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ミオがやってきて数日、彼女にこの世界の授業をしつつ、イーディスはもう一人の問題解決の為に動いていた。
アルバートと日取りを決めて、デリック自身にも心の準備をしてもらい、彼も普通の生活を送れるように女性恐怖症を和らげる必要がある。
そのためには少しずつでも慣らしていって女性は怖いものではないと教えてあげなければならない。
そのうちミオにもダイアナにも会ってもらって同年代の女の子というものを知り、最終的には魔法学園に通わせられれば御の字だ。
……それに、ミオもきっとデリックがいた方が学園に通うのに安心できると思うのよ。
だから、目指すは普通に話をできること、なのだが……。
「……」
「デリック、あまりきつく引かないで、首が苦しいですから」
「っ……」
アルバートとともにデリックの部屋に入り、イーディスは彼と対面していた。
しかし入ったとたんにデリックはアルバートの後ろに隠れるようにしてこちらをほんの少しちらりと覗き込んでいる。
表情はとても強張っていて、イーディスは肩に乗せているルチアと目を合わせてから、またデリックへと視線を戻す。
「なっ、なんだよその目! 俺が情けないって言いたいみたいじゃんか!」
「カァ」
「なんだっていつもそんな風に言うんだっ。獣の聖者だからって関係ないだろっ」
「カー」
「あんたにはわかんないんだって!」
……今更ながらに思うんだけど、ルチアはこの短い鳴き声でデリックに何を言っているの?
そう考えるほどに、不思議な光景だ。動物の鳴き声に人が言葉を返してまたそれに鳴き声が答える。
話をしているのだとは理解していても、なんだか目の前で奇術でも見せられているような不思議な心地だ。
「ねえ、アルバート……って、どうかしたんですか?」
彼にその不思議な気持ちを共有しようと考えると、アルバートは急に真っ青になっていて、イーディスに声をかけられると思い切り振り向いてガシッとデリックの肩を掴んだ。
「っ、人前でそれはやっていけないと言っているじゃないですか、デリック!」
「だ、だって、ルチアが!」
「そういう問題じゃないんです。どうして無視できないんですか!」
「でもっ」
「申し訳ありません、イーディス、不気味なものを見せてしまって」
今度はイーディスに振り返って怯えた様子でアルバートはデリックを背後にかばうようにして、身を引いて手を広げる。
しかし、滅多に声を荒げない彼に急に強く言われてデリックはそのグレーの瞳に涙をためて「ひっ、ひっう」と泣き出してしまう。
……あ…………参ったわね。
それに、アルバートは焦った様子で彼を振り返って「静かにしてください」と彼を抱きしめるようにして言う。
それに異常な緊張感を感じたので、イーディスは持ち前の笑みを浮かべて、一度仕切り直そうと、提案するためにデリックを抱きしめて落ち着かせようとしているアルバートの背中に触れた。
「っ、申し訳ありません、すぐに静かにさせますから」
かすれるような小さな声で、ひどい早口だった。
「っ、う、っ」
きっとアルバートは今とても酷い顔をしているだろう。
どうやら状況的にアルバートの方のトラウマを刺激してしまう事態になったらしい、その顔を見てデリックはさらに怯えたような目をする。
アルバートはイーディスに背を向けて、膝をついてデリックを抱きしめているので、その肩越しにデリックはイーディスの事を見ているが、とても怯えている様子が伝わってくる。
これならまだルチアと喋っていた時の方が、彼は健全そうだった。
それに、この二人はまとめて元婚約者の被害に遭っていたなら、このイーディス、アルバート、デリックの構図でこうなるのもう頷ける。
「デリック、泣きやんでください。し、静かに、してください」
「でもっ、ううっ」
「お願いしますから」
悲痛なやり取りが聞こえる。それはまるで村に兵士が押し入ってきて、必死に、泣く子供を静かにさせながら逃げる母子のようで、ジェーンは一体この二人に何をしたのだろうと嫌な想像をした。
