願してきたのに? お前の覚悟はその程度なのかしら?」
言われてぐっと拳を握る。反抗的な態度をとれば今まで彼女を満足させてやっていたのが水の泡だ。
……プライドなんて、大切にしたい人に比べればずっと重要度は低いのよ。
言い聞かせるように思う。いろんな感情が織り交ざって震える吐息をはいて、イーディスはその綺麗なつま先に手を伸ばした。
「そう、それでいいわ。お前もわたくしの新しいペットにしてあげますわ」
両手で包み込んで顔を近づけた。下から見上げた彼女の顔は醜い支配欲に滲んでいて、イーディスは悪魔に心を売ったような気持になりながら、その足先に丁寧に口をつけようとした。
その途端、ガシャァンと耳をつんざく破砕音がして窓から風が吹き込む。それにすぐに魔法だと気がついた。ルチアがイーディスの危機だと勘違いして突入してきたのかもしれない。
それなら彼を宥めなければと振り返った。ルチアはああ見えて気は長くない。乱暴な魔法も使うタイプだ。
「……お久しぶりです。ジェーン」
しかし窓の外にいたのは、この場所にいるはずのないアルバートであり、何が起こって彼が来るような事態になったのかとイーディスは目を丸くした。
今日はデリックとミオの編入テストの日だ。そちらで何かあったのかもしれない。そんな風に考えるけれど、今この状況に対する上手い言い訳が思い浮かばなかった。
……流石にアルバートだって、私がこんなことまでして情報を手に入れようとしていたなんて思ってないわよね。
丁寧に手を離して、すくっと立ち上がった。
恥ずかしいんだか、悲しいんだか、驚いているんだか自分自身もよくわからなくて、黙った。
それになんだかいつもと違う雰囲気に、彼はジェーンの事を本当は愛していて、いつまでたっても情報を持ってこられないイーディスに呆れてやってきたのではないかとすら思う。
「アルバート! 良く帰って来たわ、わたくし、愚かなお前の事がずっと心配だったんですのよっ」
混乱しているイーディスとは裏腹に、彼女はイーディスのことなどもうどうでもよくなったかのようにソファーから立ち上がってかつかつと歩いていく。
しかし彼は壁を一つ挟んで向こう側だ。窓のあった腰ほどまでの高さの壁が二人を阻んでいる。
そんなもの問題ではないとばかりにジェーンは手を触れてそのままゴウッと音を立てて壁を燃やした。
彼女の持つ炎の魔法は強力だ。壁に使われている木材などはすぐに消し炭になってがらりと崩れる。
「わたくしのお仕置きが怖くてずっと帰ってこられなかったのでしょう? まったく頭が悪いんですから、お前は。でも自分から戻ってきたんですもの、少し焦がすぐらいで許してあげますわよ」
言いながらジェーンはアルバートの首に腕を回して抱き着く。その気軽さに嫌悪感を覚えながらもイーディスのところに飛んでくるルチアに腕を差し出した。