何をしたのだとしても尋常じゃないほど怯えるアルバートに気分はじっとり重たくなる。
さてどうしたものか、そう考えてルチアと視線を合わせる。
しかし「カァ」と鳴いた彼の声はイーディスの耳にはただの鳴き声にしか聞こえなくて、その言葉を聞き取れるなんて、デリックの能力は素晴らしいと思う。
彼がその力を使いこなせるならば、魔獣の被害を減らしたり、使い魔達がより快適に過ごすことも夢ではない。
それなのに、人前で魔獣と話をしただけで、こんなに怯える彼らはすこし可哀想だった。
ここからの展開をどうしたらいいのかイーディスは少し首をひねる。
一旦イーディスがこの場を離れればこの事態は収まるのか……将又、アルバートがデリックを叱ってさらに拗れたり、確執になったりしないだろうか。
アルバートはどうやら、デリックに対して守りたいという気持ちと、自分も傷つけられたくないという気持ちが絡み合ってデリックに過剰に反応しているような気がする。
そんな彼らを放置して出ていくのも気が引けた。
……でも体は一つしかないし、参ったわね。
うーんと考えてルチアにデリックを任せるなんてどうだろうかと考えていると、ノックの音がして、かちゃりと扉が開いた。
「あ、やっと見つけた、イーディス姉さん。……って、なにしてるの?」
すると非常にタイミングよく、ミオが現れる。彼女はここ数日でめきめきとこの世界の事を覚え、夜には自習をしてわからないところがあったらイーディスに聞きに来るのだ。
いつもなら部屋にいて対応するか、できないときはだいたいアルバートの部屋にいる。それを伝えておくのだが今日ばかりはイーディスも緊張していてすっかり忘れてしまっていた。
「ミオ……」
それを不思議に思ったミオは、イーディスを捜し歩いて最終的にこの場所にたどり着いたのだろう。
名前を呼ぶとミオは質問の為にもってきていた本を持ったまま中に入り、小さくなっている彼らを見つけて、驚いた様子でイーディスを見るのだった。
「え、虐め?」
「違います!」
それから、驚きながらもそういってイーディスを見る。それをきっぱりと否定して、イーディスは彼女を頼ろうと決めて、ミオに向き合った。
「……先日、デリックとアルバートの事については大方話したわよね」
「うん、聞いたけど」
「デリックのトラウマ克服のために手を打とうと思ったんですが……下手を打ちました。少し頼まれてくれませんか、ミオ」
「いいけど、私もあんまり気が長い方じゃないからその、岩が飛んでっちゃうかも」
「……」
……たしかにミオのその癖も十二分に直す必要があるわね。
彼女の言葉にイーディスはそんな風に考えて、とりあえず相性のよさそうなアルバートを彼女に連れて行ってもらうことにする。
ルチアがいるのでデリックとはそれほどイーディスは拗れたりしないだろう。
「ルチア、デリックにアルバートから離れるように言ってください」
肩に乗っている彼にお願いするとルチアは、ぴょんと飛び出してばさりと宙を舞う。それから、デリックの真っ白な頭の上にとまって「かぁ」と泣いて嘴で髪を引っ張った。
「うっ、痛い! 痛いって、っ、離れればいいの?」
「アルバート。立ってください、貴方は一度部屋に戻って落ち着いて下さい」
ルチアが動いたのと同時にアルバートの腕を掴んでぐっと引いた。この程度の力では彼を引っ張って動かすことは出来ないが、驚いた様子ですぐに立ち上がって、イーディスの方を向く。
アルバートの方はデリックと違って、驚いても反射的にいう事を聞いてしまうぐらいで、攻撃してくるようなことは無い。きっと、ジェーンもデリックよりも、アルバートの方を扱いやすく思っていたのではないかと思う。
「ミオ、悪いけれどアルバートを部屋にもどしてあげてくれませんか。質問は明日の朝、まとめて聞きますから」
「……いいよ。わかった。なんかふらふらしてるもんね」
「ありがとう、よろしく頼むわ」
「任せて」
彼女に頼めば任されたとばかりにずんむとミオはアルバートの腕を掴んでとことこと歩いていく。その間にも彼は、どこを見ているんだかわからない瞳で謝罪を繰り返していた。




